ITOまなびやStation MAW2022Report
「滝にはじまり、滝にむすぶ。」
マイクロ・アート・ワーケーション@伊東&東伊豆
それは、東の青龍の飛翔を思うがごとく。
そして、未来に才の登龍門を願うがごとく。
ここは伊豆半島東部火山帯をなす、伊東(ITO)。
その海岸線を快走する伊豆急行は1960年に工事着工、
1961年末に伊東-下田路線開通。
車窓からの眺望の美しさは
日々たゆたう海面を照らす伊豆半島東部ならではの世の光、溢れるところ。
毎朝、海上に太陽が昇り来る、
その大地への朝日の恵みは豊かな緑生を実らせ、
人の健やかさを育むところ。
その伊豆急行・伊豆高原駅ほど近くに1978年からの歴史を刻む
城ヶ崎文化資料館内<ITOまなびやStation>を開設したのは
2021年5月。
2022年10月最終週、
新月を迎えた10月25日〜31日の一週間、
3人のアーティストをお迎えする。
滋賀から 石黒健一さん
茨城から 東浩一郎さん
京都から 周逸喬さん
https://www.instagram.com/zhou_qiaoqiao_/?hl=ja
旅人アーティストの方々が伊東・東伊豆へ集われた。
マイクロ・アート・ワーケーションのホストを務める、栄えある機会。
事前にこの土地の光景を旅人皆さんに幾度かお送りする。
ITOまなびやStationがホストとなって
旅人のどのようなご滞在をお手伝いさせていただくことができるでしょう?
「迎える旅人とその地に住まう地域住民との対話を大事にしてください」と
嬉しい機会創造を委ねていただくマイクロ・アート・ワーケーション。
地域の方々からは
「うちにも旅人に来て欲しい」「ここにも旅人に訪ねて欲しい」と
数々のご要望が寄せられつつ
私も秘策をひとつふたつ。
なぜ、伊東の地を選んでくださいましたか?
果たして、伊東の滞在に何を望まれていますか?
アーツカウンシルしずおかのご担当若菜さんが設定してくださった
事前のZoom MTGにて初顔合わせ。
みなさん、三方三様のご回答。
石黒さんは伊豆半島の中心・修善寺に
ご祖父母様のお家があってご縁が深くていらっしゃる。
石黒さんのnoteのご滞在まとめに詳細が書かれているので
その「望憶」の思いを重ねていただける。
滋賀と京都の境界地・比叡山麓の「山中(YAMANAKA)」という地に、
現在、芸術家集団基地「山中suplex」を拠点に活動をされていて
2023年には紐育に長期ご滞在予定。
その後には、
ぜひとも幼少の頃からの思い出が積層されている伊豆半島に第二拠点をと。
その将来性・可能性を視野に
各地芸術集団と連携しながら静岡随所をR&D進行されている。
伊豆高原において、かつて四半世紀程も実施が続いた
「アートフェスティバル」のこともよく調べておられて
なぜそれほどに「持続可能」だったのかを知りたいと聴かせてくださる。
東さんに伊東のイメージを伺うと「駐車場」というご返答。
東さんにとって、伊豆半島はこれまでにまったく縁がなかった未踏の地。
伊東は観光地だから
あちらこちらに駐車場があり観光客がうろうろしている・・・
そのような光景が浮かんでおられるのだと伺う。
今夏、ものづくり工業都市、茨城県日立市の大甕(おおみか)において
「アートの力が人の力を集める」という知恵と精神を奮い
ものづくりの知や技の地域力を読み解き直して
芸術祭を成功させておられる。
自転車の車輪を溶接して人の心を動かす大作品を制作される一方で
まちがアートの力で自転していく仕掛けをプロデュースされる東さんの目に
果たして伊東は魅力的に映るのかしら。
一抹の不安。
周さんは北京の大学を卒業されて2017年に来日。
現在は京都市立芸術大学大学院で「漆」をご研究、
博士課程2年生に在籍されている。
漆とアクリルをともに素材として漆芸とイラストを手がけられ
中国と日本で作品を展開。
日本や中国のジェンダー問題、人口問題、環境問題など
社会的なテーマから
中国女性の手の所作をモチーフにした作品群を見せていただく。
去年から日本の京都や静岡のお寺など特別な展示環境を探り個展を展開。
中国の纏足の風習をモチーフにした立体漆作品。
平面アクリル絵の具を使って描かれる現代中国社会のモチーフ。
伊東・東伊豆エリアを選んだのは?と若菜さんからの問いに
火山など中国では見られない自然風景や
留学生や観光客が行かないような場所、
地域工芸や自然風景などからインスピレーションを求めておられ
伊東の地でご自身の作品展ができるような場所に出会えたならと
希望される。
お役に立てたなら嬉しい。
いよいよ10月26日午後1時。
城ヶ崎文化資料館に3名の旅人をお迎えする。
静謐な雨あがり。
旅の無事と豊穣を願い、土地の氏神様にご挨拶。
旅人は賓-客神なり。
旅のはじまりは東伊豆・大川 HIRO GALLERY から。
オーナーの藤井万博さんは
「伊豆高原アートフェスティバル」の来し方について
父上の藤井会長が30年前に伊豆高原にゲストハウスを建てられた頃から
その開催展示経緯を永年ご覧になってきた方。
今回、万博さんにご相談させていただくと
アーティストin レジデンスをご快諾くださり
まず「夕食は何がいいですか?」とお気にかけてくださる。
事前に周さんが「お肉が好きです」と言われていたことをお伝えすると
「では、ぜひBBQを用意しましょう。」
「アーティストトークも楽しみですね。
せっかくの機会ですから、
ぜひ今後のおつきあいに繋がる方々をお招きしましょう。」と
ご配慮いただく御賢察、誠にありがとうございます。
15時過ぎにギャラリーに到着してすぐに
万博さんと旅人皆さんは
石黒さんが望まれていた「アートフェスティバル」について
早速の語らいがはじまったのだと伺う。
そして、なんとそのまま18時からのアーティスト・トークに突入。
その光景、以下、連続写真と関係リンクを。
HIRO GALLERY ホワイトキューブの空間で
3人の旅人アーティストトークが全集中で進行する中
ギャラリーの外では、万博さんのお姉さまが
最高に美味しいお料理を終始ご準備くださっていた。
「バルサミコとオリーブオイルを一振りしてから召し上がれ」と
お声がけくださるモザイクのようなサラダの食材のこだわりは
それはそれは味わい語らい弾む、豊穣なシンフォニー。
針生姜を使ったご飯の温もりは今の旬菜をという優美なお心尽くし。
そして、なんと
この夜ご参集いただいていた
伊豆高原ブックカフェ 本と珈琲「壺中天」オーナー舘野さんのギャラリーで
来年4月に周さんの個展が開催されることが即時決定!
マイクロ・アート・ワーケーション初日にして
「こうだったらいいな」というヴィジョンがさっそく実現することに!
来年、この空間に周さんが迎えられ
さっそく皆さんとの再会がなんと初日にして叶うことになる。
実は、アーツ・カウンシルしずおかマイクロ・アート・ワーケーションには
今年の3月にも伊豆高原のプロジェクトチームがホストを務めていて
参加されたアーティストのお一人が帰り際に伊東に置き土産されていた。
「今回の滞在が一度きりで終了してはいけないと思います、
定着させるべきです」と。
継続してこの地にアーティストを迎え入れることへの宿題を
「薄羽さん、次はあなたに託します・・」と重責を賜ってしまったのも
今年3月、ここ壺中天での一大事だった。
今回のホスト応募をして良かったと
さっそく思うことができるなんて! 周さんの個展開催決定の僥倖!
「朝早起きはいいですね、いつでも大丈夫です!」と周さんから事前に伺い
2日目は早朝5時30分に集合、城ケ崎海岸日の出の時間の大淀子淀。
この日の朝、
三人の旅人をおもてなしするように富士山は見事に冠雪。
伊豆半島には地質学的に読み解きされている
魅力的な「ジオサイト」が指定されていて
ユネスコが認定する<世界ジオパーク>としてオーガナイズされている。
景観の魅力とともに
それがどのように地球の自然の胎動から生み出されたのか
教育・科学・文化・マスコミュニケーションの分野を結び
それが「人の心の中で生まれるもの」を築くこと。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから
人の心の中に平和のとりでをきずかなくてはならない」と
知と精神の連帯に根ざすことが
第二次世界大戦後に定められたユネスコ憲章に掲げられている。
ここ萬城の滝は、溶岩によって形づくられ
玄武岩の柱状節理が広がる見事な景観ながら
実はジオサイトには仲間入りができなかった。
理由は、自然景観に異質な人工的修復が施されてしまったからと聞く。
昔は滝の裏から落水を眺望できたというものの
岩石崩落の危険性を孕み
モルタルで安全のために塗り固めてしまった箇所が正面左上にある。
さて、季節は、東伊豆・細野高原のススキが美しく広がる候。
伊豆半島は約2000万年前、深い海の底で活動していた海底火山群が
フィリピン海プレートに乗って、100万年ほど前に本州に衝突し
現在のような半島形態になったのが約60万年前のできごと。
半島になってから80万〜20万年前までには
この大地の彼方此方で噴火が起きて
現在の伊豆半島の中央東西に広がる天城連山がかたちづくられてきた。
今も、伊豆半島は年間4cm程、じわりじわりと本州を押し続けている。
その動的大地に広がる薄(すすき)の広がり。
ここは火山に抱かれた動植物の宝庫。
稲取泥流という、水はけがよくない土石流に覆われているがゆえの
窪地に湿原をなし、貴重な植物が生息する。
周囲に湧き出す湧水は当地飲料の水源もなしているので
水清澄にして多様な火山岩にも惹かれるジオの庭。
静岡県天然記念物にも認定されている湿原を麗らかに歩む。
3日目は自由行動
4日目は旅人の皆さんが地域住民とご面談。
石黒さん・東さん・周さん、
3人のアーティスト旅人の皆さんと
富戸小学校3年1組の生徒の皆さんとの出会いは
果たしてどのような創発が?
伊東市立富戸小学校は富戸村に明治六年設立。
まもなく150年の歴史を刻む。
本年、伊東市初のコミュニティースクールとして
学校教育に地域住民がともに社会教育に努める開かれた学校。
外からのゲストティーチャーを迎え入れるたび
丁寧なウエルカム・メッセージをご用意くださる先生方。
とても心の交流を大切に、日々の教育が紡いでおられる小学校。
そこに育まれる子どもたちの総合教育の時間、9月のある日にお尋ねした。
「実は、10月にアーティストが伊東にやってきてくれることになりました。
旅人をお迎えして、おもてなししてみたい人いますか?」
「はーい!!!!!」
3年1組17名全員が、即座に手をまっすぐに天に向けてあげてくれた日。
その日から毎週2時間づつ、10回の総合授業を通じて
彼らは、自分たちの
「旅人に会いたい・旅人に知ってもらいたい・旅人に楽しんでもらいたい」
その心を熱くしながら
観察力・想像力・行動力・伝達力・創造力・・・・
そして、お互いに評価し合う力を発揮して準備を重ねた。
いよいよ旅人を迎える直前、
教室内ではクラス担当の松本美沙希先生が
生徒の皆さんに語りかけてくださっていた。
「いよいよ、『今日』が来ました。
これからアーティストの旅人さんをお迎えします。
これまでいろいろなことがありました。
みんなの力でいっぱい準備しました。
思い出してみましょう・・・
今日は泣いても笑っても一度きりの発表。
思いっきり旅人の皆さんに楽しんでもらいましょう。」
松本先生のお声が教室内に満ちて、静かに集中力みなぎるひととき。
旅人にチームの力でプレゼンテーションを行うといっても
声が出る人も出ない人もいた。
「発表は大きな声の方がいい?なぜ?」
そう尋ねると
「旅人さんがわかりやすく聞けるから。
気持ちが伝わるから。
僕たちも自信が持てるから。」即座に答えてくれた、あの日。
大きな体育館で発声・発音・調音・滑舌の練習をした9月のある日。
マスク時代のコミュニケーションは
あらたに全身で語りかけるコミュニケーションが必要。
語る力とともに聴く力。
交える・交わる力も必要。
脳内に発火するアイディアを
仲間と結び合って
点が線に、そして面に、立体に。
富戸小学校一世紀半、150年の歩みの中に連綿と受け継がれている
教育精神の発露を、その時々に垣間見る瞬間!
担当教諭松本先生の「さあ、精一杯やってみましょう!!」のお声に
全員が心を一つに「かがやく富戸っ子」の大活躍!!
伊豆新聞記者さんも
静岡大学で人文社会科学研究をされている稲垣茉里さんも駆けつけて
一緒に記録撮影取材をしてくださる。
以下、ご紹介。
生徒さんはいろいろ考えた。
「はじめにアーティストになんて言えばいいかな?」
「どう思う?」
「<ようこそ>かな?」
「うん、どんな気持ち?」
「会うのが楽しみだった」
「そう!楽しみだった気持ちをそのまま伝えて・・・」
そして、本番。
お迎え3人組は、声を合わせて息もピッタリ。
「こんにちは!ようこそ!
お会いするのを楽しみにしていました!
教室にご案内します・こちらへどうぞ・・・」
家での躾?学校での教え?
「こうしたほうが気持ちがいいから」という。
きれいにきっちりと並ぶスリッパ群は心性のアート化。
そして、最後の最後まで
その質感の表現にこだわり
生徒さんたちがなかなか仕上げを許さなかったのが
「三島神社の鳥居」。
生徒さんから相談を受けた。
「鳥居みたいな石の感じにしたいのに
色が違うの。どうしたらいい?」
鳥居には何度も色を塗り直した跡が残っていて。
悩みに悩んだ結果、三島神社の鳥居の質感を現地調査。
前晩、松本先生が質感研究をした写真を拡大コピーして
ぐるりとノリで貼ってくださった。
「2カ月間悩んだけれど、やってみたら30分で完成!!」
本番日、大いに喜びあってようやく完成。
「ちはやぶる(千早降)
かみがみ(神々)の
いさみ(勇み)なれば
みろくおどり(弥勒踊り)
めでたし(芽出度し)」
三島神社の御祭神二柱。
事代主命(ことしろぬしのみこと)様も 若宮八幡(わかみやはちまん)様も 富戸区長さんも、近隣の先輩住民の方々も
目を細めて様子を見守られる、生徒の皆さんの内発的動機の力。
それは、MAWのアーティストの皆さんを迎えるプロジェクトが契機となって
地域のクリエイティビティがこのような次世代創造に結ばれていくことで
アーティストを迎えるということへの発見と感動が顕現していく。
そして、ハイライトは、夜店!!!
鳥居づくりは悩みに悩みましたが
夜店に並ぶお菓子や食べ物は
最初の2週間ほどであっという間に制作完了。
「こんなお店でアーティストをおもてなししたい」の思いで
「無料だよー、いらっしゃい!いらっしゃい!」と
大盛大に大歓迎の大賑わい。
コロナで3年間、祝祭は行われていなかったから
夜店の屋台のにぎわいは
生徒の皆さんが幼稚園に通っていた頃の懐かしい思い出から再現。
どんなにこだわって作ったのか
アーティストに伝えている喜びの表情は
これまでの2カ月間準備を重ねてきた
子どもアーティストたちの輝き。
旅人が「アーティスト」であったからこその
子どもたちの取り組みの熱さも実感させていただく。
しかも、10月末のハローウィンシーズンに旅人を迎えるという想像力は
9月初旬にはすでに作り込んでいた屋台の品々に
ハローウィンのオリジナルデザインがほどこされていたという
「子ども未来プロデューサー」の創造力の賜物!
きっと、誰かが一言
「旅人が伊東に来るのはハロウィーンだよね!」と言ったとき
みんなで「そうだ!そうだ!それがいい!!」と
パッと発案が開花したのでしょう。
「僕たちは私たちはこの富戸が大好きです!」
旅人も好きになってくれたでしょうか?
次はいよいよ、アーティスト・トークの返礼。
子どもたちは高揚感いっぱいに、石黒さんのプレゼンテーションから。
周さん、東さんと続く。
旅人アーティストの活動シーンをつぶさに受け止めた生徒さんたち。
石黒さんのヤップ島の石貨作品を前に遠くの海に想いを馳せて
周さんの作品を目の前に印を結ぶ手を自ずと真似て動かして
東さんの自転車がぐるぐる巡る無限力学に目を輝かせた後に
今度は生徒さんからの質問を旅人アーティストに受け止めていただく。
「質問のある人いますか?」
「はい!」とまっすぐに手が上がった。
「はい、A太さん、どうぞ」
「あの、、、人の役に立つことをどんなことをやっていますか?」
アーティストの皆さんはお互いに目を見あった後に
少し間を置いて
順に一言づつ答えてくださった。
石黒さん
「まず自分が知りたいことをしていることが一番で
人に役立つかどうかはわからないんですけれど
その土地のことや人のことを調べて
それまでの歴史と今の時代がどうつながりあうか
そのことを記録して残していくことで
知ってもらったら人の役に立つといいと願ってやっています。」
東さん
「作品を置いて
それまでに知らなかった人が作品を通じてつながりあっていくことが
役に立つといいと思うのと、単純に楽しんでもらえたら役に立つと
思っています。」
周さん
「漆という工程が日本では知られていますが
中国では漆は食器などで使えないので
漆の歴史が忘れられてしまいます。
中国で漆をやっている人として自分の作品を通じて
中国の人に漆を知ってほしいと思っています。」
「どうして今のアーティストの仕事をするようになったのですか?」
続く質問に
石黒さんが「ものをつくるのが好きだったから」と言われると
「あっ!同じだあ!!」と、クラス全体皆んなが大きく反応。
生徒の皆さんも、ものづくりが大大好き。
この質問の後に立ち話で、A太さんに尋ねてみた。
「役に立ちますか?って、なぜ質問したの?」
返答は
「うーん。人の役に立って欲しいと思ったから。」
そこに石黒さんが入ってきてくださって
A太さんとの対話を再び耳にすることができた。
「役に立つのは難しいですね」と石黒さんが語りかけると
「電車とかで席を譲ってあげるとかいうことじゃなくて
なんか、役に立つようなことって、、」というA太さん。
石黒さんが
「役に立たない存在があるから役に立つということが
大切になってくることもあるし、、、そうですね、
人が必要としているものをどうにかして
譲ってあげるようなことから
とりあえずはしていこうと思っています。」と静かに応え
それを聞いたA太さん、こっくりうなずいて
「うん、ありがとうございます。」と深甚お辞儀して
石黒さんも「こちらこそありがとうございます。」と向かい合う
その存在同志、年齢を超えて対等な対話の姿のあわい。
そのたたずまいに
人と人の間に生まれる真実の何かがあるように感じて
そのような場に立ち会えた幸せを思う瞬間。
旅人の2泊目3泊目は
この土地ならではの
とびっきりの「食」にこだわった八幡野港滞在の宿「ととりば」へ。
写真の一番左が、今年7月に
最高の魚を食べさせる宿「ととりば」をはじめられたご主人阿部さん。
一番右が、近所にお住いの妙齢の住民の方。
「このあたりはね、若い人が少なくなってしまって
さびしくなったなぁと思っていたらね、阿部さんがきてくれたから。
それはもう、嬉しくってね。ほんとうにありがとう。
頑張ってね、応援していますから。」と通りすがりにお声がけくださる。
阿部さんのところに、どうしても宿泊して欲しかった理由
それは、人生初の一人ひと舟盛りを連続二日間!と
旅人に喜んで欲しかった「食」体験の豊穣。
しかも1日目と2日目の仕込みの深さに圧倒的な感動を体験していただく。
「津本式」という
鮮度維持に長けた血抜きを施した伊東で採れたお魚を「食べて体験」。
26日→朝採れ鮮魚
27日→5日〜10日寝かせた熟成魚の食べ比べ。
阿部さんは、
・ここ旅先ならではの新鮮プリプリ食感
・熟成したお魚の食べ比べ
「津本式」がいかに鮮度維持に長け、資源保護に繋がるか
を伝えたいと万全にご用意してくださった。
アーティストの皆さんに真剣に伝えたかったら
旅人の皆さんも真剣に聞いてくれて
表現や着目点が斬新でとても刺激を受けることができたと
阿部さんは後日ご連絡をくださった。
自然の恵みをアート化していく「食」のプロセスは研究の繰り返し。
旅人皆さんに、旅の途中
これまでの体験で何が一番印象に残っていますか?と伺ったら
「ととりば」と声を揃えて
「とにかく凄かった!」と阿部さんのパッションが伝わり来たる。
その後の「食」の美味しさは
全て「ととりば」が基準になったのですよと周さんから伺う。
「伝わる」ことは「伝える」ことの真剣さにあることを
再び胸にする「ととりば」指標。
さて、伊東にはここにしかない建造物があり
例えば日本のクラシックホテルを代表する川奈ホテル。
昭和の時代からの流儀で
テーブルに載せられる銀器は今も磨き続けられているという貴重な伝統。
1936年昭和11年開業からの空気感を85周年を迎えた今も残している。
一方、
市街地の代表的建造物は大正時代の建造物 K’s House と
その隣に並ぶは昭和の初めに大工の匠が競って作り上げたという東海館。
4、5泊目はK's Houseにご滞在。
伊東の建造物の歴史とエリアの連続性を
旅人のアーティスト視点はどのように捉えられただろう?
東さんと周さんは
5日目の自由活動日、伊東を脱出して伊豆半島巡りをはじめられた。
東さんが
「おそらく二度と伊豆半島には来れないと思うので
半島巡りをして全体俯瞰から伊東の良さを見つめたい」と言われた。
そして、伊豆半島南部に向かって時間勝負で走破される中にも
伊東にいては知ることのない石切場や昭和の戦争の痕跡を発見されている。
東さんがnoteにあげておられる一連の行程は
おそらく半島外の方にはもちろん
伊豆に住まう人たちにも未知の驚きが与えられる写真記録。
一方、その日、石黒さんは伊東市内を深掘りしてくださった。
午前中は、地域住民が開催する養蜂セミナーへ。
ニホンミツバチとセイヨウミツバチの違いから
伊豆高原のニホンミツバチの生態の魅力に迫っていただけただろうか?
石黒さんの地域探索探訪は、実に細やか。
陽光溢れる青空のもと、地域の方々と語らう姿を記念撮影。
石黒さんはどこにでも同化して深く潜む、
その土地の守護精霊―ゲニウス・ロキに親しまれる。
そして、いよいよ望まれていた「アートフェスティバル」の源流に
石黒さんは畢竟リーチされることとなる。
きっかけは、伊東市内に数多林立する「重岡健治」彫刻作品に目がとまり
前晩、重岡さんのことを尋ねてくださったことからだった。
奇跡的に、翌日すぐのご面会を受け入れていただく段取りが叶った。
「アートフェスティバル」発起人である谷川晃一さんとともに
同人誌「雑木林」を発刊された麻生良久さんに会っていただいた。
そして、重岡さんのアトリエへ。
なんと偶然にも
麻生さんも養蜂セミナーでボランティアをなさっていたから
ご当地金目鯛の漬け丼のお昼をお誘いして
石黒さんの地域リサーチの琴線に触れていただく。
いきなり、フェスティバル経緯の核心にリーチ。
旅の終盤に
いよいよ石黒さんの探索力と直感力が
当初から希求されていた「伊豆高原アートフェスティバル」への
運命的な探究の引き寄せを巻き起こしていくのを目撃する。
そして
城ヶ崎のネイティブ
この地に生まれ育ち
バオバブの木を継ぎ
ロートアイアン作家として作品を紡ぎ続けておられる
石井良彦さんのアトリエに立ち寄る。
J – Garden と名づけられた城ヶ崎の庭には
30年をかけてこしらえ続けられている
鉄とタイルと南方植物の楽園が縦横無尽に広がる。
ヨシヒコちゃん、よしひさちゃん、と呼び合う
その親交は昔も今も変わらない。
かつての「伊豆高原アートフェスティバル」の輝きは
「お互いにお互いの活動をおもしろがっていた」
その創造仲間の心の照射であったことに等しく
その姿を今に伝えてくださっている。
世代を超えて、世代を結び、
これからの世代に向けて、なにが巻き起これば良いのだろう?
いよいよ城ヶ崎から伊豆高原を抜けて
一碧湖畔の重岡健治さんのアトリエへ。
忘れることのできない、二つの秘話を教えていただいた。
一つ。
重岡さんがニコニコ語ってくださった「お隣さん」。
「アートフェスティバル」は隣人同士の繋がりから増殖していったのだと
伊豆高原の文化創造黄金時代。
「おもしろいと思ったことは、みんなつくりたいからね。
お隣さん感覚で、どんどんみんなでできたんだね。」
もう一つ。
重岡さんの「大きな手」。
伊豆の乱開発が始まった頃、樹木がどんどん伐採され
至るところ山のように積み上がって捨て置かれた木々の姿を見て
作品の足元は根をはるが如く大地から再生させるモチーフで
その巨大で大量な作品群を手がけられている。
お身体はご自身がおっしゃるように小柄でいらっしゃるが
掌の大きさと指のたくましさには秘訣があった。
「熱海にね、わんたんやっていうラーメン屋があってね、
若い頃、片手で自転車のハンドル持って片手でオカモチ持って
いくつもラーメンを届けて巡ったからね。
あの坂道を昼夜自転車で走り回っていたから、指先は鍛えたねえ。」
エミリア・グレコのアトリエの門を叩き師事するも
言われた通りに作品作りをしなくてはならないことへの
師弟関係を突破して
ご自身ならではの圧倒的な数の作品群を生み出して
独自の道を日々凌駕してこられた。
そこには「お隣さん」の声をよく聞くこと。
クライアントが求めるものに寄り添い
できないことはない
心を尽くして切り拓かれていくことへの由来と将来を知ることが叶う。
MAWホストの機会に与り
MAWゲストの想いに寄り添う機会を享受し
MAWならではの地域住民である芸術家のエッセンスの邂逅を授かる
MAW5日目が満ちていった。
最終日、宇佐美。
アーツ・カウンシルしずおかのアートプロジェクトで
BTI <Book Tourism Izu > を展開されている
まちライブラリー・うさみみ 代表の鈴木真紀子さんから
どうしてもアーティストの方々をご案内したいという熱望をいただく。
宇佐美観光協会の方が
「人がたくさんくればいいわけじゃない」と言われていた。
「ここにはなにもない」「ないものがある」
そのことの価値を鈴木さんは伝えられ、アクションされる人。
アーティスト皆さんの宇佐美散策の準備を入念になさっていた。
クジラを描いたシャッターは6m。
実は規制でシャッターアートは3m以上は認められておらず
なんと市民の力作の撤去が迫られているのだと鈴木さんから伺う。
「それなら真ん中を割って3m3mに分けてしまえばいいのでは」と
アーティストからソリューション提案。
宇佐美の風光明媚な自然環境の中に
そこに住まう人が作り上げてきた商店街のにぎわいの今昔を
鈴木さんのまちの案内を通じて想い巡る。
静岡県内で唯一残るという
エロ本自動販売機をアートのギャラリーとして読み解き直す取り組みも。
この自動販売機の歴史から始まるアート装置化の可能性は
女性性にも関わるストーリーから描けることがあるかもしれないと
周さんの直観的な閃き。
来年に予定されている壺中天での個展とつながりあうかもしれない。
周さんに、少しゆっくりと考えてみますと慎重にお答えいただく。
旅の途中、東さんが
街角に設置するアート作品はそのまま置かれて錆びついていけば
それは単なる大きなゴミになってしまうのだと呟いておられた。
地域に住まう人たちによって、丁寧にメインテナンスされて
愛着をもって日々磨き上げられていく存在にしていくことが大事だと
実感を込めてお話しいただいた。
重岡さんが、ご自身の伊東市内の街中の彫像を
お嬢様とご一緒にご自身で磨いておられることを思い出した。
さて、宇佐美の印象はどのように心映えしたことでしょう?
旅のしめくくりは
京都大徳寺塔頭 聚光院伊東別院へ。
夕暮れの時間からの特別拝観の機会を願わせていただく。
トワイライト時空の光景、やわらかな光が灯る時間。
吉村建築においては窓が広く使われる。
ガラスにリフレクションしていく妙味は
日中の拝観では知ることのなかった、この時空、
空間の倍の広さを感じることができるという宵闇ならでは魅力。
千住博画伯作品が聚光院内の襖絵にほどこされて
よく知られる数多の滝の絵とともに生命の森や砂漠
その奥には龍が御坐す。
東に青龍あり。
そして、
旅人来たりて、子どもから大人まで人々の才をひらく日々。
龍が登りゆく登龍門。
未来の光に向かい。
石黒さんが伊東に残していってくださった
「余の光」のブローシャー。
その存在そのものが、
伊豆高原の私たちの基地の机上で
今も私たちの日々の日常生活の時空に光を発している。
懐かしさとともにありがたさを思い
玄武岩や漆のことを考えながら
日々、東から昇り来る太陽の光を迎える。
そして、あらためて
このたびの伊東・東伊豆マイクロ・アート・ワーケーション初日
城ヶ崎文化資料館ITOまなびやStationに集合されたとき
そうそう
江戸時代に使われていた『論語』本を手にしていただいたのだったと
滞在初日を思い返す。
子曰學而時習之不亦説乎
有朋自遠方來不亦樂乎
人不知而不慍不亦君子乎
『学んで時に之を習う、亦説しからずや。
朋あり、遠方より来る、亦楽しからずや。
人知らずして慍らず、亦君子ならずや。』
今回の旅人の来訪から学ばせていただいたことを
いつも復習してみる。なんと嬉しいことか。
きっと来年の桜の蕾が色づく頃には
同じ志を持つ朋友方が再び遠くからやってきて
語り合えるかもしれない。なんと楽しいことか。
そして、
自分のことを誰も理解してくれなくても
不平不満を言わずに、努力し続けること。
古の先人が現代に残してくれた教え。
伊東は、龍宮城になれるだろうか?
そう夢見ながら
このたびのマイクロ・アート・ワーケーションのご滞在を
紡がせていただいた日々。
アーツ・カウンシルしずおか 関係者の皆さま
ご参加くださいましたアーティストの皆さま
アーティストとともに伊東・東伊豆でご尽力くださいました皆さま
心より深く感謝申し上げます。
お一人おひとりのお名前をここに挙げることが叶いませんが
その全てが夢のように繋がりあり結び合い
今、此処からの可能性に光明をお与えいただきました。
誠にありがとうございました。
旅の途中で
東さんに「ホストのまとめnoteは超大作になりますね」と予言された通り
どのようなこともすべてが貴く
どうしても手元の玉手箱に納めておきたいことばかりで
ついつい大長編となってしまいました。
ここまで時間をかけて最後まで追読くださいました皆さま
深謝申し上げます。
未来の光を見つめつつ
ここにMAW2022 伊東・東伊豆のまとめを結びます。
<完>