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堀 園実「また会いましょう」(まとめ)

マイクロ・アート・ワーケーション in 松崎町
いくつかの旅先候補の中から、私は松崎町を選んだ。漆喰について知りたかったからだ。

私は静岡で生まれ沖縄県立芸術大学へ進学し、琉球漆喰に出会った。自然も人もみんな同じ空気を吸って吐いて、繋がっている。「呼吸する素材」漆喰に魅力を感じて、作品コンセプトに取り入れて彫刻表現を研究した。

琉球漆喰(左)と松崎町の漆喰(右)

お世話になった沖縄の瓦職人でありアーティストの奥原崇典先生が、「静岡出身なら長八美術館はみてこい」とおっしゃっていた。
あれから16年も経ってしまったが、ようやくこの旅で実現した。

牛原山より松崎町を望む
正面にはかすかに富士山が顔を出している 
左手に駿河湾


「花とロマンの里」松崎町

3月下旬、菜の花やソメイヨシノ、大島桜が満開となり、まさに花とロマンを感じる春真っ盛りの松崎町。田んぼをつかった花畑や川沿いの桜並木にはたくさんの観光客で賑わっていた。
お花を育てた人も見にきた人もみんな笑顔。

迫力満点、大作の牛
色とりどりの花畑
ゴールデンウィークには、お花を摘んで持って帰ることができる

なまこ壁がお出迎え

駿河湾フェリーで清水から土肥港へ。国道136号線を南下。ひときわ特徴的なまこ壁の街並みが見えてきたらそこが松崎町だ。

中瀬邸(松崎町ビジターセンター)

風の強いこの地域では、一度火があがると延焼してしまう。かつてバラックだった頃、何度も火災が起こっていたようだ。
そこで火災から家財を守るため、防風や防火に効果のある漆喰を使い、経済力のある松崎町には立派ななまこ壁の蔵がいたるところにつくられた。かまぼこ型の漆喰盛りの厚みは高ければ高いほど、その家がより裕福であることを示しているのだそう。

旧依田邸(中庭より)
なまこ壁の構造(長八美術館)

ランプ掛けや土壁など屋内装飾にも左官職人のこだわりがみてとれる。中でも鏝絵を芸術の域にまで高めた伊豆の長八(入江長八)の作品を、松崎町では数多く見ることができる。

鏝絵のランプ掛け(御宿しんしま)
長八の間の白虎 阿(山光荘)
長八の間の白虎 吽と、つげ義春「長八の宿」の一コマ(山光荘)
山光荘さんはつげ義春ファンの間でも人気のお宿
壁の龍と奥には達磨さん
長八の作品(春城院)


松崎町左官職人のいまむかし

「左官屋になれば食っていける。」
およそ200年前、多くの左官職人がいた松崎町で生まれた長八は10代で左官職人として弟子入りする。もともと絵が上手かったこともあり、本格的に狩野派の絵を修行すると、左官と絵画を融合させた鏝絵に額縁まで本物そっくりに仕上げる騙し彫刻的な遊びもとりいれた唯一無二の技法を確立した。

雲龍図(浄感寺・長八記念館)
入江長八作品、ここにあり
自然光やお堂の空間を吟味して、よく考えられた長八の狙いが当時のまま体感できる


こうやって、寝転がってパシャリ

余談、中にはこれって本物?というような作品もあるという話だが、長八という名は今でいうフランチャイズで、入江長八本人でなくとも長八を名乗る(使う)といったことをしていたようだ。


作業場の雰囲気、鏝絵作品も中村さんの人柄も居心地が良い(中村左官鏝絵倉庫)


現在の左官職人、中村一夫さんを訪ねる機会を頂いた。松崎の有名人だ。角又やスサ、消石灰の材料を混ぜ漆喰を練っていく工程のお話や、20年ほど前から取り組んでいる鏝絵作品を見せてもらった。使い慣れた作業場や手に馴染んだ手作りの道具類は見ていて心地よかった。
この旅の初日に宿泊した山光荘さんの漆喰のお手入れは中村さんが手がけている。
後継者がいないのが残念。弟子になりたいと言われてもむしろ断っているという。蔵も減り左官職人も左官仕事一筋では生活が厳しくなってしまった。
職人が減った一方で「松崎蔵つくり隊」が発足し、蔵造りの技術や保存修復のノウハウなどを継承している。

松崎蔵つくり隊がつくった蔵(長八美術館の敷地内)

また松崎町ではSAKANワールドカップや全国漆喰鏝絵作品コンクールといった漆喰関連のイベントが開催され、全国から左官のまちとしても注目されている。

蓄えられ財力

依田勉三と「晩成社」
北海道十勝平野開拓へ出発(旧依田邸) 

全国シェア7割の松崎町の桜葉漬け。その大島桜の栽培地はかつて、桑畑で養蚕が盛んに行われ、経済力をつけた農家や商人が現れた。
依田家はじめ武田の重臣だった者たちがこの地に逃れ住みついたことが、今の松崎町のなまこ壁の景観とも繋がっている。彼らは新しく事業を始めるための財源を十分にもっており、全国でも早い時期に養蚕を始め、松崎シルクが誕生した。

旧依田邸の床に埋め込まれた謎の楕円板
なるほど、まゆ蒸釜の蓋だ!(旧依田邸資料)

また岩科学校はじめ子どもたちの教育に力を入れ、自ら発電機を設置し、橋をかけ、今の公共事業がやるようなことも住民自ら率先して賄うほどの経済力があったというから驚きである。

約4割が村民の寄付で賄われ建設された岩科学校
凝った装飾のされた立派な玄関(岩科学校)


国道より海側にある中宿通りが、かつての松崎町の中心地だ。まっすぐに整備された4mほどの幅の通りの脇には、呉服屋や商店が並び、どれもお屋敷で、屋敷地として徳川家からも認められていた。

ここに住む近藤先生によると、この町の設計は日照や風、自然の条件を計算して考えられているという。とても興味深い。しかし大正時代になると、代が途切れたり次々とお屋敷も取り壊されていくようになったそうだ。

観光客の目には今のままでも十分魅力的な景観だが、なまこ壁を施した立派なお屋敷がずらりと並び活気あふれていた頃の光景を思うと、少し寂しさもある。屋内の漆喰装飾は建物と一緒に失われてしまった。近藤家のランプ掛けのように、家主と生活を共にした漆喰作品もかつては数多くあったのだろう。


地理的なつながり

養蚕業以前は、炭焼きや伊豆石の採石などが盛んであった。山で伐採した木材で木炭をつくり船に乗せ川を下り港へ、伊豆石は崖から直接海岸へと下ろし船に乗せて海のルートで江戸や清水へ、一度に大量の品を運ぶことができた。特に重い伊豆石は陸路の山越えよりも船での輸送のほうが効率的だった。

私の住む地元静岡・清水と松崎町は、駿河湾の上を直線で結ぶとかなり近い距離にあり、伊豆石は駿府城の石垣に、またなまこ壁の瓦は清水瓦を使うなど、実際に交流もあったことを知った。

入り口を入ると目が合う、ちょっと怖い
採石場で働く人の像(室岩洞)
採石場から駿河湾へ直行(室岩洞海側の出口)

伊豆半島全体がジオパークとなっているが、松崎町にある伊豆石の採石場跡の室岩洞もジオサイトのひとつだ。断崖絶壁の採石場は、今でこそ整備されているが当時は現場へ行くにも命懸けだっただろう。

ジオサイトではないが他にも化石が採れる地層が江奈にある。ここでは新種のサザエが見つかり、松崎町民の発掘者の名前がつけられている。

しんしまの佐野さんのサノサザエ
時代屋の矢部さんのヤベサザエ


松崎町のまーさんどぅ

まーさんは沖縄の方言で美味しいという意味。
その土地で採れるものを味わうのも旅の楽しみである。味わいながら、土地に染まる。考えずとも脳に伝わるダイレクトな経験だ。


牛原山の朝ごはん会

同じ時期に松崎町を旅したasamicroさんは、まさに朝食と身体表現を絡めたコンテンポラリーダンス作品を制作しているダンサーだ。

朝ごはんに誘われて松崎町が一望できる牛原山の頂上で、手作りのサンドイッチを食べながらジャム作りの話をしてくれた。彼女は旅をしたら、その土地で採れるものでジャムをつくる。特に食材の色は、看板など町で目にする人工物の色彩よりもずっと魅力的だ、と教えてくれた。

一手間加えて煮詰まったジャムの色と味はとても綺麗で美味しく、私の体と頭の中にもしっかり沁み込んでいった。朝の目覚めのダンスの後、赤と黄色(ジャムのサンドイッチ)、緑(川のりおにぎり)をありがたくいただく。みんなで食べるとやっぱりおいしい。土と川の恵に満たされた思い出に残る爽やかな朝だった。

さいごに

なまこ壁の景観を切り口に、色々な方の話を聞くと観光目線だけでは気づけなかった松崎町のポテンシャルの高さを垣間見ることができた。人口6,000人ほどの町は、誇り高い歴史があり、暮らしの中で住民同士の信頼と程よい繋がりを感じた。

この土地の自然に沿って、今も残っているもの、継承していくもの、新しく生まれるもの。
それがぎゅっと詰まった素直な温かい町だ。


私は彫刻家として美術に携わっているが、作品(カタチ)にしていくためには自分にある美術以外の部分をしっかり耕していくことをしなければいけないと思っている。美術畑では美術は育たなくて、他の栄養が必要だ。何に興味があるのか、何にときめくのか。いくら情報を仕入れても、手を広げた程度の範囲の出来事に勝るものはない。結局はいつもの暮らしの中で触れてきたものにきっかけがあり、それを拾って詰めることでカタチになる。

いつもの海岸から見ていた伊豆半島は、旅のあと違うものになった。
今の私は松崎町の位置をはっきりと認識して、路地や港、川や森、細かい光景、そこに暮らすみんなの日常が目に映る。

もしみんなが清水に来てくれるなら、どこに案内しようか。


いつもの海岸より、松崎町を想って


松崎町のみなさん、特に毎日色々なところへ案内してくれたホストの松崎町観光協会の清水さん、松崎町役場の佐藤さん、きっかけをつくってくれた深澤町長、本当にありがとうございました。そしてアーツカウンシルしずおかのみなさんにも、このような素敵な機会を提供してもらい感謝します。
またこれからも新しい旅人がマイクロ・アート・ワーケーションで素晴らしい経験ができますように。


堀 園実
















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