清水玲「ギャップ・ダイナミクス(滞在まとめ)」
MAWという遊歩道
南伊豆から戻った5日後。伊豆修験の古道を調査している知人から連絡をいただき、美しい伊豆創造センターや伊豆新聞の方々と、西浦の井田から江梨に抜ける「かつての古道(山道)を歩いた。古道と言ってもはっきりとした道はなく、古地図と目視を頼りに、「このくぼみが続いているのは道っぽくないですか?」などと同行者とあれこれ意見を交わしながら、山中に残る道らしき痕跡を辿り、時折草木に潜んだ道標や地蔵像の台座を見つけては、そこがかつての道であったことを確認する、そんな山行に同行させてもらった。
今では使われていない(道なき道に見える)道を歩くと、さりげなく人の手が入り整備された登山道や遊歩道の存在のありがたさにあらためて気付かされる。
私が伊豆半島各地の山や海辺を歩くようになり2年が経つ。はじめは作品制作のための調査や撮影が目的だった。いや、今もその目的は変わっていない(はず)だが、歩くたびに地形の成り立ちやそこに生息する動植物との関係性、人が介入した痕跡など、風景を構成する様々な要素を少しずつ読み取ることができるようになってくると、ますますその壮大さに魅了され、自分の視野の狭さや作品を作ろうとする態度に対する不信や嫌悪を痛感するようになった。今ではすっかり「つくること」の呪縛から解放された心境に到達するための巡礼のような行為になっている。
私は、地域の芸術祭やアーティストインレジデンス等で知らない土地に入って地元の人たちと交流する、といったことが苦手だ。とても。作家として交流前提で地域に入ること、結果ありきの枠組みに対する違和感なのだと思う。関わる、つくるという選択肢だけでなく、つくらない、関わらないという選択肢(余白)を用意していないと、動的平衡を保つことができず、反動やひずみが必ずどこかに現れる。
そういった点でも、つくる制約のないマイクロ・アート・ワーケーション(MAW)は風通しが良い。旅人は、「ホストとのマッチング」というほどよく整備された「遊歩道」を歩くことができる。私のような人との交流が苦手な旅人でも、遊歩道で出会う人たちと言葉を交わすことができる。軽装でもそれなりに自然を満喫できる(したかのように思える)にわかハイカーのように。
潜る、巡る、探る
MAWに参加するのは2回目だ。今思えば前回は、「なにもしなくていい」という風通しのよさに惹かれて参加したものの、「なにか」を発見して発信しなければいけない、というある種のバイアスに少なからず囚われていたのかなとも思う。とは言え、現地のホストによる程よい案内を通じた体験を素直に受け取って言葉にするという経験は想像していた以上に居心地がよく、制作行為の基本的な態度に立ち返るような機会になった。2回目の今回の応募にあたっては、もっとより多くの作家が旅人としてMAWを経験した方がいいのではと思い、2回目を応募すべきか自分は見送るべきか締め切り直前まで悩んでいたほどだった。
結果的に応募に至ったのは、前回の滞在では他の旅人との日程が合わず私一人での滞在になった(それはそれで充実した時間を過ごすことができた)ので、同時期に他の旅人がいるMAWを経験してみたかったことと、南伊豆というある種の辺境の地というイメージに惹かれたからだった。
今回の滞在中に訪れた田牛のサンドスキー場、龍宮窟、弓ヶ浜、石廊崎、中木、入間の千畳敷、吉田、下賀茂の道の駅には何度か来たことがあった。スタジオのある湯河原から3時間弱、行こうと思えばいつでも行ける距離にあるものの、近いようで遠く、日帰りで要所を断片的にみて帰るというのが常で、じっくりと南伊豆に流れる時間と向き合うことができなかった。
そんなわけで滞在前に、日ごろから継続的に行っている地形の観察・撮影を中心とした「巡礼」の延長として、海に潜る、古道を歩く、野営をする、地元の人や旅人と話す、という大まかなプランを立ててMAWに挑んだ。滞在中は、分かった気にならずに、できるだけ素直に、旅人日誌には、結論じみたことは書かずに体験したことを記録として残すことを心掛けた。
「手つかず」という幻想
南伊豆を紹介するパンフレットや旅行案内には、青々とした空と海、断崖絶壁の急峻な地形を背景にシーカヤックを楽しんでいる写真、弓ヶ浜でSUPを楽しむ写真、青野川沿いの河津桜並木や菜の花畑の写真とともに、「手つかずの自然」「南の楽園」「ほんとうの伊豆」といった言葉が並んでいる。滞在中に出会った何人かの移住者たちも、最初のきっかけはそのようなイメージだったと話してくれた。しかし、何日か滞在してみると、そういった南伊豆のイメージと現実とのギャップに気付くだろう。
南伊豆らしさともいえる海底火山の多様な地質と地形が連続する海岸沿いには、探勝のための歩道が整備されてる。歩道沿いには石丁場跡があり、石仏群や石碑、供養塔がある。
歩道から外れて草木に覆われた手つかずに見える山中にも、目を凝らせばたくさんの道があることに気づく。使われなくなった道やかつての古道、送電塔や砂防ダム等に通じる作業用の道、鹿や猪等の動物が通る獣道。山を歩くことに慣れてくると、そのような見えない道が見えるようになる。
海の中にもダイバーたちが海中を探索できるよう特徴的な岩には名前が付けられ、それらを周遊する様々な道があることを今回の滞在での潜降経験で知った。
下賀茂の中心地を流れる青野川沿いでは縄文・弥生・古墳時代の遺跡も発掘されていて、はるか昔からここで人が生活していた痕跡が残る。青野川沿い約2kmにわたって植えられた約800本の河津桜と、座って一休みできるように工夫された土手沿いの気持ちの良い護岸は、先人たちが長い年月をかけて何度も水害と向き合いながら獲得したかけがえのない遺産のひとつだと言える。
もはや「手つかずの自然」はどこにも存在しない。滞在時間とともに見えてくるのは、「手つかずの自然」という言葉の裏側に潜む、かつて手つかずだった自然と向き合いながら生きる術を見出してきた先人たちの痕跡とその可能性。「手つかずの自然」「南の楽園」「ほんとうの伊豆」は南伊豆という場所を指すのではなく、南伊豆という場所で培ってきた先人たちの生きる術を参照しつつ、これから自分なりに試行錯誤していこうと決意する人たちの心のうちを表すのだろう。
旅人たち
南伊豆で出会った方々は、私なんかよりもずっと旅人だった。
ハンマーヘッドシャークが見られる春から秋にかけて南伊豆で生活し、冬のシーズンオフはオーストラリアやタイに住む場所を移すダイビングのインストラクター。サーフィンが好きで南伊豆に移住しマリンスポーツを楽しむ傍らカフェを経営する女性。役場で勤めながらも副業申請を出し空家を利用した簡易居酒屋やゲストハウスを手づくりで運営されている公務員。広い土地と古民家をセルフビルドで手を入れながら自給自足の生活を試みようとしている飲食店経営者。利便性に欠いた不便に思える生活環境を逆手に取って地元の地質遺産の魅力を伝えようと心がけるジオガイド。
皆それぞれの視点で「手つかずの自然」の裏側にある先人たちが積み上げてきた地利と向き合い活かす術を引き継ぎ、応用し、実践している。そしてそのほとんどの方が、南伊豆での生活に不便さを感じていないと話してくれたことにはいささか驚かされた。
ローカル×ローカル
そんなうらやましく思えるほどにしなやかに南伊豆で生活する人たちと出会うことができたのは、今回のMAWのホストであるローカル×ローカルのおかげだ。自分一人でここにやってきて、1週間でこれほど地元に根差して生活する人たちの話を聞いたりすることはできなかっただろう。少なくとも私には。
ローカル×ローカルを運営するイッテツさんは、一見クールでポーカーフェイスというか落ち着いた立ち振る舞いで、「俺が地域をよくするぜ!」みたいな熱意が滲み出たような雰囲気の方ではない。淡々と日々のやるべきことをこなし、風を読みながら状況に応じて次の手を着実に打っていく、そんなかんじの方だと思う。移住して南伊豆新聞という地元のローカルメディアを配信しながら宿を運営している。内(住民)と外(旅人)をつなぐハブ、あるいは交換手のような役割を担っているのだろう。近隣の飲食店や住民の方々との信頼関係もしっかりと築けている様子だった。
滞在4日目にイッテツさんと下賀茂の街を歩いた。歩いているときのイッテツさんの語りはとても印象に残っている。「ここに住んでいた方は、あそこの2階に引っ越して…」「…いまはここでカフェをひらいて…」。青野川の過去の氾濫と護岸整備、集落と店舗、増えていく空家、空家の利用状況。そういった目に見える街の変化の背景には、旅人には見えにくい「人」の移り変わりがある。イッテツさんの語りには、常に「人」がいた。日ごろ山に入って風景から多くを学ぼうとしている自分には、イッテツさんの「人」を起点にした視点はとても新鮮に思えた。
「どうしようかな、次の橋まで歩こうかな。」青野川沿いを歩いていると高齢の女性にひとりごとのように話しかけてきた。「日が短くなってきましたね」とか「寒くなってきたね」といった他愛のないやりとりは「○○さんが○○してね」みたいな地元の話になり、「○○さんは前原橋の近くの○○さん?」とイッテツさんは質問し、あれよあれよと点と点がつながっていく。
「南伊豆の人たち、とくに地元のおじいちゃんおばあちゃんたちは話しかけられるのを待ってるんで。」
交流会の後にイッテツさんが旅人たちにさらっと言った言葉もとても印象に残っている。
南伊豆、風待ち港と風待ち人、ローカル×ローカル。
検索の外
滞在初日にホストのイッテツさんが紹介・お勧めして下さった飲食店「海老しか勝たん」と、日帰り温泉の「ポリネシヤ風呂」。GoogleMap上では前者は臨時休業中に、後者は「日帰り温泉 下賀茂」と検索しても表示されない。「ポリネシヤ風呂」というキーワードで検索すると過去の訪問者が書き込んだ記事等がヒットするくらい(2022年11月8日時点)。双方とも現地に来て、人から勧められない限りたどり着けなかっただろうと思う。「海老しか勝たん」に行った次の日、ダイビングのインストラクターにそのことを話したら「え?!あそこやってんの?行きたいと思ってるけどやってないっぽくて。」と、地元の人ですらそう。
一方、滞在5日目に利用した入間キャンプ村のオーナーは、ネットの口コミに対する苦言を話してくれた。「たぶん近くの同業者の仕業だと思うんだけど、ありもしない悪い書き込みをされたりして困ってる。常連のお客さんとか繁忙期に手伝ってくれるバイトの子とか、絶対にそんなひどいこと(利用の仕方やサービス)しないはずなのに、利用客があった数日後にあたかもそういうことがあったかのように悪い印象を与えるような書き込みをされたりする。」と。ネットの書き込みにはサクラっぽい書き込みや、憂さ晴らしの酷評としか思えない書き込みも散見するので、私は評価の数字やコメントはあまり信用していないが、利用客を増やしたいと思う当事者にとっては切実な問題なんだと思った。
大切なものはネットには載っていない、そんな言葉さえも時代遅れだという空気にあっという間にのみこまれて駆逐されていく。それくらいネットワークと生活が絡み合う速度はすさまじい。自分が主体的に選択する(していると思っている)行為ですら、すでに分析されレコメンドされた結果の内だったりする。だからこそ検索の外にしかない情報がまだ残っている下賀茂や、携帯の電波が入らない吉田地区のような集落に可能性を感じる。検索の外、ネットワークから外れる、外れることができるという選択肢をもっていることの可能性。
歩くこと、立ち止まること
今回の滞在で日野(ひんの)から弓ヶ浜を経由して田牛(とうじ)の往復、妻良(めら)から石廊崎まで歩いた。下賀茂の街もイッテツさんとの街歩きも含めよく歩いた。歩くことは旅の基本だ。歩いている時の浮かんでは消えゆく様々な思考は、刻々と表情を変えてゆく風景と重なり、歩く先々で体験した出来事が費やした身体的労力の対価としてのそれだと思えて、ある種の達成感や高揚感に包まれる。
その一方で、歩くことをやめて立ち止まってみる。歩くことの対となるもうひとつの旅の基本。
山中で歩くのをやめてしばらく立ち止まっていると、鹿や猪などの動物がひょっこりと現れたりする。鳥たちのせわしい鳴き声が止み、さっきまでとはまた違った鳴き方を始めたりする。足音や呼吸、山を歩くというささやかな行為でさえもそこで生息する生物に少なからず脅威を与えていることに気付かされる。山に入って歩く、ただそれでけですでにその場所の生態系の関係性が揺さぶられていることに気付かされる。しばらくそこに立ち止まることで、私のいない、普段の山の様子を少しだけ見せてくれる。
旅先や山中での「歩くこと」と「立ち止まること」は、制作活動における「つくること」と「つくらないこと」に似ている。あるいは、普段の制作活動を含めた日常生活(歩くこと)に対する今回のMAW滞在のような旅(立ち止まること)にも。
風待ち港と風待ち人、歩くことと立ち止まること。歩く、という主体的な行為をあえてやめていったん立ち止まることで、本来そこに流れている風を感じるとることができる。これは今回の滞在であらためて実感したことのひとつだと言える。
ギャップ・ダイナミクス
滞在6日目の夜明け、入間から中木まで歩いた際、吸い込まれるように南伊豆歩道とは違うもうひとつの中木へ抜ける道へ入ってしまった。道は続いているがずいぶんと荒れていた。草木で覆われ、倒木も多かった。猛スピードで駆け抜けていく猪の群れにも遭遇した。まだ陽の光を浴びていない薄暗い荒れた山道。朝日が顔を出し、森に陽が当たるとその表情は一変した。倒木のある場所は特に明るくなった。地面にも陽があたり、凹凸が浮かび上がった。地表に点在する実生や幼木の存在に気付かされた。
滞在初日、電車とバスを乗り継いで下賀茂にやって来た。普段は車での移動が常なので、電車とバスの利用は新鮮だった。ローカル×ローカルのチェックインの時間までひとりで下賀茂の商店街通りを歩いた。空家や廃業になった旅館、臨時休業の店舗。地方に行けば必ず直面する、よくあるさびれた雰囲気だと思った。
イッテツさんと下賀茂の街を歩き、ここに住む人たちの話を聞くと下賀茂の街の見え方が一変した。さびれた空家とこの街で出会った「旅人たち」は可能性の詰まった実生のように思えた。
ギャップ・ダイナミクスという森林生態学で用いる言葉がある。生い茂る森林で倒木がおこることで森に穴のような空間(ギャップ)が生まれ、暗かった地表に陽光がさし、新たな発芽と成長が移り変わる現象をさす。
山に入り歩くことで地面が踏み固められて道ができる。道ができることで地表に生える幼木や菌に陽があたる。
灯りと暖をとるために火を熾せば、大気に放たれた炭素は再び植物に取り込まれ、光合成を経て私たちに酸素を与えてくれる。
山に入る、歩く、火を熾す、といった一見主体的で能動的に思える行為も、実は大いなる循環の一部分として、人が果たす役割があらかじめプログラムされた受動的な営みなのかもしれない。
おだやかで軽やかに流れる青野川。街のあちこちで立ち上がる湯煙。朝7時になると町内放送で「ふるさと」が流れ、バスが動き出す。下賀茂バス停にはたくさんの小学生たちが降り、空っぽになったバスに高校生たちが乗り込む。
今回の南伊豆での滞在では、MAWが何かをつくり発表する制約のない企画であることにこれ以上ないありがたさを感じた。
あたりまえのようにここで生活する彼らも、私のような偶然訪れた旅人も、冬至に向けて少し角度が浅くなった10月下旬の朝日を受け、古くなってでこぼこしたアスファルトに同じようにまっすぐ影が伸びていた。