藤原佳奈「松崎町と岩の姫」(まとめ)
松崎町は、風通しの良い、居心地の良い町だった。
成果発表という制約がなかったせいもあるけれど、
この町の風が自分の身体を通り抜け、
通り抜けたときに身体を鳴らす音に耳を傾けていたような、
そんな一週間だった。
普段は山に囲まれた長野県松本市にいるので、
海が嬉しくなって、1日のうちに何度も、海を眺めに行った。
頭に浮かんだことや、身体に起こったことを反芻していた。
滞在中の一週間で、
場や人、時間や空間を「むすぶ」ということ、
そして広く「時間」そのものについて、気になってしまうんだ、ということを改めて発見した。
こうして腹の奥の方にあること、身体には眠っていたけれども「わたし」にまだ認識されていないことを、丁寧に掬い取る時間は、案外なかったな、と思う。何かを創ったり、仕事をするときは、具体的なそれへの応答になりがちで。それはもちろん真摯な時間なので、何か進んでいる気がしてしまうのだけど、今回松崎町に滞在したような時間を作らないと、大事なことを見過ごしてしまう、と思った。
ひとつ新しく言葉を見つけること、新しい手触りを発見することは、
その後の身体が全部入れ替わるような、大げさだけれどもそれくらい、嬉しいことだから。
今回、松崎町「絲」conceptが創った『マツタキ今昔物語絵巻』という素敵な本に出会った。代表の高野さんとも創作経緯のお話を聞いて、
最終日前日に、何かこれと出会ったことがきっかけで結ばれるような、短いフィクションを書いて帰ったほうがいい気がする。と思った。
これは、烏帽子山から撮った写真。
烏帽子山の頂上には、雲見浅間神社がある。ここには、磐長姫が祀られている。
最終日の朝に、『岩の姫』という小さなフィクションを書いた。
この記録の最後に、それを置いて終わりにします。
松崎町には、きっとまた行くだろう、と思いました。
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『岩の姫』
烏帽子山に登った。
山頂には、イワナガヒメを祀っている神社があるらしい。
イワナガヒメには、妹のコノハナサクヤヒメがいる。
わたしには、妹の小春がいる。
イワナガヒメは、父の意向で、妹に一目ぼれした男のもとへ、妹と一緒に嫁がされた。
そして、醜い。という理由で、一人だけ突き返された。
伝説を教えてくれた宿のお婆さんは、可哀そうでしょう、と笑いながら言った。
階段は急だった。危なっかしい山道を登り、なんとか頂上へ辿り着いた。
見晴らしの良い山頂の展望。海の向こうに、富士山の上半分がはっきり見える。
下半分は薄い雲に覆われていた。
コノハナサクヤヒメは富士山に祀られているから、
烏帽子山で美しい富士を褒めると怪我をする、と信じられていたらしい。
「きれいなもんは、きれいだけど」
声を出さずに、つぶやいた。
iPhoneを確認する。電波は入っている。
こんなところでも繋がるか。少し、嫌気がさす。
展望台の階段に腰かけ、“イワナガヒメ”を検索をしてみた。
イワナガヒメは、岩のように永遠に変わらない女神。長寿の象徴らしい。
古事記には、イワナガヒメを返した男に対して、姉と一緒になれば永遠の命を得たのに、
妹だけ嫁にするのなら、はかなく散る命となるぞ、と父が告げたと書いてあるが、
日本書紀には、恥をかいたイワナガヒメ自身が、泣いて呪ったと、書いてあるようだ。
妹の小春は、美しい。
小春とわたしは、似ていない。
展望台から降りて、海に突き出した岩の先端に座った。
そこは、木々に隠れて、一人になれる場所だった。
そういえば、昨日、室岩洞を案内してくれたおじさんが、烏帽子山のことを話していた。
海底に眠っていた火山が噴火したとき、マグマの通り道が冷えて固まり隆起したもの、
火山の根と呼ばれるそれが、この烏帽子山だと言っていた。
いつかの海底。そして、いつかのマグマの通り道。
その上に、いま、座っている。
岩に触れた。
触れる、じゃ足りずに、身体を全部、岩に寄せた。岩にへばりついてみる。
太陽の熱を吸っているからか、身体がじんわりと、緩んだ。
岩に耳をすませる。太陽のせいか、内側から、静かな熱を感じる。
ちりちり、熱に、身体は応えた。
動かないけど、動いている。
沈黙しているけど、岩は、生き物だ。
生きている。岩を抱きながら、はっきりと思った。
もし、わたしが、岩のように永遠の命を授かった、姉だとしたら。
岩に身体を預けたまま、思った。
妹を恨みなんかしない。
何も、期待しない。
この岩のような時間を生きるならば、
誰にも寄り掛かることなく、ただ、在るはずだ。
ただ、風にさざめく声を聞きながら。
イワナガヒメは、いつだって、何も語らなかったんじゃないか。
妹と一緒に男のもとへ嫁げ、と父から言われたときも、
こくり、一つ頷き、
いらない、と男に突き返されたときも、
こくり、一つ頷いただけじゃないか。
すぐに尽きる命だから、私達、じたばたするんだ。
風が吹いている。
大きな海が、真下に見える。
鳥が空を横切った。
あの鳥よりも、この木よりも、ここにある神社よりも、わたしよりも。
ずっと前から、この岩はあった。
“富士山を褒めると、怪我するよ”
イワナガヒメは、自分の噂さえ、ただ、耳をすませ聞いていたに違いない。
怒ることも、泣くこともせず、ため息もつかず、沈黙したまま。
岩の、姫よ。
あなたは、どんな声ですか。
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