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アラキモモカ「向き合う (まとめ)」

すっかり寒くなりました。
アラキモモカです。

静波海岸の波の音を聞かなくなってから、あっという間に2週間が経ち、学校と制作、バイトに遊びといつもの大学生の日々にすっかり戻りました。

時間が経ってしまいましたが、牧之原市での旅の最後のテキストを書いてみます。
自然と、そこに暮らすということについてです。

尾﨑さんや、お会いした牧之原市の地域のみなさんは、牧之原市のことを「何もない」と、おっしゃっていました。
けれど、京都から来た私にとっては「ないということが、あるということ」。
海の前に松林がたち、その前に建つ家と、夜空に見える星と、波の音、松林やいろんな木々が擦り合う音、そのひとつひとつが優しい。
携帯やパソコンで検索すればすぐになんでもたどり着けることが当たり前となった今、牧之原市の持つ自然と、ある意味の不自由さと過ごした1週間は大学生の私にとって大きな贅沢でした。

静波海岸へ行くと、
そわそわする。
なにをしても、何もしなくても、波と砂浜が許してくれるようなそんな感覚に、そわそわして、何か作りたくなる。けれど、今は何もしなくてもいいか、とも思わされる。大きくて優しい海と松林。
その土地へ行き、みて触れて、感じて、ネットの情報や想像とは違うということを認識することは、何かを「つくる」ということに関してとても重要な要素です。今回の旅で尾﨑さんが私たち旅人に見せてくださったのは、ガイドブックや、ネットには載っていない牧之原市の様子でした。
山で自給自足で暮らす夢家さん、地元の人が集まる居酒屋さんやカフェ。
中でも、海との関わりが今回の旅で印象に残っています。サーファーや多くの人で賑わう静波海岸にいろんな歴史があるということ、そして津波から市民を守るために、大きな堤防を建てる計画が進んでいて、いつか海が見えなくなるかもしれないこと。"海と暮らすこと"の良い部分も、難しい部分も、尾﨑さんは丁寧に話してくださりました。
自然に囲まれているということは、常に自然と向き合い、自分たちの生活をしていかなくてはなりません。
そこには大きな覚悟と、あるように見えました。私にはあまり自分ごとには考えられませんでしたが、きっとそれが「旅人」と「住民」の違いなのだと思います。 

旅を終えて、いろんなものを見て、
やはり、つくることなのだと思います。

いままとめを書いていても、うまく文章にできないことがあります。
この旅で触れた、自然と地域の暮らす様子。
広い海をはじめとする、大きくて贅沢な自然と、それに伴う少しの不自由さ。とても暖かくて優しい街。
牧之原市での繋がりは、いろんなことと向き合うきっかけになりました。地域のこと、自然のこと、そこで暮らすということ、
そして自分自身の「つくる」、ということ。

今回の旅で触れたことひとつひとつ、必ずわたしの「つくる」理由になるのだと思います。今すぐではないかもしれませんが、



牧之原のみなさま、本当にありがとうございました。
また必ず伺わせてください。

(このまとめのテキストは、お土産に買った牧之原市のお茶を飲みながら書いています。うますぎです。まじで毎朝飲んでいます。たくさん買って帰り、友達やバイト先にも配りましたが大好評です。次はお茶の時期に伺おうと決めました、もっとお茶のことも知りたいなあ、本当においしい、、。)


アラキモモカ


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