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あまる「下田 ο 滞在 ο 総括 ο 弾玉」(まとめ)

はじめに

#アーツカウンシルしずおか の事業、
#マイクロアートワーケーション における、
#あまる#下田市 滞在が無事に満了しました。

6泊7日の旅でした。

地域に滞在しながら、人・食・風景・自然・歴史 等 に触れ、
交流や独自の視点をもって地域に新しい価値を見出していくための本事業。

それぞれのテーマごとに振り返ってみます。

第一章『人』

街巡り後、下田市での滞在アーティスト方、下田市役所産業振興課の皆さんと。※撮影は 地域おこし協力隊の青木さん ※マスクを外したのはこの時のみ もちろんこの間トーク無し


今回は人的な交流をなるべく控えての滞在となりました。
当初は地元高校生方との交流や、施設慰問や朝市等での大道芸の場など、ご担当の福井さんと事前に相談・調整などをさせて頂いておりましたが、これらは全て中止になりました。

はてさて… では、いったい私に何ができるのだろう?と、文字通り "暗中模索" な旅となりそうな予感すらありました。

そうした中、
直前の思い付きではじめたのが『Bouncing In Shimoda!』の活動でした。

これは、下田市各所を巡りながら、#バウンスボールジャグリング ができる場所を探し歩き、見つけたところでそこを映像に記録していく企画です。
映像であれば、"今" 目の前で交流ができなくても、いつかの誰かの関心と このときの記録とが間接的に交流するときだってあるかもしれない。人的交流はこの事業のミッションの一つでもあるのにそれができないということを打破! これかー

思いついたが吉日。
これこそが今の私にできる唯一の良策…のように思えてなりませんでした。

少しの脱線をお許し頂きまして。
静岡市街の片隅にある おでんBAR小劇場『あそviva!劇場』は、私と妻でパフォーマーのひっきぃの二人で運営しているお店。ここを拠点に コロナ禍になってからは一日で #ショートフィルム#プランゼロ から創ってその日のうちに公開する映像制作企画『シネマdeVIVA!express』という事業をスタートさせました。

この二年間はほぼ習慣のように自撮り動画を撮ってきたので、そのスキルが今こそ生かされるなあ、そのように思ったのです。

特別な機材は使わずに(というか持っていない)、今回はすべてスマートフォンとジンバルのみを使用しての撮影。スタッフもいません。交流を控えるためにも全てのシーンがセルフでの撮影です。

また、そのような経験の中で 今回の旅のホストが下田市役所さんであることが最大のメリットとなる企画 であることも感じていました。

具体的には『撮影許可』についてです。
本来のルールからお固くいけば、前日(場合によっては当日!)の撮影許可が相談のもとで即おりるなんてことは「あり得ない!」ことは重々承知の上で、あわあわと相談する私の心配事を吹き飛ばすように、非常に柔軟に対応をしていただきました。

必要に応じて関係各所とダイレクトに話をさせて頂きつつ、結果的には私の挙げた撮影候補地の多くで『撮影許可』を頂くことができました。

今回の私の撮影スタイルが
①自撮りもしくは置きカメラ
②映り込みに配慮する
(人が多いときは撮影しない)
③ドローン飛ばしたりしない

大掛かりではないことが功を奏したことは言うまでもありませんが、こんな風に寄り添って頂き、私は旅の始まりをとても前向きに迎えることができたのであります。

バンザイ!

道の駅・開国下田みなと での初顔合わせミーティングでは、構内4Fにあるミュージアムにて、下田の太古から現在までの歴史をじっくり感じる時間を頂く ※撮影は 地域おこし協力隊の青木さん


アーティストの皆さんとは「今度会うのは報告しあう時(旅の終わり頃)だね」と声を掛け合い、この日は別れました。交流は最小限に。実際そうなりました。

最終日前夜の報告会。左から癸生川栄(eitoeiko)さん、越智良江さん、私、今井尋也さん。
細淵太麻紀さんとは今回は残念ながらお会いできず…


報告会では、皆さんそれぞれのこれまでの軌跡やここへ至るまでのお考えなどうかがうことができました。私も勝手なことを様々述べた気がします (汗
実のところ、アートワーケーション、滞在制作等、私にとって未知の活動。
その意味でも方々のご経験談は学びの多いひとときで貴重な時間でした。
またの再会を約束し、皆様とはここでお別れです。

人的交流を控えるとはいえ、やはり宿しかり、食事しかり、現地で誰かのお世話になる機会を完全に除外することはできません。

下田市内での『Bouncing In Shimoda!』活動が本格化していく中で、時には市の管轄から離れて「民間の施設や団体、個人とほんの少しでも交われないものだろうか…」そのように思うようになっていきました。交流は最小限としつつも…

その突破口となったのが、滞在後半にお世話になりました
#白浜 の高台にあるペンション、#百万本のバラ さん
#横川 の温泉宿泊施設、#千代田屋旅館 さんでした。
#吉佐美 の #プチホテルベッセル さんも、この企画(Bounching In Shimoda!)に関心を持って下さいました。

宿は無条件にその地に飛び込める場。一週間の活動拠点を築いて動かずいる方がリズムを作りやすいが、安全に配慮しながら安定を求めず移動を続け「さてどうするか」を繰り返す方が私の旅にはよいだろう。そのように思っていて、それが正解でした。

百万本のバラ さん。過ごし方の自由度が高いペンション。景色最高!
千代田屋旅館 さん。温泉はもちろんのこと、ご主人夫妻のやさしさ と ヤギ二頭に癒されます。
プチホテルベッセル さん  この階段がすごい気持ち良く。清潔感があって心も清らかに。


千代田屋旅館さんの若旦那・井野さんからは
下田市街にある「たけあかり(#竹たのしみまくる下田)」の情報を頂き、翌日の飛び込み交流につながりました。

「竹たのしみまくる下田」工房の山田さん、私、プロジェクトリーダーの田中さん、ねにべえ


下田の商工会議所さんの取り組みや、アフターサマープロジェクト実行委員会(夏の観光ピークが終わってから地元有志の皆さんの本当の心意気がある!…と知る)さんの思いなどに直接触れることができました。

課題があり、有志が集まる。いつだってどこだって、志あるところに光は灯るのです。

つながったご縁。5月の黒船祭開国市、ぜひお邪魔させて頂こう。願わくばコロナがもっとおさまっていますように。

さて、ここまでとはまったくの別筋ながら、
千代田屋旅館さんに行く途中「秘湯 昭吉の湯」の案内板が気になりました。
色々とお話や噂話をうかがううち、時間があれば寄ってみたくなりました。
飛び込みで伺うと「電話予約」が必要と知り、改めてお邪魔することに。
結果的に、ここが私にとって本事業内での最後の訪問地となりました。

ハンモックを自作。
高台のステージを自作。
「ひめざくら」は自ら植え、温泉コーヒーも自作。奥にはソメイヨシノや河津桜も。
温泉の建屋も浴室もすべて自作。ちなみに石は貴重な「伊豆石」。
この巨大なヒノキの浴槽も建物も自作。
自らの土地でこれらすべてをプロデュースするのが「昭吉の湯」代表の上野さん(左から二番目)
左はホセさん、シベリア犬は「ムーちゃん」、右隣は従業員のなおこさん、あと私。

山をかけあがるための私道の整備からハイジのブランコまで、そしてまだまだ創作が続いている(今は石窯をつくるところとか!)という、オーナーの上野さん。今回の撮影のことも快く受け入れて頂き、むしろ色々アイデアも出して頂いた。上野さんの計らいでホセさんの生歌も。感染症対策もぬかりなく大事に行っていました。

溢れるパワーと人間力、そして最高の温泉を求めて、リピーターが続出するのも納得です。オンリーワンの存在感で世界中をトリコにする、そうした"マン"パワースポットが下田市内にあることは地域にとってとても重要だと感じました。
そして大道芸は移動式のソレであるべきなのだと改めて思う。
この出会いに感謝します。


第二章『食』

今回の旅で、地域との交わりにおいて私が一番手を抜いたもの。
実をいうとそれは『食』だ。

専らコンビニ惣菜のお世話になりました。
とにかく移動に次ぐ移動、撮影に次ぐ撮影、編集に次ぐ編集という毎日で、食事を落ち着いて摂取する時間など皆無でした。

反省点を挙げるとすれば、そう、食なのであります。

その中でも唯一、
スキマ時間を見つけて出かけることができたのが #下田バーガー (リンク先は食べログ) さん。顔合わせミーティングの際、立ち寄った道の駅『#開国下田みなと』にて発見。1Fに気になる看板を立てているお店です。

その中でも一番人気という キンメバーガー は 地元名産・金目鯛をつかったオリジナルバーガー


オーナーさんが不在だったのと、旅の終盤、私の予定が詰まっていた関係で直接お話は伺えませんでしたが、どうやら下田に移転される際、地元に特化した商品として生まれたのがこの下田バーガーのようです。
大雨で荒れた天候でしたが、次から次へと人が入ってくる、超が付く人気店なのだと気づかされます。金目鯛という地域の特性、見た目のデザイン性、でかすぎて食べにくいエンタメ要素、そして間違いのない美味しさ。すべてを裏切らない逸品というのは大げさだろうか。
私はこのバーガーに触れ、下田でしか上演されない大道芸の演目、というのがあってもいいと思った。その構想も、なんとなくぼやっとまとまりつつあるが、その件については秘密だ。


第三章『風景』

下田にはいろいろな人たちがいて、当然ながら暮らしがあります。
観光地だから、その普段暮らしの中に〈観光客の受け入れ〉というのがすごく当たり前に根付いていると感じる瞬間がありました。

各地でバウンスボールジャグリングに興じている私、くるくるねにべえとヘンテコなバケツを持ち歩いている私に地域の人たちや、観光客の方々は声をかけてきました。

時には拍手をもらったり。
遊歩道でバウンスジャグリングしている違和感にも一切動じずに「励んでるね」の一言。
散策中は、手さげにいる ねにべえ に反応してくれます。この子と旅をしてよかった。
この向かいの旧澤村邸ではこの日 高校生のアート作品展示が。
その子たちにも「かわいい…」とひそひそ声を頂く ねにべえ氏


ニット帽アンテナを立てながら奇妙な人形を持ち歩き、ボールを弾ませては失敗しを繰り返しながらその場に居続ける私、…のような違和感は、もしかしたら下田に人たちにとっては声をかけやすい存在だったのかもしれません。「あんた一体なにしてるの?」「それはなに?」と。

私が踏み込んでいけば、もしかしたらそこから始まる交流もあったかもしれません。ただ、そこには消極的な私がいました。自己紹介でとどめておく。自分が何者で、なぜ下田にいて、何をやっているのか。それだけをお話しする。正解はわからないけど、話しかけてもらえるということは、やり方はそうそう間違ってもなさそうだという証かもしれません。

いっときのお邪魔をしている他所者の私は、ただそこにいるだけで下田の新しい風景の作り手でもあります…?!

そんなことを意識しながらその場にいるだけで、
ほんの少しだけワクワクする私たちなのであります。

第四章『自然』

今回の『Bouncing In Shimoda!』の活動は、
バウンスボールジャグリングをありのままの下田の自然・環境の中で行う様子を撮影し、ストックしていくものです。

わかりやすく説明すると、バウンスボールができる環境(フラットな台を現場に持ち込む等)をこちらで一切準備しないということ。
あくまで行く先々で「ここならできるかもしれない」という偶発的な出会いのもとでバウンスボールジャグリングを試みていくわけです。

スーパーボールを投げて弾ませることをイメージしてみてください。

つまりは、どこに弾んでいくかわからない、あるいは衝撃が吸収されて一切弾まない(水とか布とか砂とか)、そういうところではそもそも活動ができないことを意味します。一見フラットに見える床でも、滑り止めのために普通は少しざらざらさせたりしてその安全性を高めています。完全に理想的なバウンスボールの演技環境というものは、自然界にはないに等しい(あるいは出会うことが難しい)と思います。

だからこそこの活動は面白いと思いました。
どこでもできることではないのです。探す価値がそこにはあります。

映像を撮るにあたり、必ずやらなくてはならないことは、
その場所とバウンスボールの対話です。

まずは
①「弾みますか?弾みませんか?」(現実性)
そして
②「予測できる跳ね返りですか?」(再現性)
さらには
③「理想の何%で跳ね返りますか?」(相性)

おおまかにはこの3要素をもとに、やるかやらないかを判断します。
そのうえで、

④ そこは演者にとって(カメラにとって)安全な場所か?
⑤ 撮ってもいい場所か?

といった問題が加味されます。

これらの中で妥協できない要素は①と④と⑤。
②と③に関しては理想を捨てさり取り組みます。こと自然環境となればなおさらです。投げても予測通り跳ね返ってこない、弾んだとしても欲しいところまで帰ってこない。その場所ごとに鍛錬をし、正解をみつけ、乗り越えなければならないことを意味します。これが実に面白かった。そのせいで毎日映像素材の山がうまれ、大変な手間が増えてしまった。

少しだけ馬鹿な話をします。
ジャグリングのなかでバウンスボールジャグリングはややマイナーなアイテムに感じています。ただ、世界中にプレイヤーは(アーティストも)存在している。であるからこそ、やるからにはこの下田の地で、バウンスボールジャグラーの聖地を探し出そう。
「Ohh!いつかJapanにいったら、Shimodaの〇〇〇でBouncingしたい~」そんな風に、静かに話題になっていくようなものになれば最高だ。
等というおろかしい野心も内に秘めながら、各地を巡っていました。

和歌の浦遊歩道で見つけた、バウンスボールに理想的な場所①
アロエの里遊歩道で見つけた、バウンスボールに理想的な場所②
爪木崎の海辺で見つけた丸太の流木、これもアトラクティブでよいバウンスボールスポットだ。
龍宮窟でも、ハート型や 海へ抜ける洞窟よりも、巨石の方に目がいく。

バウンスボールをたしなむ理想環境を追う中で、見えざる下田の新しいスポットを発掘できるのではないか。バウンスボールジャグラーの端くれとしてそのように考えています。
マニアックながら、これはそれなりに新しい視点ではなかろうか。

第五章『歴史』

下田の歴史といえば、
日本史の転換点ともいえる【開国】の舞台となったこと。
ほんとうに黒船がきて、
ほんとうにペリーやハリスが上陸したということ。
これは紛れもない事実なのでしょう。

歴史の表舞台となったご当地であるだけにその裏側のエピソードもなかなかに生々しい。

正直に言うと、
私は歴史ロマンには酔うタイプでNHK大河ドラマなどもつい没頭してみてしまいます。

これまで実際に、
歴史の出来事に絡めた大道芸の寸劇などを創ることもありました。野中至・千代子夫妻、二宮忠八、浮田幸吉、ちょっと飛んでアンデルセンなど を題材にしたことがあります。最近は静岡市街にかつて存在した芝居小屋のまちのことを題材にした小劇場用プログラムを準備したり(これはまだコロナ禍で開催延期したままですが…)等々、失われた世界に今風のリアリティを持ち込んで照らし合わせる実験的な作品が好きです。

下田に滞在となれば、
当然そういったところの創作熱が上がるだろうし興味も向くのですが、
今回の滞在ではその部分は抑えめに活動しました。
活動の主流がバウンスボールのあれこれとなった以上、限られた時間の中、それはもはや寄り道でしかないと思われたからです。

ただ、そうした中で
今回の試みでうかがえた歴史遺産もありました。

#吉田松陰寓寄処
#お吉ケ淵
#青少年海の家 (#旧尋常小学校)

以上の三か所です。

吉田松陰寓寄処では事前にロケハンを済ませていて、「もしかしたら後日お邪魔するかも」との話はさせてもらってました。
後日許可を得てこちらも正式に撮影会場に。恐れ多くも大黒柱を(物凄くやさしく)バウンスさせての芸を撮影。どのくらいやさしいタッチかは、気になる方はこちらの動画にてご確認ください。

若き日の吉田松陰が出国準備のためここに隠れていたことは、時が許すまで誰も知らなかったというのだから驚きです。実在の人物だったということを実感できる貴重な歴史遺産です。
管理人の高具さんからは『Bouncing In Shimoda!』の活動について「新しくて面白みがあるね」と温かいエールを頂きました。
※実は声のご出演も頂いています。

海の家に関しては
大前提として地元である田牛の方々との交流や相談の先にはじめて描くことができる未来ですから、今はただの空想でしかありませんが、あえて校内ではなく校庭を舞台にした野外芸能祭とかができたら面白い風景が広がりそうな気がしています。それこそ竹たのしみまくる下田の皆さんとも相談できるのなら新しいイベントごとを模索できそうな気もします。もし田牛ご出身のメンバーがいたりしたら… いやいや空想が過ぎますのでこれ以上は控えます。 それよりも、下田まち遺産にも登録されている『田牛八幡神社の獅子舞』や『おっぴいしゃり』などの地元芸能がとても興味深い田牛地区。そんな文化継承を大切にされてきた地域性だからこそ、現在まで守られてこれたんじゃないかとも思える貴重な現存旧尋常小学校、海の家。
大いに可能性を感じるエリアのように思えます…等と余所者の勝手妄言をお許しください。

おわりに

実に取り留めのない総括となってしまいました。

だけど初日に宣言した通り大小はともかく何らかの布石を打つことはできたような気がしています。

頂いたご縁を大切に
今後も下田の方々と交流・交感をしながら新しい何かを生み出していくワクワクを思い描いていけたらどんなに素敵だろうか。その和を広げながら。関われることこそが一番の財産です。

大道芸にできることはきっとあります!

さて、
旅を通じて撮りためた32本にも及ぶ映像小作品はキュッとまとめて
Bouncing In Shimoda!(仮称)』として後日youtube公開(あそviva!劇場のチャンネル)できるように準備していきます。

と同時に
Instagramでは短いダイジェスト版を順次アップしていきます。現在までにあがっている2つのリンクを張って、ひとまずの結びとさせていただきます。

せっかくだから、もし今届かなくても、いつか誰かがキャッチできるように整備しておきましょう!

長文となってしまいました。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました!

次回は5月の 黒船祭@下田 できっと会いましょう!!
それまでには映像作品を絶対に仕上げるぞ!!!

2022.3.26
大道芸人 あまる


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