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藤原佳奈「松崎町への応答(5日目)」

19うたのこと

5日目。
朝から、地域の歴史に詳しい森さんにお話しを聞く。
木炭や養蚕で栄え、風待ち港として交通の要所だった松崎町は、教育も盛んだったらしい。お話を聞いて、かつての町の豊かさが、今も町の大らかさにつながっている気がした。

前日、観光協会の方から、「明日の朝ごはんに良かったら……」といただいた清水屋のパン(そぼろパンと、桜葉あんパン)二つを朝からたいらげてしまったので、
お昼は軽めに、と、丸平さんの珈琲ですませた。
お店の方が気さくな雰囲気で、「どちらからお見えになったんですか?」と聞かれたので、「長野です~」と答えると、「うちのオーナーは長野好きなのよー!」と。少しお話しして、店を出た。

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漁港の方をぶらついていたら、

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「あのーーー!長野ですってーーー!?」と、女性が走ってきた。
「さっき長野の人が来たって聞いて!」「店の中で話しませんか!!」と、熱を帯びて話しかけてくれたこの方は、丸平のオーナーの高橋百代さん。(写真右)

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長野の近くをドライブしていたときに、茅野に行きたいという海外のヒッチハイカーを乗せ、5時間ほどかけて茅野まで連れていったのがきっかけでご縁ができて、長野が好きになり、定期的に行くようになったらしい。
わたしは長野にいると海に行きたくなるけれど、海の人は山に行きたくなるんだな。そりゃそうか。

高橋さんはもともと網元(漁業経営者)だったらしく、この喫茶店かつギャラリーの丸平は、もともと氷を貯蔵する倉だったそう。外壁はそのままに、内装をリノベーションして今の姿になっている。


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一階にも二階にも、ギャラリースペースがあって、
月替わりで様々な作家さんの衣服や盆栽や米などを販売しているそう。

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「松崎町の人達は風通しがいいですね」と伝えると、色々人が来るしねえ、と、富山の氷見の網漁の人達が定期的に松崎町に網漁に来て、その世話をしていたことなどを教えてくれた。

午後は、jade cafeさんで松崎町「絲」conceptの代表の高野恵聲さんにお話をお伺いした。
先日jade cafeに来たとき、たまたまカフェの片隅においてあった「マツタキ今昔物語絵巻」という本に目を奪われた。

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美しいコラージュ写真と、別紙に書かれた物語が封入されていた。

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本は、蛇腹で折られ、一続きの絵巻物状になっている。

丁寧なリサーチをもとに作られていること、そしておそらく、この創作メンバーは全員女性だろうと思った。すぐにお店の方に、「これはどこで買えますか?」と尋ねたけれど、もう販売はしていない本だと知った。

そこで、これを創作した松崎町「絲」conceptさんのどなたかに取材をしたい! と観光協会さんにお願いをして、高野さんとの場を設けていただいたのが本日。

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東京から松崎町に移住されてもう数十年経つという高野さん。
移住当初、人が暮らすのにちょうどいい町のサイズ感や、子どもを野放しに育てられる環境に満足感はあったけれど、「もう少し、芸術に触れられる場があれば……」と思っていたそう。

東京にいたころ、演劇を観るのが好きだったという高野さんは、それから親子で楽しめるような観劇のプロジェクトを立ち上げ、毎年劇団を松崎町に呼ぶなどの取り組みを7年間も継続されていた。

その後、「町と、アートの接点がもっとあれば」と志を同じくする仲間と共に、“松崎町「絲」concept”を始動し、文化プロジェクトに採択されて作ったのが、『マツタキ今昔物語絵巻』。
ガイドブックではない形で、アートを媒介にして、町に興味をもってもらうことを目指し、“現代の民話を編む”をコンセプトに、磐長姫伝説など古くから伝わる民話や、地域の高齢の方に聞いた話、現在の伊那下神社の宮司さんの話、あるいは、町に住む猫など、今昔さまざまな題材をもとにして創られている。

ワークショップを開催し、プロジェクトの参加者全員がその題材に脚色をして物語を考えたらしい。それをライターの住麻紀さんがひとつの物語にまとめ、参加者や町の人が撮った写真を、フォトコラージュ作家の行貝チヱさんがコラージュして仕上げた。
そのプロセスがとても面白いと思った。

民話は、伝承する中で形を変える、というそのいかがわしさが、私は好きだ。ある物語から個々人が想像を繰り広げる、その過程こそ、物語が生きる瞬間だと思う。

そして松崎町「絲」conceptは、意図したわけではないが、当初いた男性メンバー一人は途中で抜けたそうで、やはり女性のみというメンバー構成だった。

民話でもなんでも、女性の存在はよく、消される。
これは社会が反映されているので、そんなことを思うのは日常だし、
そしてこれは私よりも若い世代からどんどん変わりつつある感覚なので未来に期待しながら地道にやっていくしかないのだけれど、
過去の文献を振り返ったときに、あったはずの声が、薄められている、ないものにされている、というのを目撃する度に、鈍痛が走る。

『マツタキ今昔物語絵巻』は、女性の存在を意識した人達が創るからこそ、掬い取られていると思える題材がいくつもあった。

展示のイベントを開催し、作った本はすべて完売してしまったけれど、簡易な本としてまた製作する計画を立てているらしい。是非、創られたプロセス含め、色んな方の目に触れる機会があるといいな、と思った。

“マツタキ”というのは、ポリネシア語で“清らかな心の人が集うところ”という意味で、一説には、それが“松崎”の語源らしいということから、“マツタキ今昔物語”と名付けたそう。

糸を編むように、様々な人との出会いで松崎の物語が紡がれていくといい、と、高野さんは語った。

そして。
民話や歌を何かひとつはリサーチして帰ろう、と思っていたのだけれど、
今回は『マツタキ今昔物語絵巻』への応答こそがやるべきことなんじゃないか、と思った。

磐長姫伝説から、短くても何かを、書いてみることにした。

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夜は、同じ旅人の持塚さん、中村さんと、観光協会の方、これまで案内してくださった方々と交流会。

交流会の前に、一人漁港に車を停め、月食を眺めていたら、人生で初めて職質された。





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