さとうなつみ フルーツのような(四日目)
私たちは誰もが他の犠牲の上に生きている。
現代社会はそのことに関してあえて注意を払わなければ気付きにくい構造になってしまっている。
自分がいまここにいる為に消えていく存在のことを知らなければ、自分の欲が無尽蔵に膨らんでいってしまうようで私は怖い。
自分の一部になる他の命のことをこの目で確かめたくて、旅先では機会があれば鳥をしめて捌くのを教えていただいたり、イスラムの犠牲祭に立ち合ったりした。
今回当初の予定に鹿の解体見学はなかったけれど突然鹿が獲れたとの連絡を前日の夜に受け、予定を変更して現場を見せていただけることになったのは本当に運が良かった。調整して下さったのぞみさんに感謝です。
イスラムの犠牲祭では牛の胃や血や腸の匂いと鮮血の色に吐きそうになりながら見ていて、気づくと目から涙が溢れていた。
当然そんなにおいがあるものだと思って行ってみると今回は殆どにおいがしないことに驚く。
Mさんは小さなナイフひとつで大きなプラムを切るように静かに鹿の首を切った。
血抜きする為にあけられた内臓辺りの窪みから首に向かって腹を裂く。ナイフの先を皮と肉の間に差し込んでスルスルと薄い膜のようなところを剥ぎ取るように首から後脚に向かって皮を剥いでいく。血の赤は殆どない。
皮の下から現れたのは白い骨と薄ピンクが朝日でパールのように光り紫から青に変化していくつるりとした塊だった。隣で一緒に見ているのぞみさんが「きれい、きれい」と何度も呟く。
Mさんの手は迷うことなく進む。骨も筋もあるものものしい塊なのにノコギリを持つような力の入り方は絶対になくて、果物を切るようにやさしかった。
この鹿を仕留めたのは正露丸一粒分程の小さな銃弾。散った銃弾が僅かに肉の間を通ってしまった場所を教えてくれる。一目瞭然だった。そこだけギラっと赤く染まって中に白いカケラが食い込み筋はいくらか崩れていた。
皮を剥ぎ取ると4本の脚を胴体から切り離し、あばらに守られた肝臓と心臓を取り出す。紫がかったつるつるの塊は海の生物みたいだった。
ロースとヒレを切り分け、吊るしていた4本の脚も白い骨になる。全て解体し終えた台の上には血が殆ど見当たらなかった。
果物を切り分けるように優しく動物が捌かれるのを見たのは初めてだった。
解体は子供の頃から手伝っていたというプロだった。きっと頭の中には鹿や猪の解剖図がしっかり描かれている。
何度もお礼を言うと、ガハハと口を大きく開けて笑うMさんの顔は本当にチャーミングで、素敵だった。
その鹿はいま私のお腹の中にいる。
のぞみさんの家で、電話でありがとう、物凄く美味しかったと私たちが言うと、
「なによりだ」とガハハと笑った。
電話の向こうにあのチャーミングな笑顔が見えた気がした。