吉﨑裕哉「流れゆくものの中で」龍山町5日目

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龍山に来るとなぜか早く起きることができない。
明日へのワクワク?noteこだわりすぎ?布団が心地いい?
原因は不明だが今日もゆっくり8時半ごろに目が覚める。

今日はなんと水窪にあるスーパーまきうちにて「山でまぐろ祭り」が開催される。
前回滞在時も伺い、こんな山の中で美味しいお魚をいただけるのはなぜ?と僕の脳内に混乱を招いた素敵なスーパーである。
お腹を空かせ、期待を膨らませいざ水窪へ。

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今日のこのイベントに合わせて出店が出たり、商店街にある他のお店も日曜営業をしていたりと盛り上がりを見せていた。
詳細は割愛するが色々あって結局1時間くらい滞在してしまったので写真でダイジェスト。

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最高でした。まきうちの皆様お疲れ様でした!!

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海鮮丼とネギトロ丼を瀬尻橋を眺めながら天竜川のすぐ隣でいただく。
都会にはない時間の流れを感じられる瞬間。
今日は前回来た時よりも水量がかなり増えていて、また冬が終わった時期ということもあり枯葉などが多く、僕の知っている天竜川の姿ではなかったが
そもそも前回も3日間しかいなかったのでそんなこと言うのも烏滸がましいなと自分を恥じつつ、一体どれほど多くの表情をこれから見せてくれるのか楽しみでもある。

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今日は龍山恊働センターの片倉真也さんの案内で2014年に廃校となった龍山北小学校へ向かう。
ホストの鈴木のぞみさんの母校でもあり、瀬尻のメインストリートの真上にある小学校で、廃校から時は経ち、まだ特にこれといった使い道はないらしいが犬を散歩しに来る人がいたり、子供たちがボールで遊んでいたり、まだまだ地域に根付いている場所に思えた。

使わなくなった校舎を有効活用する事例は多い。
例えばドイツ・ベルリンにあるTheaterhaus Berlin Mitteは廃校になった学校を改修し、大小25のスタジオと1つのパフォーマンススペースを持ち、利用料金も格安で東京などではまず考えられない金額で借りることができる。ベルリンダンサーはここに集まり、踊り、研鑽し、公演をし、その感想を外であーでもないこーでもないと語り合う。芸術を育む土壌を目の当たりにして非常に心地よかった。
また東京では芸能・花伝舎、3331 Arts Chiyoda、CCAAアートプラザなども使わなくなった校舎をアートのために有効活用している。
龍山北小学校も教室ごとに差こそあれど、綺麗で広い教室、壁に取り付けられた手すり(バレエレッスンのバーに使える!!)、パフォーマンスをするに十分な広さの多目的室などお世辞じゃなく良い素材だと感じた。

小学校は誰しも通った場所だし、誰にでも馴染みがある場所だと思う。
そんな場所に芸術が入り、自然と芸術に触れ合える空間ができたら素敵だな。

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龍山北小学校を後にし、片倉さんと別れ、前回お邪魔した大野さんのお宅へ向かう。大野さんのお宅はここよりもっと上に上った場所にあるのだが、本当に素敵な場所で何度来てもその景色の前に足が止まってしまう。
奥から龍頭山、天竜川、瀬尻橋、そして茶畑。手前の風車もいい味を出している。
個人的にBEST龍山風景はここかもしれない。

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そんな大野さん宅も100年以上の歴史がある日本家屋で、ここに住む大野さん夫妻もゆったりとした時間が流れている素敵な方だ。
今日は大野今子さんにお時間をいただき、昔の写真を交えながら1時間ほどお邪魔した。

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今子さんのお話を聞いていて驚くのはとても詳細に鮮明に昔のことを記憶されていることで、一つのことから数珠繋ぎでどんどんお話が出てくる。
長い階段を降りていって、そこに記憶の部屋があり、扉を空け、書架にある本を手に取り中を眺める。そんなプロセスがはっきり見えるとても面白い方。
前回そんな今子さんに魅了され、またお伺いしたが、やはりとても良い時間だった。
多分今子さんだけではなく人間誰しもがそういった記憶の部屋があり、そこにはとてつもなく価値があるんだと再認識させてくれた。

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貴重なお写真と貴重なお時間ありがとうございました!

そして夜はNPO法人ほっと龍山の松下和明さん宅へ夕食にお邪魔する。
ここでもまぐろ祭りの興奮冷めやらずたくさんのお刺身やお惣菜をいただき、松下さんご夫婦、お隣に住む大貫さんご家族のお人柄もあって温かい時間を過ごした。

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龍山の人は必ず言う、「また来てください」と。
8年前から人口が200人も減っているこの龍山でのこの言葉の重みについて考える。現在人口500人。来年は、5年後は、10年後は。
そこに自分がどう関わっているのだろうか。
芸術は生きることに必ずしも必要ではない。
でもいつだって人は気づかないうちに芸術(もしくはそれに付随するもの)を求め、支えられ生きてきた。
平和な時でも、戦争が起きていても。

人は何の為に生きているのか。
わからないけれど、どうせ生きるのなら、無意味でも、豊かな人生にしたい。
その為に芸術がある気がするし、そう信じています。
最後の村に、咲く花が、人の心に何をもたらすのか。
芸術家の悩みは尽きない。

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