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山中カメラ「昔見た富士山の美しさが忘れられない」(1日目)

はじめまして。現代音頭作曲家の山中カメラと申します。
私は日本各地から依頼を受け、その土地に滞在しながら地域の新しい「盆踊り」を制作するということを仕事(作品)として活動しています。
しかし、コロナ禍でこの2年間は盆踊りの制作が全く出来ず、自分のアイデンティーを失いかけていました。
そんな時たいへんありがたいことに、このマイクロアートワーケーションに参加させていただくことになり、希望の滞在場所に東部地域を希望しました。
2013年に盆踊り制作の為、お隣の山梨県で滞在制作を行っていた際、昇仙峡〜黒部地域あたりから見えた富士山の美しさが忘れられず、今回はなるべく富士山の近くに行きたいと思ったからです。

なぜ日本人は「富士山」というものに特別な感情を抱くのか?
恐怖の対象でもある活火山を「美しい」「近付きたい」と感じるのか?
私が今回そう思ったように、「富士信仰」「富士講」など富士山に近付きたいと願った先人たちの願いや思想に詳しい方にお話を聞いたり、実際に富士山を体全体で感じたりして、
実際に「しずおか富士山音頭」を制作すると仮定して、いつも私が他の地域でやってきたような音頭作りのプロセスを実行して富士山に対する「思い」の部分を自分なりに解釈したいと思っています。
そしてウィズコロナ、アフターコロナ時代の自分の制作のあり方のヒントになればとも思っています。

静岡に来るのは初めてで、知らない街に制作の旅に出るのはいつもワクワクします。こんな気持になるのも本当に久しぶりで(コロナに対する不安が加味されている点がいつもと違う)、
前日から車にカメラやら録音機やらロードバイクやらを積み込み、自宅の愛媛県を出発。
関西で一泊した後、述べ14時間かかって富士市のホテル(富士山が見える部屋を入念にリサーチして予約した)に到着したのは夕方6時でした。
あこがれの富士山はまだはっきりとその姿を見せてはくれず、春霞のなかにひっそりと、しかし確かにその存在感で私を迎えてくれました。

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ホテルから見える富士山

まん延防止期間中ではありますが、感染防止には十分に配慮し、
これから一週間静岡の皆様にお世話になります。
よろしくお願いいたします。

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