水野渚「感じた分だけ時が過ぎる」(まとめ)
今ここ・からみる稲取
1日、1日と、わたしの身体に時間が蓄積されていく。
東伊豆から戻ってきてから、2週間以上の時が蓄積された。
その間、海の外では、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻がはじまり、世界が一気に「非日常」の雲で覆われた。
どんよりとした雲。一部では、雷が激しくなる豪雨。明日は天気にな〜れ。
そんなことを強く願いながら、また時が蓄積されていく。
よく言われることだが、1日1日の積み重ねが人生で、層が厚い日も薄い日もある。1日を24時間だと数値化すると、どんな日も24時間だけど、どれだけ一刻一刻を感じたかは、毎日違う。「時間」もいいけど、どれだけ「時(とき)」を「感(かん)」じるかで計る「時感(じかん)」という指標も大切にしたい。いく層も重ねた大地に立つ東伊豆町で過ごした時間は、間違いなく、私の身体の中で厚い層を成している。
「マイクロ・アート・ワーケーション」、そして稲取との出会い
「マイクロ・アート・ワーケーション」という企画を初めて聞いたとき、まさに自分のためにあるような企画だと感じた。
以前ライターとしてひとり東南アジアで取材記事を書きながらワーケーションをしていたわたしにとって、旅をしながらnoteを書くことは、まさに自分が好きでやりたいことだ。さらに、作品制作が必須ではないことも、成熟する時間を設けながら作品をつくりたいわたしにとって、とてもありがたかった。
これまでのnoteにも書いたが、「海」「古民家」というキーワードに惹かれてやって来たのは、東伊豆町・稲取地区だ。ホストである合同会社so-anのメンバーは、若くしながら町に馴染み、どんどん新しいことを仕掛けていくやり手たち(?)。彼らのような人が増えれば、日本の地方がさらにおもしろくなっていくのだと思う。
わたしは土着民というより、漂流民気質なところがあるので、どこか1箇所にとどまって根付いた活動をすることが、得意ではない。だから、so-anの荒武さんや藤田さんたちのような、地元の人と外から来た人をつなげてくれる人たちの存在が、とてもありがたかった。今回「マイクロ・アート・ワーケーション」プログラムに参加した、大きな収穫の1つに違いない。
歩いて発見した「色」たち
稲取では、コロナ禍のためにあまり積極的に地元の方々と交流を持つことはしなかったが、その分、自分の時間をたっぷり持つことができたように思う。
1週間、とにかく稲取を歩いた。
電動自転車を借りることもできたが、とにかく歩いた。
疲れたら、足湯に浸かって、とにかく歩いた。
歩くと、小さなものをよく見つけることができる。
noteを振り返ると、わたしはいろんな「色」を見つけたようだ。分け難いススキの「金」色と「銀」色、青と緑と橙色の中で映えるたくさんの「赤」色、はじめて出会った「錆御納戸」色、そして透明だけど、たしかにそこにある「水」色。
ところで「色」の語源を調べていたら、おもしろいことを発見した。「色」とは元々、血のつながりがあることや、男女の愛する気持ちを表しているのだという。目には見えない血のつながりや愛が「色」だとすれば、目が見えなくなっても、「色」は感じられるんだ。稲取には、言葉では分類しきれないほど、豊かであたたかな「色」がたくさん存在した。
流れ着いた海の漂着物たち
東伊豆では、よく海に行き、漂着物や海中の音を拾い集めた。ここ数年、世界中・日本中を旅しながら、各地の海で漂着物を拾うのが習慣になっている。
シーグラスは、元々つやつやで割れると危ないガラスだったものが、長い間、波にゆられて旅をすることで、丸い曇りガラスのようになったものだ。
家主がいなくなった貝殻は、廃墟と化し、不思議な形に割れたり削れたりしている。
長い旅の途中か最後に東伊豆へ寄ったところ、たまたまわたしの元に流れ着いたガラスや貝殻たち。
「おかえりなさい」。
それとも、「ようこそ」かな。
稲取の時間を刻んだ身体で、数々の海の漂着物とともに、千葉まで帰ってきた。
まとめのじかん
「まとめ」ようと思うと、頭がぼーっとする。
きれいに分類したり、整理したりするのはむずかしい。
白と黒でわけるのはむずかしい。
善と悪でわけるのはむずかしい。
わたしは本当に、稲取での「日常」を体験できたのだろうか。
誰かの「日常」は、また別の誰かにとっての「非日常」であるし、自分の見方を変えれば、いつもの「日常」が、「非日常」になる。
アート作品は「日常」を「非日常」に変えることができる一方、アートをつくるという行為は、「非日常」を「日常」に変えることができる。
窓の外を見ると、今日も曇り空だ。遠くからは雷の音も聞こえる。
だけどずっと曇りではないはずだ。
今日も、「非日常」な雲を眺めながら、「日常」を取り戻すために作品をつくりつづける。
最後に、わたしはやっぱり、文章を書くことが好きらしい。
noteも書いていてよかった。
自分が生きた証として、これからも記録を積み重ねていきたい。
【謝辞】最後になりましたが、今回マイクロ・アート・ワーケーションを企画してくださったアーツカウンシルしずおかの方々、コロナ禍にも関わらず受け入れてくださったスーパーホストの荒武さんご夫婦、藤田さん、稲取のみなさん、一緒に滞在してお話ししたタノタイガさん、松本真結子さん、本当にありがとうございました。自分を見つめ直す貴重な機会になりました。またどこかでお会いできることを、楽しみにしています。