石黒健一「伊豆高原アートフェスティバルとその周縁で考えた事」(滞在まとめ)
マイクロ・アート・ワーケーション2022(MAW)参加にあたり2022/10/25〜2022/10/31の間、伊豆半島の東側、伊東市に滞在することになった。
伊豆の中心にあたる修善寺に祖父母の家があったことから、幼少期より伊豆に来る機会がありながらも、道中で触れるものといえばチェーンの飲食店やホームセンター、知られた観光名所などだけであった。
関西に移り住んでから遠く離れてしまった伊豆半島の知らなかった側面を再発見するため、この旅では伊東・東伊豆で様々な人に出会い、人々の活動を通して今後自分が伊豆で生活することのイメージができたらという希望の元、MAWに参加した。
また伊東での滞在が決まり、最初に浮かび上がった目的の一つが「伊豆高原アートフェスティバル」※1について当事者から話を聞くことであった。
私が所属する共同スタジオ「山中suplex」は今年度アーツサポート関西の助成を頂き、行政主体でなく個人等が行うアーティストランの文化活動やオルタナティブスペースといった場所、レジデンスプログラムなどを実施する文化活動体のリサーチとネットワーク構築を目的として、スタジオメンバーがそれぞれが各地へ旅をし、地方で活動するアーティストらを訪ねる取り組みを行っている。このリサーチの取り組みに抱き合わせる形で、MAW参加に伴い25年間続いた住民主体の文化活動である「伊豆高原アートフェスティバル」の調査を軸に伊東・伊豆半島の様々な文化活動のリサーチを行いたいと考えた。
残念ながら発起人の谷川晃一さんからは直接話を伺うことができなかったが、ヒロ画廊の藤井万博さん、フェスティバル以前から伊東を拠点に活動され、初回から運営にも携われていた彫刻家の重岡建治さん、フェスティバル構想のきっかけとなった谷川さんのアメリカ滞在に居合わせ、フェスティバル初期から運営に携わっていた麻生良久さんにお話を伺うことができた。
「伊豆高原アートフェスティバル」を中心に伊豆半島の文化活動を軸に訪問先を検討する中で、文化活動に限らず、養蜂、ダイビング、ジオツアーなど、様々なものに触れる機会に恵まれ、次第にこのMAW参加の間は分野を絞らず、自分の興味が直感的に向く先に訪れてみようと考えを改めた。
まず初めに、これらの様々な活動を行う人々への出会いを導いてくれたホストの薄羽美江さんに心より感謝の意を表したい。同じく伊東に滞在した旅人の二人を含めた、四人でいろいろなところに行き、話した時間が何より代え難い出来事であった。
薄羽さんは伊豆高原と東京の二拠点で活動されていて、伊東では伊豆高原にある城ヶ崎文化資料館内に併設する「ITOまなびやStation」と「Visonary Insutitute」という研究所の二ヶ所を拠点に持続可能性の観点から教育、観光などを再考され、産官学交流事業や伊東市のブランド研究、ワークショップやトークなどを通して様々な世代を跨いだ知の交流をプロデュースされている。わずかな時間だったにも関わらず、この滞在で旅行者では辿り着けない伊豆半島東部の多面的な側面に触れることができたのは薄羽さんがこれまで築かれたネットワークを提供いただいたことが大きかったと実感している。
東さん、周さんはそれぞれ東西の芸大の博士課程に所属しながらも、作家として活動を積極的に行なっている。東さんはおじさんの鉄工所の元で技術を学ばれた話や、個人での活動の他に茨城県日立市で「おおみかアートプロジェクト」を立ち上げ、現在も継続に向けて活動されていること、周さんは日本より圧倒的に競争の激しい環境の中で学生時代を過ごし、故郷から離れた自身の目を通して見る「纏足」や「蘭花指」といった中国の伝統的な所作に現れるジェンダーの問題から個人について考える作品を展開していて、精力的に活動されている二人からの話がとても刺激的であった。
いつか、この四人で伊東で再会できる日が来るのを楽しみにしている。
各日の滞在の記録はこれまでのnoteに書き留めたので、このまとめでは伊豆高原アートフェスティバルを中心に伊東、東伊豆であった人々の活動に触れあうなかで考えたことを書いてみたい。
※1 伊豆高原アートフェスティバルは1993年から2017年までの間、毎年5月に行われていた住民による住民のための文化活動としてのアートイベント。発起人は谷川晃一。63年の「読売アンデパンダン展」より作品発表を開始した谷川は画家として、エッセイや美術評論などの執筆活動でも知られる。現在は組織体制も変わり、伊豆高原五月祭として行われている。
伊豆高原アートフェスティバルから派生した活動としてのリトルプレス
伊豆高原アートフェスティバルの運営に携われていた麻生良久さんが手掛ける同人雑誌「雑木林」、アートフェスティバル終了を機に「壺中天の本と珈琲」の舘野茂樹さんが創刊した「is(イズ)」の二つの出版活動に非常に興味を惹かれた。
「雑木林」は麻生さんの発案に谷川さんがいいね、と答える形で2010年10月に始まった。表紙やカット絵は谷川さんが手掛けられ、伊豆高原アートフェスティバルの活動にも重なり、接続するこの「雑木林」はフェスティバルと同じように当事者たちが活動を楽しむ、同人による同人のための活動で、執筆される方々が皆思い思いに詩やエッセイなど多様な話題を繰り広げられている。今手元にあるのは24号発刊されているうちの二冊のみだが、戦争の経験から政治、環境問題、伊豆の生活のことなど「雑木林」の名の通り、豊かな植生のように数々の話題が広がり、大木も若芽もこの雑木林の中で共生している。
一方、「is(イズ)」はフェスティバルの終了を残念に思った舘野さんが自身の手で伊豆半島内の芸術文化活動を繋ぐ活動として始められた。美の巡礼という伊豆半島内の展覧会情報をまとめたMAPを軸とした情報誌としての顔がありながらも、6号の「石」、4号の「漁港」など号によって特集が組まれ、各号で多彩なライターによる様々な角度からの視点で伊豆半島の土地の文化と芸術を結びつけ思わぬ出会いをもたらしてくれる。宇佐美でみたエロ本自販機ギャラリーにも関わられる舘野さんの活動は本を通して様々な場所と人を繋いでいる。
それぞれ同じB5サイズの冊子で、紙面に広がる内容も構成も全く違うものでありながら、どちらも伊豆高原アートフェスティバルを起点に生まれた活動であり、現在も継続されているという共通点がある。こうしたリトルプレスの取り組みが各地方で展開されていたら地域を知る上でも、人々の文化活動を残す意味でも非常に面白いものになると実感した。実際に見ることが叶わなかった伊豆高原アートフェスティバルであったが、終了した後も各々の形で継承し続けて育まれる伊豆の文化活動の一端に触れることができ、自身の活動に大いに触発された。
美術館のあわい
伊豆高原アートフェスティバルのきっかけとなったのは谷川さんがアメリカ滞在で見たアーティストのスタジオが溢れるサンタフェの街と、もう一つ、谷川さんが参加された大分の由布院で1992年まで行われていた「アートフェスティバルゆふいん」であった。町全体を会場としたこのフェスティバルの手法に興味をもち、伊豆高原でかつて行われようとした乱開発のような出来事への緩やかな抵抗の手段として始めたのがきっかけだった。文化活動を通して当事者が楽しんで地域間でコミュニティを形成していくことが、結果として環境保護につながっていくことを目的とされていた。
25年もの長い期間の間、当然のこと紆余曲折あったが、入場料を徴収している施設は含めず、非営利の運営をとり個人のスタジオや発表の場に限定して参加を募り、最終的には100人もの参加があったとお聞きした。
伊豆高原アートフェスティバルが始まるよりも前に設立された池田20世紀美術館のみがこの周辺で博物館法 に定められた「登録博物館」で、ほとんどの施設は「博物館類似施設」で、いわゆる私設の美術館・博物館となる。法令上も含まれず、アートフェスティバルにも参加することができなかった公と私の間にあるような施設の多くは90年代に設立された。
別荘地の開発に始まり、アートフェスティバルが形成した芸術文化の集まる地域としてのイメージ、それに重なるように私設美術館が集まったことが現在の伊豆高原周辺の姿を作っている。伊豆高原アートフェスティバルは毎年5月のみの開催でアーティストのスタジオといった普段非公開のところがある中で、こうした私設の美術館は多くが主要道路の国道135号に面しており、幼少の頃から一年に数回は通っていた頃からこの周辺のイメージとして強烈に記憶に焼き付いていた。
近年TVなどのメディアで取り上げられ話題になった「まぼろし博覧会」や「怪しい少年少女博物館」といったこれらの施設にこれまで一度も入ったことがなかったが、この滞在で初めてその一つで老舗の「芸術の森ろう人形美術館」に行くことになった。中には精巧につくられた往年のハリウッドスターなど誰もが知っている人物に加え、今の二十代の人たちには分からないであろう昭和の俳優やスポーツ選手らスターの蝋人形が設られた部屋ごとに区切られ展示されている。入り口のレジ奥がオーナー夫妻の自宅のような雰囲気もあり、昭和に活躍した人物の当時の一瞬の姿を切り取った数々の静止した時間の中で生活を営む夫婦の姿はとても不思議な空間を作り出して、さながらデイヴィッド・リンチの映画の中に入り込んだような気分を味わった。時間がなくオーナーに話を聞くことが叶わなかったが、伊豆高原周辺の芸術文化活動の発展と美術館開発の経緯をこの旅で初めて知り、そのあわいで形成された施設に訪れ、多面的な伊豆の側面に触れることができた。
ミツバチの行動と文化の継承
5日目に参加した「いとうすもうPT」が開催する「みつばちたちの秘密ワークショップ」では、これまであまり知ることがなかったミツバチの生態について詳しく話を聞くことができ、人間の悪い癖の一つだと思うのだが、自分の行動と重ねて、年を取ることとコロニーを繋いでいくことに思いを馳せることになった。
ミツバチは一匹の女王蜂を中心に雄蜂とそれ以外の雌バチで形成されている。いわゆる働き蜂と言われる蜂は女王蜂以外の雌バチを指し、働き蜂の役割も内勤、外勤に分かれている。内勤バチは育児や巣の管理、ハチミツ作りなど巣の中でできる仕事を担当しており、外勤バチは巣の外で花蜜、花粉を集める仕事を担当している。この内勤と外勤を分けるのは何か。日齢である。年を取るにつれ内勤から外勤へと役割を変えていくのには、寿命の短い蜂がよりリスクのある、外での仕事をするようになるということらしい。
静岡の旅から戻った翌日に自身の共同スタジオで開催したArt Center Ongoing(東京)の代表の小川希さんのトークを聞いていてなぜか外勤バチのことを思い出したのだ。それは人間の社会とは逆のような感じもするが、実際ある一群、コロニーを継承しようとするには人間でも同じ行動が必要になるのではないかと小川さんの話とミツバチたちの秘密を聞いた後、数日を経てその二つが混ざり合い考えるようになったからだった。
自分のことも儘ならないのが現状ではあるが、自分達が作った場所や環境は次の世代に繋いでいくことを意識的にしないとそれはいとも簡単に断ち消えてしまう。小川さんがいうように前の世代の人たちが作ってきた環境に敬意を払い、そうして獲得されたインディペンデントな活動の場を、価値をどれだけ次の世代の人たちに残せるのか。その萌芽としての伊豆高原アートフェスティバルの実践について今後も文献などからリサーチを続けたいと思う。
このMAWでは伊豆高原に住まう様々な人たちの活動を通して自分では想像もしなかった幅広い分野に触れることができ、多くの学びを得た。この滞在では伊東で活動する同世代や、二十代の若者に会えなかったことが唯一心残りであり、今後の伊豆を訪れる際の目的としたい。