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町田有理「ラムネ(最終日)」

そうか、ラムネだったのか。

【is 稲取_010 ラムネ】
滞在最終日。ホストの方から電動自転車を借りて、旧稲取灯台を目指す。
5日目の夜にHさんのお話しに出ていた場所は、車でないと無理だと聞いていたけれど、では自転車なら行けるのではないか、と思ってのチャレンジだ。
滞在最終日だから、筋肉痛も怖くない。

伊豆稲取は、伊豆半島からさらに飛び出し、360度をほぼパールの海で囲われている。

近くの駐車場に自転車を止め、青いアゲハ蝶や紫のシジミ蝶が飛び交う幽玄な道を抜けると、大きめの石灯籠のような建築物が見えた。

「真潮路の ゆくては暗し しけぬまに とく帰りきな この灯めざして」

旧稲取灯台は、1909年にトモロ岬付近の難破船を無くすべく、稲取村の人々によって建設された灯台だ。この歌の詠み手の荻原つねは、初代灯台着手として、明治・大正・昭和にわたる30年間、この灯台に灯りを点し続けた。おかげで難破船の数が減っただけでなく、日々の漁の目印になったと言われている。

旧稲取灯台を見ると、近くにあるもうひとつの観光名所「はさみ石」が、何としても見たくなる。しかし、国道135号をハイスピードで飛ばす車にスレスレのところを走られ、手に汗握りながら自転車を漕ぐも、肝心のはさみ石に至る道が見つからない。

国道からの飛び降りを促すグーグルマップに困り果て、今回の旅人のグループチャットで「はさみ石」への行き方を尋ねる。すると、「国道沿いの山側から下る道がありますよ」と旅人の戸井田さんが写真付きで教えてくれた。もう一度探してみます!と返事をして国道を山側沿いに歩くと、トンネルの前で車が停まっている。誰だろう、危ないな。

しかも、運転手が車から出て笑顔でジャンプしながらこちらに手を振ってくる。

「おーい!ここ〜!」

なんと、宿をチェックアウトしたての戸井田さんが直接、道の入口を教えてくれたのだった。

一瞬目を細めてごめんなさい、大感謝…!!

びっくりして、写真を撮り忘れたのが悔やまれる。


示された廃墟の横の道を抜けて、アケビの実の紫が映える下り坂を下り、「ハサミ石神社」へ。ここまでは普通の道。

この険しさもまだ想像の範疇。

おっふ、完全に垂直の梯子が現れる。

無事に到着。
同じ目線に立って見ると、思っていたより大迫力で、ひとり大興奮。

シュワシュワと砕ける波を見る。
石の下をくぐり、上を見上げる。

するとまるで、ラムネ瓶の中、ビー玉の下に居るかのようだった。

旧稲取灯台が示していた「トモロ岬」(奥)と「はさみ石」(右手前)。

それにしても、なぜ「ラムネ瓶の中に居るようだ」と思ったのだろう。

「誇宇耶」でとんでもなく美味しいお蕎麦をいただいたり、「絹の家」で、つるし飾りの桃の昔ながらの丁寧な縫い方を教えていただいたり、旅立ちの挨拶のために立ち寄った「ダイロクキッチン」でついにIさんの旦那さまと八百比丘尼談義をしたり、町役場の観光協会を訪ねたりしながら考える。

そろそろ東京に戻らないと。
自転車で海沿いを走ると、「EAST DOCK」前の防波堤の上の白い塔が目に入る。

「夏に、ここのテトラポットのない方へ飛び込むことを、『ラムネ』って言うんですよ」

初日にホストの荒武さんから、教えていただいた。
海にダイブすると、自分の周りを気泡が取り囲み、まるでラムネの中に居るような感覚になるのだそうだ。

はさみ石で波飛沫を浴びるうちに、無意識下でそのことを思い出していた模様。

私にとっての稲取は、甘くてパンチがあって、シュワシュワと少しくすぐったいような「ラムネ」そのものだった。

1週間は、長いようであっという間。
季節限定でもいいから、また稲取を訪れたいと思う。

滞在中、大変お世話になりました。
また、別の旅で。