野口竜平(吉原最終日)
窓の外はしとしと雨が降っている。
ずっと貸し切り状態だったゲストハウスをかたづけてゆく。
ドミトリーの整理をおえて、シャワールームや洗面所、作業場として使っていた交流部屋などに忘れ物がないか確認をする。うむ、大丈夫そうだ。
リュックを背負う。
(おお、、)ずっしりしたと重みに目が覚める。
この瞬間はいつもこうだ。
おれはこのままどこへだって行ってしまえることを思い出す。この重さこそが、今のおれのリアルである。とにかく軽くなりたいおれが、それでも背負わなくてはならいリアルであり、背負うことで広がるリアルなのである。
ひとり立ち去る時がおもしろい。宙ぶらりんへの不安を期待ににやけながら、ゲストハウスを後にするのであった。
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東海染工さんに頼んであった竹の染色ができあがるのは午後。竹を受け取ったら東へ向かう予定である。
それまでどうしようかと考えていたが、とにかく外が寒すぎる。首筋にあたる冷たい雨が容赦なく体温を下げていっている。
商店街のひさしまで走り。そこからは雨にあたらなそうなところをあてもなくあるく。
図書館へいこうかなと思った。郷土資料コーナーをみたい。富士山信仰と竹取り物語を調べるのはたのしそうだ。さっそく地図でみた図書館の方へあるくが、途中でひさしが途切れてしまった。
図書館まではあと一キロくらい。突撃するか?と思ったが、とにかくビーチサンダルが寒い。別府を出発した時はまだ9月頭で、ぜんぜんビーチサンダルの季節だったのだが、今日の気候は完全に冬。もう外にいるだけでつらい感じになっている。いったん避難すべきかもしれない。
まだお昼には早い時間だったが、雨の向こうに個人商店の弁当屋?が空いてる風なので、そこに駆け込むのであった。
弁当屋の名前はトマト。
すでに弁当はカウンターに並んでいて、焼き魚の弁当を選んだ。体温を上げなくてはならない。「50円でカレーをつけれるよ」とおばちゃん。せっかくなのでそうしてもらう。店の奥のテーブルが空いていたので、そこに腰をかけて弁当をたべる。うまい。
異質な風貌(たとえばビーサンに大きいリュックサック?)になのか、とにかくおれに興味があるようで、どこからきたのか、なにをしているのか、とさかんに質問してくる。おれの活動は口で説明しようとすると謎が深まっていくばかりなので、こういう場合は大抵ふわっとしたことを言って煙にまいてしまうのだが、まだ豊岡で余った蛸みこしのチラシがあったので、それをみせてみることにした。
するとすごく興味津々で、大分の竹のことを質問してくれたり、おばちゃんの親戚に竹細工職人がいることなんかを教えてくれた。お昼になってくると近所の常連さんたちが次々とやってきては弁当を買っていく、そういう人たちに、いちいち蛸みこしのことを紹介してくれ、お客さんたちも、「うちの幼稚園でやったらいい」「あっちの丘で竹がとれる」「孫たちがきたときにみんなでやりたい」などと好意的に反応してくれるのであった。
この土地にはストレンジャーを受容するタイプのある種の気質があることは明らかである。その理由を堂々とした富士山や、湧き出で流れ続ける水、宿場町の歴史などと関連させてみたいものだが、1週間やそこらで語れることでもない。
ちなみにトマトの由来は、「お坊さんにトマトにしなさいと言われたので。」とのこと。トマト、たのしい店。
ご飯をたべてコーヒーももらって、体がぽかぽか。加えておばちゃんが傘をくれたので、無事、図書館にたどり着くのであった。
郷土資料のコーナーがめちゃめちゃ充実している。いろいろ読もうとおもった矢先に、東海染工から電話がくる。赤い竹ができあがったとのこと。思ったよりも早かった。少しだけ本をよんで、東海染工にいくことにした。
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おれと同い年くらいの女性が対応してくれた。100年前から続くこの工場の一族で、今は竹染めをビジネスにできないか研究中とのこと。
染められた竹は非常に真っ赤だった。これをつかって蛸みこしをつくったらだいぶ印象が変わりそうである。
ただ、長い竹を専用の湯釜に入れるには、割竹をくるくるとフラフープ状にする必要があるのだが、竹は熱を加えると柔らかくなり、冷えるとそのときの形状が固定されるという性質が強いので、赤い竹は完全にフラフープの形で固定されてしまっていた。この状態では蛸みこしには使えなさそう。次回作にむけての反省会をしたのち、解散。
東海染工さんも色々考えてみてくれるとのこと、ありがたい。おれも旅先で竹染色の需要を見つけたらいい感じに繋げてみれたらと思う。
土地の名物である「つけナポリタン」を食べて、イッペイさんに挨拶にいった。「寒いね〜」といって、温かいココアとマシュマロのお酒を出してくれる。優しさと温かさが全身に沁み入る。
瀧瀬さんとイッペイさんは、これからこの土地でアーティストインレジデンスの企画を本格始動させていくよう。「アーティストインレジデンスに必要な要素はなんだ。どういう条件だと作家はやりやすいのだろうか。」という話になったが、このマイクロアートワーケーションに参加してレジデンスの認識が揺らいだこともあり、すぐには思い浮かばなかった。
ただ、「アーティストインレジデンスをつくる」をいったん滞在システムの話にするのであれば、きっとふたりは「そのシステムをつくる必然性」を大事にしながら、「そうでなくてもよい可能性」を作家や町の人たちと模索し続けるようなタイプのプロジェクトをつくるんじゃないかなって思った。
そういうことができる2人と、そういうことができる町だなって思う。
風通しの良いバイブスがセラセラと脈打ち続けているような。飛び出してきた可能性を打ち返すと、次の水路がひらかれるような。そんなワクワクがある町だと思う。
富士吉原に別れを告げて、東京方面へむかう。
急に寒くなったせいかすこし熱っぽい。しかし年末までは風邪を引くわけにはいかない、と思っていたところ「次は〜熱海〜」というアナウンスが耳にはいる。
なるほど、今夜は温泉で体調を整えるのがいいな。
再びリュックを背負い、席を立つのであった。