青木拓磨「旅する変人」(まとめ)
熱海から東京に戻り、「あっ」という間に3月になってしまいました。
その気になれば1時間半、ロマンスカーに乗りたくなった時とかにすぐ行ける距離ではありますが、旅というのは近さ遠さではないんだなあーとしみじみ思います。
全ての人に平等に流れてる一定の時間というのは存在しない。
そんなことを旅に出るたび思い知ります。
・2/10
この日の日記を読み直します。旅の初日。ドタバタ旅行記にしたい、変な人に会いたい、と書いていました。この目標はほぼ達成されています。
ほぼ同じスケジュール(1日違い)で熱海に滞在していたタカハシ'タカカーン'セイジさん。
この人がしっかり、ちゃんと、まっとうに変な人でした。タカカーンさんと
同じ滞在時期だったという事はこの旅でいちばんラッキーなことだったと思います。
↑青木タカカーンラジオ、ことあるごとに録ってた。今聴いてもふつうにおもしろい。
青木は昨年まで障害がある人のためのグループホームで働いていて、色々あって音楽との両立が難しくなりリタイヤしてしまいました。
タカカーン氏は福祉法人を立ち上げようとして、視察や勉強も兼ねてこの熱海に来ています。
なんかどっかのタイミングでふっと聞いたんですが、タカカーン氏にとって、福祉をやるってことは自分の表現活動の延長線上にあるのか、と。
即答でyesと言ってたのがめちゃ印象的でした。
自分の音楽活動と福祉活動が、やれクラスタだ緊急事態宣言だなどで分断されていくのとは真逆。
もうひとつ、利用者さんと介護者さんとの関係性について「片想いにも似た、どこか諦めも含んでいる複雑な関係」だという考え方があると、タカカーン氏から聞いて、なにか腑に落ちる感じがありました。
↑温泉帰りの喫茶店で聞いた。
この「片想い」という言葉はきっと、自分以外の誰か、どこかとの関係性を表す言葉として青木が一番しっくりくるもの、だから「旅」というのも「旅人」という存在にも、どこか当てはまるものだな、と超後付けですが思います。
・2/11、2/12
新居幸治さん。
この人に会うのが今回の熱海滞在の目的の一つでもありました。空間デザイナーの安藤遼子さんから「熱海に行くならとにかく幸治に会え」と。
自分が得ていた幸治さんの前情報は「山小屋をセルフビルドでどんどん大きくしてる人」ということだけでした。
幸治さんの立ち上げたファッションブランド「Eatable of Many Orders」は、熱海銀座の商店街の中でもかなり独特の存在感を放っていました。
2日間、幸治さんの家族や多摩美時代の友人達との語らいの場にお邪魔してみて、結果「山小屋をどんどん大きくしてる人」という印象のままでした。
というかそれが、今の幸治さんの表現、作品作りなんだと。これでもかってくらいに。
↑このこけしはまず間違いなく安藤さんの仕業。
2日間ほんとくだらない話しかしておらずでしたが、ファッションデザイナーであるところの「新居幸治」がなぜ今この小屋を大きくしてるのか。
理由は聞かずともわかる気がします。タカカーン氏と同じ、ファッションの先に山小屋が、そしてここで「生活」することにあるんだということが、肌で感じられました。
↑安藤さんと幸治さんで作ったZINE。無料とは思えないバイブル。熱海で見かけたら手にとって!!
・2/14
タカカーン氏の紹介により、「熱海ふれあい作業所」でのボランティア体験。そこでいただいたラジオプログラムの記録「雨上がりの虹を、町に。」
ドキュメントブックを、東京帰ってきてから読んだのですが、たいへん面白かった。
↑ラジオ自体のリンクは開けなかった。
ふれあい作業所の利用者さんで音楽とラジオが好きな高崎さんが、ひとつの出会いからコミュニティFMのパーソナリティとなり、県の文化プログラムとして採択され人気番組になっていく。
高崎さんが自らの障害について語ったり、恋をしていることについて語る言葉はとても率直で、読みながら心にくるものがありました。
その後、高崎さんは体調を崩し、パーソナリティを続けるのが困難になります。周囲の人達は「高崎さん不在でやる意義とは、、」など色々なことを堂々巡りしつつも1年間、バトンをつなぎ番組を走りきらせました。
自分について語る場がある、そしてそれを維持していく。確かにこれは表現であり、福祉であるわいな、、本当に今回の旅は、ぐるぐると熱海という街を思考がまわり繋がっていく旅でした(超後づけ)誰かが言っていました「熱海は狭いよ」と。
↑ぐるぐる回る青木。
例えば福祉、音楽、ファッション、デザイン、祭りでも観光でも表現でも、その言葉の定義をはみ出していこうとする力、お隣さんに侵食していこうとする動き、そんなものを目にするとき、人は感動を覚えるのかもしれません。
書いてて思い出しましたが、タカカーン氏は熱海こがし祭りの動画にいたく感動し「これが熱海だ!!」と震えていました
・ナギサウラ
滞在するゲストハウス、ナギサウラでの生活は不思議な生活感でした。
ホストの戸井田さん夫妻、管理人のA.J、何故かわからないけどタカカーン氏含めみんなで別々の滞在制作で集まってるような錯覚を覚えることが多々ありました。みんなでホテルニューアカオの展示を見に行ったりしたからかな?
戸井田さんが「僕も旅人で応募すればよかったと思ってるんすよー」って何回も言ってたの印象的でした。今熱海のまちづくりに積極的に関わってるのは、戸井田さん自身の表現活動ときっと地続きなんだろうな。
渚町はまあ飲み屋街なんですが、まん防の影響で殆どの飲食店が店を閉めてました。そんなぼくらを支えてくれたのがここ、雨風と書いてあまから、と読む食堂。
ふつうの定食頼んだのは初日だけで、それ以降ずーっとチャッタヘン(ビルマのカレー)食べてた。ビルマのカレーは辛いです。初日に写真撮ろうとして怒られたのも今じゃ遠い昔。本当か分かりませんが、日本で食べれるのはおそらくここだけだと帰ってからネットの書き込みで見ました。
そうだったのか!!!
・まとめ
人によって違うと思いますが、青木の考えるところの旅する目的は「出会う」ほぼこれだと思っています。すれちがう、と言ってもいいかもしれません。必ずしも深い関係を求めているわけではない、なぜならシャイなので。
それでも自分が好きだと、面白いなーと思える、まだ見ぬ人や場所と会いにいく。それ以外に、遠くまで行く目的なんてあるでしょうか。
最終日の朝、毎朝通ってた山田湯に浸かりながら
「向かうのではなく 去ってゆくこと 片想いを歌に変えて」
という歌詞がひょっこり出てきたのでした。
もうひとつ旅する目的があるとすれば「歌が書ける」これに尽きますかね!
あたらしい人に出会って、自分のことも考えてみる。そんなまっとうな旅人でいられました。長いこと読んでいただきありがとうございました。
最後にこの言葉で青木拓磨のマイクロアートワーケーションを締めくくりたいと思います。
山田湯 is comin,back
おわり