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米原晶子「静岡市での1週間を振り返る」

本投稿は、静岡中部地域の旅人として活動した米原晶子が滞在を振り返るレポートです。私は、東京を中心に舞台芸術祭の運営やアートプロジェクトの企画、廃校になった小中学校など遊休施設をアーティストや地域の方々の創造拠点として利活用する取り組みなどを行っています。アートネットワーク・ジャパンというNPO法人の理事長も務めています。活動エリアは「静岡中部」ということでしたが、限られた時間の中でより多面的な地域の表情に出会いたいと思い、静岡市内で1週間を過ごすことにしました。


1、マイクロ・アート・ワーケーションとは、何なのか?

静岡市で過ごした1週間、沢山の刺激を受けながら、頭の片隅ではいつも「マイクロ・アート・ワーケーションとは一体何か?」と、考え続けていた様に思います。地域の方に話を聞く際に、自分がなぜここに居るのかを自分なりに説明したかったし、ホストの空き家買取専科の皆さんも同様に、この問いに真摯に向き合ってくださっていたからです。私たちのホストである空き家買取専科は、空き家をリノベーションして再販する不動産屋さんです。空き家が地域の方に購入されるだけでは一つ空き家が無くなるけれども、別の空き家が一つ増えてしまうという課題意識があり、移住やワーケーションなど、今はまだ静岡に活動拠点を持っていない人々と空き家を活用する方法などを模索している中で、マイクロ・アート・ワーケーションのことを知り、ホストに申し込みをしたとのこと。アーツカウンシルしずおかの方や旅人である私達のミーティングを重ねる中で、自分たちに何ができるか?と悩みながら滞在序盤の街案内と終盤の意見交換会を開催してくれました。滞在序盤の街案内では、公共から民間会社そして個人まで、さまざまな立場で街の魅力を誰かに伝えようと行動を起こしている方々と出会う1日だったように思います。また終盤の意見交換会では、旅人が静岡で感じたことをさまざまな世代の方に聞いていただいて、面白がったり自分の意見を言い合ったり、疑問について一緒に考えたり、なんとも言えない豊かさのある時間となりました。

マイクロ・アート・ワーケーションとは何か?旅人経験者として、うまく言い切れたら良いのですが、全容をわかりやすく説明する定型句はなかなか見つかりません。それでも今の私に言えることは、主催者やホストから旅人に課される義務や役割が極端に少ないので、旅人それぞれが静岡での滞在期間を自分にとって何のための/どのような時間にするのかを決めることができる、ということ。また事業名にあるように”マイクロな”関心や関係を楽しんだり、あるいは貪欲に深堀りすることが許されている時間であったと感じています。


2、静岡で出会った人々

滞在初日、偶然にも静岡の文化を自分なりのやり方で継承しようと事業を起こしたお二方とお話することができました。(その日の様子はこちら)また2日目には、ホストが沢山の方々を紹介してくれました。そんな風にその土地で暮らす方々の考えを深く聞く機会が持てる旅は滅多に経験できるものではありません。そこで3日目以降も、できるだけこの地で暮らす人々との出会いや対話を重視して時間を使っていくことを滞在2日目の夜に決めました。

1週間の滞在で、出会った方々の私が垣間見た一面を書き出してみます。

●人の考えを聞くのが大好きな人(空き家買取専科 黒田さん)
●地域の魅力と暮らしの選択肢を発信する人(空き家買取専科 三輪さん)
●いつでもどこにでも行けそうな新世代(空き家買取専科 インターン木村さん、志賀さん)
●柔軟だけどタフな観察者(旅人仲間 現代美術家 折田千秋さん)
●故郷への想いが最近爆発した音楽家(旅人仲間 仁科亜弓さん)
●静かに創り手と読み手をサポートする本屋さん(HIBARI BOOKS & COFFEE 太田原さん)
●大好きな通りで静岡の喫茶店と文化をアップデートしたい若きマスター(Kissa bar Ebony)
●楽しく視点を変えて、まちの表情をを楽しもうと呼びかける人(シズオカオーケストラ 井上さん)
●片目を瞑って相談に乗ってくれる人(静岡市管財課 稲森さん)
●人と人との接点を大切にしている、テクノロジーの使い手(アーティスト NY_さん)
●家族のような温かさで旅人を迎え入れ、家族より少し遠くから彼らを見守る人(ADDress家守 八木さん)
●静岡、三保の可能性を信じ続けるイノベーター(otono 青木さん)
●歴史や文化に市民が触れる場を作ろうと奮闘する人(静岡市まちは劇場推進課 多々良さん)
●歴史も観光も、暮らしと仕事も、全てをフラットに語る人(正雪紺屋 由比さん)
●170年後も斬新な視点で、まちや自然を残した浮世絵師(歌川広重)
●古今東西の美しさを学ぼうとし続けた染色工芸家(芹沢銈介)

その他にも訪れた場所で沢山の方と言葉を交わしましたが、タクシーの運転手さんに至るまで、私に年齢やどこから来たのか?と尋ねる人は居ませんでした。スーツケースを持っていたとしても、明らかに地元の人間ではない雰囲気でも、こちらの属性を問うことなくただ会話をしてくれる人々が暮らす土地というのは日本の中でも珍しいのではないか、と私はじんわり感動を覚えました。年齢や住まいの確認から始まるコミュニケーションは、自分と相手の境界や区別を確認し合う行為でもあるからか、聞かれた方はどことなく寂しさや居心地の悪さを覚えてしまうものですが、1週間も動き回ってそうした想いをしなかった静岡なら、外から来た者が何かをやらせてもらう時も、そっと見守ってくれるのかもしれない。そう思える旅でした。


3、物語を語り継ぐまち

静岡市は、精力的に作品を創造・発信する劇場が沢山あります。自分自身の活動とも近い劇場を巡るだけでも旅の行程を組むこともできましたが、滞在日程と各劇場の公演スケジュールがうまく噛み合わなかったこともあり、美術館や資料館、記念館をいくつか訪れることにしました。事前に調べてみると、美術館や資料館の数の多さに驚くばかり。とても1週間では網羅できないことがわかり残念でしたが、同時にこんなに身近に沢山の文化施設がある静岡の方々がとても羨ましくなりました。
いくつかの施設を巡ると、どの館にも個人に光を当てる解説や特集が組まれるコーナーがありました。静岡市の歴史には徳川家康が切っても切り離せないことが関係しているのかもしれません。家康の功績を知る機会があることは予想していましたが、三保に新しくできた三保松原文化創造センター「みほしるべ」に三保に憧れたフランス人バレリーナの特集があったことは特に印象的でした。歌川広重の名を冠した、日本で最初の美術館があるというのも非常に興味深い事象です。誰かの人生や考えを通して、街や歴史を感じる。それは静岡の人々に脈々と受け継がれてきた姿勢なのかもしれません。

人に光を当てることは物語を通して何かを知る/想うことでもあり、文学や演劇の特徴とも重なります。物語を扱う作家にとっては、静岡ならではの創作スタイルや作品を発表する方法がありそうです。(既に劇場文化が根付いたことも、地域との親和性を証明していると言えるかもしれません。)また物語に溢れるまちだからこそ、地域に在る物語や情景を一瞬で浮かび上がらせる様な美術や音楽の表現アプローチも作家にとってはやりがいがあるのではないでしょうか。いくつかのアイデアの種が、頭の中に浮かんできています。一方で自宅から2時間の距離にある静岡市が、自分自身の活動拠点のひとつになるには、もっと沢山の対話とリサーチが必要だということも実感した1週間でした。まずは自分自身がこの街でできることは何か、一緒に面白がってくれる人は誰か、次はより具体的な構想をもって静岡を訪れることが、次の私の目標です。


4、最後に
アーティストが一定期間、地域に滞在する「アーティスト・インレジデンス(AIR)」の企画は近年日本でも注目が高まっていますが、その多くは私のような”アーティストと共にプロジェクトを立ち上げ、運営する人”は参加対象にならないことが殆どです。けれども、マイクロ・アート・ワーケーションはアートマネージャーやキュレーターなども対象となります。アーティストと同じ体験をできる機会は、アートプロジェクトを支えるマネジメント分野のスタッフにとって、他では得難い貴重な経験です。アーツカウンシルしずおかには、今後もぜひ多様な参加者を迎え入れて欲しいと思いますし、全国にも同様の試みが広がっていくことを願ってやみません。