嘉春佳「土地と交わりつくること(森町滞在まとめ)」
森町から帰った日、最寄駅を出てから見えた景色がこれまでとは違って見えて、不思議な気持ちになった。一週間という短い期間のうちに、すっかり目が森町の景色に慣れてしまったのだと思う。
中心部の「町」から少し自転車を走らせると、夏の日差しを受けて眩しく反射する太田川が見えてくる。そのまま進んでいくと、黄色と黄緑に光る稲穂が揺れる田園が広がっている。さらに先に行くと、さっきまで遠くに見えていた山が近づいてきて、町の方とは景色が変わってきて、「森」の側面が見えてくる。深い緑の樹々、橋の下には川、雨で湿った草木の匂い、標高が高くなるにつれて少し涼しく感じる空気。森町には「森」と「町」の二つの顔があり、それらが決して断絶することなく、すっと繋がって共存している場所だと思う。
森町での滞在を通して、印象に残っていることが2つある。1つは、「森」と「町」の両面が共存する様子からも感じるように、森町には多様なものを包み込む柔らかさがあるということ。
もう今はやっていない古いお店の看板やその店構えが残る町の中に時々、近年オープンしたようなお店があったり、少し離れると新しいアパートやマンションが建っていたりもする。昔から町に住み、これまでの町の様子を知っている人、新しく越してきて町をつくっていく人、町並みとその歴史を残していきたい気持ちや、暮らしに馴染むように活用していきたい気持ち。さまざまな人や気持ちが共存しながら、今の森町の姿があるのだろうと思う。
今回、森山焼きの陶房をはじめ、森町でものづくりをしている人や場所を中心に訪ねることにしていた。ホストの方々や町の皆さんにお話を伺う中で、工房や陶房としてパンフレットに載っている場所だけではなく、ご自宅で制作を続けている方々にも繋いでいただくことができた。どの方も、急に町の外から訪ねて来た自分に対して嫌な顔一つせず、丁寧に説明してくださった。そして全く異なる制作を否定することなく、「あなたの作品作りでもそうだと思うんだけど、」というように、同じ制作をする者として向き合ってくださった。それぞれ土地に根ざした生活と制作のスタイルを貫きながらも、異なるものを否定せず、受け入れてくれる柔らかさがあった。
森町の柔らかさは、森町に着いて最初に向かった小國神社で伺った神道のお話を思い起こさせる。神道には教祖や教典はなく、信仰の対象は八百万の神であり、どのようなところにも神の存在が認める神道の考え方は、多様性を持つものである。小國神社をはじめ、多くの神社がある森町には、自然と多様なものを受け入れる気風が根付いているのかもしれないと感じた。
森町で印象的だったことのもう1つは、ものや人が繋がり、それが土地に伝えられていくということ。滞在中、このような機会でなければきっかけが無かった農業を見学する機会をいただいた。今回企画してくださった農園ツアーでは、できる限り化学肥料や農薬を使わずに作物を育てている農家さんを見学させていただいた。茶畑では、茶の葉を摘めるようになるまで育てるのに数年単位の時間が必要だということ、枯れた葉や枝は養分として土に還り、また作物に作用するということ、見せていただいた茶畑は育てた方から受け継いだもので、この先も次の誰かに引き継ぐはずだということを伺った。森町で暮らし、その土地で試行錯誤しながら独自の方法を開拓し、農業を続けてきた先人と、その知恵や経験を教わり、さらに新しい方法での農業に挑戦する人がいる。土地と共に作物を育てる農業は、自然から自然へ、そして人から人へ、引き継がれていくものでもあるのだと感じた。
このことはものづくりとも通じるように思う。今回訪れた森山焼きは、本家の中村陶房初代中村秀吉が、土地の土を陶器に適したものだと発見し、創設したという。その後、陶房は中村陶房、青邨陶房、静山陶房、田米陶房の四陶房に分かれ、さらに現在は、くずのは釜、暁雲釜、臼田陶房も含めた七陶房となった。焼き物は形を作った後、釉薬をかけて焼成するが、この焼成過程では作り手のコントロールが及ばない。窯に入れたら焼き上がるまで、作り手は作品の状態を確認することはできず、意図とは異なる焼き上がりになることもある。春夏秋冬の季節によっても、窯の温度や作品を置く位置によっても、釉薬の色味が違って現れることもある。失敗や偶然生まれた作品の表情を経験として積み重ねてきた歴史が、現在の陶房の焼き物作りまで繋がっている。
また、始めは一つの陶房だったとはいえ、それぞれの陶房に独自の風合いや個性がある。森町に来て初めて見た、赤い釉薬で焼き上げた赤焼きを作る青邨陶房では、なぜ赤焼きを続けることになったのかというお話を伺った。釉薬の中でも、青磁と赤は表現するのがとても難しい色で、陶房が独立するまでに、赤の釉薬に挑戦し、次第にうまくいく方法を発見して技を深めてきた歴史があったのだという。「赤」は焼き物に限らず、一点取り入れるだけで全体の印象をガラッと変えてしまう強い色である。少し明るいだけでも、少し暗いだけでも、色味の印象が全く変わってしまう「赤」。その「赤」で作品作りをするにあたり、飽きの来ない色を表現することは至難の技で、長い挑戦の末に生まれ、伝えられてきた技なのだと思うと、ますます特別な色に見えてくる。また、同じく赤焼きの暁雲窯の「赤」は、青邨陶房の「赤」に比べ、少しトーンが落ち着いている。この色味の違いは、釉薬がかけられる前の陶土の違いにある。明るい黄土色の青邨陶房の土に対して、暁雲窯では黒土が使われている。土地の土を使って焼き上げられる赤焼きの「赤」は、この地でしか生まれえなかった色味なのだと感じる。
小國神社のすぐそばにある、遠州みもろ焼き・別所窯でも、その場所にあるからこそ生まれる表現を知ることができた。「みもろ」とは神々の鎮座する特別な場所を意味する。ここで使われる陶土や釉薬には、御神木の杉の落ち葉を燃やした灰や、宮川沿いで採れる陶石や、鉄分を多く含んだ鬼板という石など、小國神社の境内で採れる恵みが取り入れられている。その風合いや色味は独特で、見ていて飽きず、とても魅力的だった。土地で採れる恵みをものづくりに取り入れることは、その土地で暮らし、つくるということの必然性を感じる。
土地と共にあるものづくりに関連して、もうひとつ、小國神社のお屋根替えについても残しておきたい。滞在期間が偶然、50年に一度行われる拝殿のお屋根替えの時期と重なったため、檜葺きの屋根が作られる様子を見学させていただいた。屋根を覆う素材となる檜は、境内の檜の樹皮から採ったものが使用される。その樹皮を素材とし、職人が伝えられてきた技によって、きっちりと狂いのない配置で屋根を覆っていく。樹皮を採った後、10年かけて、檜は再び樹皮が採れるまで再生する。50年に一度のお屋根替えに向けて、10年ごとに再生する檜から素材を採り、檜葺きの準備を重ねる。土地の自然と共同した伝統的なものづくりの過程を知り、何かを生み出すことと、そのために使われる素材が循環するサイクルに感動を覚えた。
森町で出会ったものづくりの循環性は、私が最近制作する中で考えていることでもある。ものとして何かを作るということは、それができるための材料を使い、できた後のものを残すということでもある。私は古着を集め、縫う、編むといった手仕事によって再構成し、制作することが多い。この古着についても、ファストファッションが主流の現在、着なくなって処分されてしまう場合が多い。過去に古布の回収業者を見学した際に、分別されて再度古着として商品となったりリサイクルされたりする古着に対して、行く先がなく焼却され埋め立てられる他にない古着も多くあるということを知った。古着を使って作品を作っている自分にとって、制作した後に残ってしまう古着を最終的にどうするのかという問題と重なる部分もあり、以来少しずつそのことを考えるようになっていた。
今、考えている活動の一つに、古着を使ったプロダクトとしてのものづくりがある。これまでの制作では、展示場所に合わせた形態やサイズのインスタレーションや立体作品など、見せるものとしての作品づくりを行なってきたが、それだけに限定し、狭める必要はないのではないか。行き場を失った古着に手仕事を加えることによって、再度誰かの生活に戻っていくものづくりができないだろうか。古着を集め、制作するという過程でどうしても残ってしまう古着の端切れや、行く先がない古着をもう一度送り出すこと。そうして、自身の「つくる」という行為が腑に落ちるようにも思うのだ。それは「美術」としての作品作りと分けて考えるべきではなく、両立し得るものだと思う。森町で見た、土地に根ざした循環するものづくりや伝統に感化され、また森町に訪れた時に良い報告ができるように、ひとまず自分の居場所で、やるべき仕事を続けていこうと思う。
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書いていたゆる絵のまとめとして、撮った写真の中から森町の好きな景色をドローイングとして残して、まとめを終えたいと思います。森町ホストのみなさま、町のみなさま、本当に本当に、ありがとうございました!