秋野 深 「潤いと衝突」【小山町】(3日目) -前編-
滞在3日目にして、初めて富士山をはっきりと確認することができた。
やはり山麓から見る富士山の存在感は、他のどの土地で見る富士山とも違う。
3日目の午前中は、小山町のボランティアガイド「四季の旅人」の会長さんに小山町北東部の湯船地区をご案内いただいた。
もともと「湯船温泉あさかえ湯」という温泉・旅館があったところで、今は廃業後20年以上はそのままになっており、鉱泉跡と旅館の建物が廃屋として残っている。
会長さんと2人で集落を歩きながら、地区の歴史や生活など様々なお話を伺った。会長さんご自身が湯船にお住まいなので、まさに地元の方の生活に根ざした解説をいただくことができた。
その中で、特に印象に残った表現があった。
「このへんはね、とにかく富士山の伏流水のおかげで水には事欠かないんですよ」
会長さんのその言葉の通り、集落を歩いていると絶え間なく水の流れる音がどこからともなく聞こえてくる。
伏流水は生活用水、農業用水となって集落の暮らしを潤している。
ただ、会長さんのその言葉がとても印象に残った理由は、伝えてくださった情報そのものや、そこから想像できる水の豊富な地元の方々の生活・・・ということでは、なかった。
私には会長さんの表現自体が、なんだかとても耳に心地よく、自分自身、内容そのものへの自分の反応ではないことも自覚できたので、それで少し不思議な感覚にとらわれたのだった。
聞いた瞬間、「どうして今、ものすごく心地よくなったんだろう」と思うほどだった。絶妙な強さでツボを押された感じとでも言えばいいだろうか。
自然のものであれ、用水路のようなものであれ、小さな水の流れがある情景と、そこで聞こえてくる水の音。
それは自分が最も心地よさのようなものを感じる空間なのかもしれない。
どうして自分は小さな水の流れに惹かれるのか。
その答えを求めに・・・は、いくらなんでも大げさで、「答え」という表現も違う気がするけれど、この小山町の滞在が、何か教えてくれるかもしれない。
小山町での残りの日々に、そんな期待をしている。
Jin Akino
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