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さとうなつみ 山の気配(五日目)

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鮎釣地蔵
お礼参りの際に歳の数だけ石が積まれるために
首まで石に埋もれる地蔵

毎日新しい人に会ってお話をする度「ここへ行くといい」と地蔵や山神様の石碑のある場所を教えて下さるから、尋ねる場所は減るよりむしろ増えている。毎日予定していた場所を尋ねてはスケッチして回っていたけれど、予期せぬ出会いは日々絶えず、前もって予定していた場所もさえも周り切れていなかったので滞在を一日伸ばしていただくことになった。

今朝は協働センターで館長の方々との報告会があり、スケッチは午後から出掛けることになった。夜の親睦会のことは長くなりそうなので明日改めて書くことにする。

今滞在している宿は戸倉という場所にあり、そこを1キロ程下り天竜川を渡ると鮎釣りという集落に入る。平日にもかかわらず名前の通り道端に何台も車が停められ、鮎釣りに興じる人々の姿が大きな天竜川の彼方此方へ点在していた。目指す鮎釣地蔵はすぐそこだよと聞いていたのでその通りだと思い込んでいた。

ネットの情報も参考にしながら脇道を歩いては国道へ出て、また脇の古道へ入ることを繰り返す。古道は文字通り古い道なので倒木や石や新芽に覆われ、道はもとの森の姿に戻ろうとしている最中だからなかなかすぐに見つからない。

険しい角度の道や人気のなさ、日の差し加減は「夜になる前にこの山道を抜けて人の灯りのある場所へ帰れるだろうか」と不安を一気に揺さぶってくる。谷合の龍山は日の入りがとても早い。あっという間に夜になってしまうし、民家も街灯も少ないので夜の暗闇は本当にぺったりとした真っ黒なのだ。

地元の方は親切にアドバイスをしてくれる。電波の入る場所は途切れ途切れだから次の電波のポイントまですぐ目指していくのがコツであるとか、もし何かあったときは天竜川を目指せばいいとかいうもの。そういった真剣なアドバイスに山の怖さが益々強調された。久しぶりに夜になるのが怖いと感じていた。

歩きながら少しづつ心細くなり始めた頃に辿り着いた鮎釣地蔵は、人がお礼参りの際に積んできた大量の小石がそう思わせるのか、なんとなく人の気配を纏っていて、少し安心している自分がいた。かつての旅人も街道沿いの道祖神にこんな安堵の気持ちを抱きながら手を合わせたりしたのだろうか。

こうした場所に惹かれる理由は、人が祈ることについて不思議に思うことの他にも、
背中が少しひんやりするような深い山の気配と、温もりを感じる人の気配といった、丁度二極の間に自分が漂っているような気がするからなのかもしれない。

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間違えてたどり着いた佐久間の八幡神社
かなり見晴らしのいい高さに位置していた
参道は石積みの階段で、
もはや坂ではなくて崖