秋野深 「二歩目を踏み出す行動力」【森町】(7日目)
マイクロ・アート・ワーケーションでは、滞在先の地域住民の方々との交流もプロジェクトの重要な目的とされている。
1週間という短い期間ではあるものの、その間の非常に印象深い体験として、移住者の方々との交流があげられる。
移住者の方々は、私にとって、何よりもまず「行動した人」である。
それが、誘われるように行動した人であれ、強固な意志に基づいて行動した人であれ。
「ああしたい、こうしたいと思うこと」や「ああしたい、こうしたいと口にすること」と「実際に行動すること」は言うまでもなく別次元だ。
多くの葛藤や不安など、他人にはうかがい知れない過程を経て、決断にいたり、そして本当に行動に移す。
ただ、私はここで移住という行為そのものをクローズアップしたいのではない。
むしろ、今回実際に移住をされた方々と話していて自身の関心が向かったのは、1つの大きな決断をして実際に行動に移した、「その後」だ。
私自身の過去の大きな決断と行動を顧みると、いつも「その後」、つまり最初の行動を一歩目とするなら、次の段階の二歩目の行動に難しさを感じることが多かったように思う。
あとになって思えば、それは難しさというより、二歩目に対する躊躇とか消極性という言葉で表現する方が適当な気もしてくる。
そうなってしまう原因は、一歩目の行動にいたるまでにエネルギーを使いすぎたからなのかもしれないし、一歩目を確かに踏み出したことへの自分の中での安心感みたいなものがあるからなのかもしれない。
もしかしたら、一歩目を踏み出した着地点から見える光景が、思い描いていたものと少し違うような気がしたからなのかもしれない。
せっかく一歩目を踏み出せたのに、同じような思い切りや意志の強さでもって二歩目を踏み出せない自分に対するもどかしさ。
それは例えば、海外で暮らすことになった時の現地での日常生活の中でのちょっとした勇気や挑戦。
それは例えば、行こうか行くまいか散々迷った挙句、行くことにした国での撮影の前に立ちはだかる障壁に対する行動。
実際に移住した方々にとって、移住先で始まる日常生活で問われる全ては、ここで言う二歩目にあたると言えるのかもしれない。
今回、森町で数名の移住者の方々からうかがったことというのは、まさにこの二歩目を懸命にもがきながら悩みながら踏み出す様であり、そこにある充実感やもどかしさや、それらがないまぜになったようなものでもあった。
「行動した人」の等身大の貴重なお話の内容を、私自身が私なりにであれ精一杯消化するには、もう少し時間がかかりそうだ。
このマイクロ・アート・ワーケーションへの応募と参加が私にとって一歩目であるとするなら、期間中の私の二歩目はどうだったのだろう。
滞在最終日の今の段階では、まだよくわからない。
けれど、1つだけ実感していることがある。
それは、森町の「行動した人」が、それぞれの多忙な日常の中で、二歩目を踏み出す私の背中をいつも確かに押してくれていた実感である。
【森町1日目】 「ひかえめな魅力」
【森町2日目】 「交通の要衝という価値は永遠か」
【森町3日目】 「ドローンと共に森の奥へ」
【森町4日目】 「私の小さな挑戦」
【森町5日目】 「森と町と太田川」
【森町6日目】 「塩の道をゆく」
【森町7日目】 「二歩目を踏み出す行動力」
【まとめ】 「この森と町のゆくえ」