旭堂南湖「十年間、咲かない桜」(まとめ)
河津町を旅立って一週間。
河津町では何度も温泉に入りました。一生分の温泉に入ったような気がします。いまだにお肌がツルツルなので、毎日、肌を撫でては、河津町を思い出しています。
きっかけ
さて、マイクロ・アート・ワーケーションに参加したきっかけは、コロナ禍にありました。コロナ禍では、講談などの舞台芸術は不要不急と言われ、多くの公演が中止になり、そこで、お客さんを集めて講談をする従来のやり方とは違う、新しい何かを模索することにしました。
その結果が、昨年出版した書籍「旭堂南湖講談全集」(レベル)や、オーディオブック「現代怪異譚」「古典怪異譚」「こども講談」シリーズ(パンローリング)の発売に繋がりました。本やオーディオブックは、三密になることなく講談を楽しむことができます。
私自身も、これまでやったことがない、新しい何かにチャレンジしようと思い、偶然見つけたのが、マイクロ・アート・ワーケーションの情報でした。
地方で仕事をすることがあっても、現場に直行し、高座を終えるとそのまま帰るのが常でした。
また、旅に行っても一人旅が多く、気ままにフラフラとして、誰かに案内して貰うことはほとんどありませんでした。
新しいことにチャレンジするのは面白いと思い、応募してみることにしました。
多数の応募があった中、私を選んで頂き、有難く思っています。
どこに行きたいか
さて、静岡に一週間滞在するとしたら、どこに行きたいか。これは随分迷いました。
例えば、三方ヶ原。講談師になってまず初めに稽古するのは、どういう訳か、三方ヶ原の戦いと決まっています。ほとんどの講談師が、この講談で、声の調子やリズムや滑舌、張り扇(はりおうぎ)の叩き方を学びます。
あるいは、東海道の宿場町。浜松や掛川、三島。講談でもよく出てきます。
源頼朝の富士の巻狩りで有名な御殿場。
頼朝が流された伊豆国の蛭ヶ小島がある、伊豆の国市。
つげ義春の漫画が好きで、何度も読んでいる「長八の宿」。その宿がある松崎町。
金色夜叉でお馴染み、貫一お宮の熱海。
静岡は行ったことがほとんどありませんでしたが、実際に行ってみようと考えると、気になるところはあちこちありました。その中でも、一番気になったのが河津町。
日本三大仇討ちの一つ、曽我物語。曽我物語は河津三郎が殺されて、二人の息子が父の仇を討つ話。その河津三郎の住まいがあり、二人の息子十郎、五郎の故郷、河津町。
曽我物語は講談では非常に有名なお話。
私は温泉が好きなので、河津町に温泉もあるみたいだしと思って、第一候補にして、応募しました。
講談と史跡
「講談師 見てきたような 嘘をつき」という川柳があります。
講談は史実をもとにしたフィクションですが、全てが嘘という訳ではありません。地域に残る史跡を見ると、歴史は遠く離れた過去のことではなく、現在と地続きだと、実感することができます。だから、講談の舞台になる土地を訪ね「講談師 見てきた上で 嘘をつき」というのが、現代の講談に必要なことだと思います。
河津町
応募した時、河津町のことは、ほとんど知りませんでした。
旅人になると決まった時点で、人に尋ねてみると、
「河津桜があるところでしょ」
と、河津桜が有名であることを知りました。
河津町が物語の舞台ということで、映画「伊豆の踊り子」を観ました。
1963年の映画で、主演は吉永小百合と高橋英樹。吉永小百合は当時18歳。物語の途中で、吉永小百合が講談本を読んでほしいとせがむ場面があります。講談本は水戸黄門。桂小金治が講談本を読むのですが、いかにも当時の講談調で読み上げています。そして、その後で、高橋英樹は朗読のように読みます。映画の中に、講談本が出てくることが、嬉しくなりました。
ホストのWorking Space Bagatelleの和田さんとZOOMで打ち合わせをした時、金目鯛とワサビ、孤独のグルメに登場したワサビ丼も有名であると教えて頂きました。
「孤独のグルメ Season3 第3話・静岡県賀茂郡河津町の生ワサビ付わさび丼」も観ました。
孤独のグルメの原作者は久住昌之さん。久住さんの漫画が大好きで、大学生の時に、久住さんの仕事場までインタビューに行ったことがあります。もう25年程前のことです。
ワサビ丼を食べてみたいと思いました。
旅人日録
そして、いよいよ旅人の日録が公開され始め、皆さんはどんな旅をするのだろうと、興味深く拝見しました。
トップバッターが、松崎町のお三方、中村るつさん、藤原佳奈さん、持塚三樹さん。三人の日録がとても面白くて、毎日の更新が楽しみになりました。
同時に、自分の番となると、これだけの文章を書かないといけないのか。少し大変だなと感じました。
私はこれまで公開された全ての日記を読ませて頂きました。
皆さん、それぞれ面白く、魅力的な文章でした。心に残っている一文を紹介しますと、
大川原脩平さんの日録はどれも面白く、この文章を読みながら、拍手をしたのを覚えています。
カトウマキさんのこの一文もハッとさせられました。多分、正解はなくて、それぞれが、それぞれの思う通りにやればいいのかなと思いました。
他では、綿貫大介さんの日録は、もうこれ自体が作品だと思って、毎日更新されるのが楽しみでした。
同時期に、そこそこ近い距離で旅をしていた清水玲さんの日録も楽しみでした。お子さんとの旅は楽しかったでしょうね。稲取の朝市に行った時、ひょっとすると、出会えるんじゃないかと周りをキョロキョロしましたが、そんな偶然はありませんでした。
ちなみに、今後の旅人の中で、個人的に楽しみなのは、焼津に行く予定の高嶋敏展さん。
何を隠そう、高嶋敏展さんは、同じ大学、同じ学科の一年先輩で、しかも、同じサークル「落語研究寄席の会」に所属していて、学生当時、色々とお世話になりました。
大学を卒業してから、ほとんど会っていませんが、今回、お名前を見つけて、驚き、嬉しくなりました。
北林みなみさんと三浦雨林さん
さて、皆さんの日録がどんどんアップされる内に、河津町に旅人がやってきました。
北林さんと三浦さん。
お二人の日記を読もうか、やめておこうか、迷いました。
先程書いたとおり、河津町の知識は、ほとんどありませんでした。何も知らないまま河津町に行った方が面白い気もするのですが、やっぱり、河津町のことが気になるので、二人の日録を読みました。
北林さんの日録は、事細かに記録されていて、一緒に旅しているような気持ちになりました。
三浦さんの日録は、北林さんと同じところに行っても、違う視点から描かれていたり、また写真がとても綺麗でした。
河津町を訪れる旅人が三人いて、私は三番目。良い点、悪い点があります。
良い点は、事前に河津町のことが知れること。
ドラえもんやキティちゃんの絵が描かれた石をあちこちで見かけました。
北林さんの日録を読まなかったら、その石にある物語を知らずに通り過ぎていたかもしれません。
しかし、悪い点もあります。
河津町に来て、初めて見る景色なのに、
「ああ、写真で見た」
と思ってしまうこと。
それでも、河津町の巨木は写真と実物では存在感が全然違いました。
余談ですが、和田さんと北林さんと三浦さんと私で、ZOOMがしたいです。打ち上げというのか、四人で、それぞれ感想を言い合って、河津話で盛り上がりたいです。
北林さんが見ていないであろう慈眼院さんの龍の絵について聞いてみたい。
三浦さんが見ていないであろう子守神社の狛犬について聞いてみたい。
日録を書くこと
私は文章を書くのが好きです。
上にも書いた通り、本も出版してしますし、今年も共著ですが、怪談本に執筆予定です。
家ではデスクトップPCで書いています。
旅には持っていけないので、持ち運びしやすい小型キーボードを買って、Bluetoothでスマホと繋げて、執筆しようと思いました。
反省点としては、まず新しいキーボードに慣れていない。もっと事前に使って慣れておくべきでした。
例えば、熱海のホテルでは机と椅子があり、禅の湯さんではワーケーション用の机がありました。
そういう書きやすい場所ばかりではなく、膝にキーボードを置いて書くこともありましたから、書く環境も事前にチェックしておくといいかもわかりません。
そして、noteに慣れていなかった。
もし、これから行かれる方は、事前に自分のアカウントを作って、何度か記事を投稿してみると、noteに慣れると思います。まあ、普通それぐらいやってから、旅にでるのかもわかりませんね。(笑)
新しいキーボートとnoteに慣れていないので、執筆に時間がかかりました。
一日目は三時間。
二日目も三時間
三日目は二時間。
どうしてもこれぐらいの時間がかかりました。
ならば、この執筆時間を減らして、もっと現地を回った方がいいんじゃないかと思ったりもしました。
ただ、その日その時の気持ちは、当日じゃないと、書けないこともありますから、毎日、どうしたものかと考えながら、書いていました。
印象深いこと
河津中学校で、講談を通じて、生徒の皆さんと交流できたのが嬉しかったです。皆の前で、講談をやってくれた生徒さん。上手でしたよ。
「講談と怪談」のイベントに、多くの方が足を運んで下さいました。有難うございました。
園芸のバガテル公園で、演芸を披露。園芸と演芸の組み合わせが面白く感じました。
怪談会では、皆さんが実際に体験したり、人から聞いた怪談を聞かせて頂きました。最初は、一人の方が、おずおずと手を挙げて語って下さったのですが、その後、次から次へと手が挙がり、非常に盛り上がった怪談会になりました。
かっぱの寺、栖足寺のご住職、貴重なお話、有難うございました。
河津平安の仏像展示館では、係の方が、詳しくお話を聞かせて下さいました。
禅の湯の女将さん。ハリスが座った曲彔や、位牌を見せて頂きまして、有難うごいました。また「怪談会」にもお越し下さいまして、有難うございました。
河津町を歩いていると、視界のどこかに、みかんの黄色がいつも見えていました。青空と黄色。私にとっての河津町の色です。
静岡新聞
滞在中、二回、静岡新聞に取り上げて頂きました。有難うございました。
静岡新聞 2022.1.11
旭堂南湖さん招き講談と怪談の会 15日に河津町で開催
静岡新聞 2022.1.15
旭堂南湖さん、講談ワークショップ 河津中生徒が話芸の世界体験
ある逸話
一つのエピソード。
大阪に住む、とある女の子が、カナダの大学へ留学することになりました。
カナダの大学で一人のカナダ人の女生徒と出会います。この女生徒は、大阪から留学生がやってきたと大喜び。
なぜかと言うと、このカナダ人の女生徒は、一度も日本に行ったことはありませんが、大の文楽ファンで、日本からDVDを取り寄せて、毎日のように文楽を見ている。
大阪は文楽発祥の地。大阪からやってくるんだから、さぞかし文楽について詳しいだろう。
カナダ人の女生徒は、菅原伝授手習鑑がいかに素晴らしいか、文楽の芸術性などを滔々と語り、
「人間、やっぱり情でんなぁ」
と、大阪の女の子に言いましたが、この子は、残念ながら文楽のことをほとんど知らなかった。昔、学校で一度、国立文楽劇場へ行ったが、あまり内容を覚えていない。カナダで恥ずかしい思いをした。やがて、日本に帰ってきて、文楽を見に行くようになり、その面白さに気がついて、文楽が大好きになった。
文楽の面白さを教えてくれたカナダ人の女生徒に感謝しているそうです。
曽我物語
河津町に来たら、私が思ったほど、曽我物語が知られていませんでした。(笑)
曽我物語は、百年前はとても有名な話で、今の若い人が読んでも面白い物語なので、河津町の方々に、地元の物語として曽我物語を知って頂けたらなあと思いました。
Working Space Bagatelleの和田さん
大阪に帰ってくると、私のnoteを読んで下さった方から、
「和田さんって何者?」
と聞かれました。
ホストの和田さんのご紹介をしておきます。
ご紹介をしますと言っておきながら、それほど詳しいわけでもなく、旅人として出会った印象です。
和田さんは、浜松出身で、四年前に河津地域おこし協力隊として、河津町に移住。
一年前、河津バガテル公園内にある閉店したレストランをクラウドファンディングで資金を集め、Working Space Bagatelleとして、リニューアルしました。
和田さんは、河津町の出身じゃないから、外部から見た河津町の良さを知っていて、河津町に、四年住んでいるので、町のことも詳しく知っている。河津町の案内人として、とても頼もしい方だと思います。
クラウドファンディングで資金を集めたり、ワーキングスペースという場を運営したり、きっちり仕事ができる方です。
そして、今回の「講談と怪談」のチラシも和田さんが作ってくれました。
「講談と怪談」のイベントも、企画から、宣伝、運営まで全てお任せしました。私は舞台に集中できましたので、非常に有難かったです。
場を作るってとても大事なことで、幅広い年齢層が交流する場、町民と町外の人が出会う場、様々な可能性を感じさせてくれます。
和田さんは、今後も河津町役場の皆さんや、企業、河津町の皆さんと連携して、河津町の魅力発信や、さらなる面白い企画を生み出してくれることと思います。
和田さんは、大阪に住んでいる私からすれば、浜松弁なのか、チャキチャキ話す言葉が新鮮でした。
歩くのが速くて、いつもスタスタと、私の前を歩いていました。
表情豊かで、よく笑って、面白い話で笑わせてくれます。
車の運転も上手で、ほとんど車に乗らない私は、いつもドアをバーンと閉めてしまいます。ソロッと閉めようと思うと、半ドアになってしまうので、ちょっと力を入れると、ドアがバーンと閉まって大きな音が出ます。
その度に、
「ごめんなさい」
と私が謝ると、和田さんは、
「いいですよ~」
と言ってくれます。
和田さんは優しい。
和田さんの言葉で、一つ印象に残ったのは、
「過干渉になりすぎてはいけない」
旅人の自主性に任せるということでしょうね。
このマイクロ・アート・ワーケーションのことをすごく考えているんだなと思いました。
和田さん、有難うございました。
御礼
マイクロ・アート・ワーケーション事務局の皆様、有難うございました。
河津町役場の皆様、有難うございました。
中学校の校長先生、教頭先生、先生方、有難うございました。
先生に出して頂いたお茶が、とても美味しかったです。
お茶を飲んで、思わず、
「美味しかったです」
と伝えたら、
茶筒に入ったお茶の葉っぱを頂きました。(笑)
こんなところが河津町の方の優しさだと思います。
河津旅行記
大阪に帰ってきてから、早速、河津町のことを喋っています。
1月17日は、貫一がお宮を足蹴にした日ですが、震災の日でもあります。
私が毎週出演しているラジオ番組で、防災特集でしたから、河津町に旅行中、津波注意報が出て慌ててしまった体験談を語りました。
しらばくは、ラジオで河津町の話ばかりすると思います。
1月21日の講談会で「河津旅行記」と題して、河津町のことを四十分ほど喋りました。
これから色んな所で喋っていくと、「河津旅行記」も洗練された読み物になると思います。
今月、オーディオブック「現代怪異譚5」の収録がありますので、河津特集で、河津町の伝説、奇譚、河津町で聞いた怪談や、不思議話を収録するつもりです。
おそらく三月中には発売になると思います。
河津桜のこと
河津桜の原木は、現在樹齢七十年ほどだそうです。
遡れば、昭和三十年頃、ある日のこと、河津町在住の飯田勝美さんが、河津川沿いを歩いている時、偶然見つけたのが、一メートルほどの高さの桜の若木。これを家に持ち帰り、庭先に植えたそうです。
それから十年間、桜は一度も咲かなかった。
それでも、飯田さんは桜の世話を続けました。
昭和四十一年一月下旬、やっと桜が咲いたそうです。
十年間、咲かなかったが、桜の木を切らず、世話を続けた。やがて、花開き、今では河津桜を目当てに、九十万人もの人々が河津町を訪れるそうです。
これが河津桜の原木のお話。
このことは、地域おこしにも、文化・芸術にも、マイクロ・アート・ワーケーションにも、通じるところがあると思います。
種を蒔きました。
すぐには花は咲きません。
ひょっとすると、花が咲くのは、十年後かもわかりません。
でも、花が咲く日を信じて、水をやったり、世話をしたり、見守り続けることも大事なのですよね。
河津桜の原木が、大切なことを教えてくれました。
最後に
これは「旅人あるある」でしょうが、和田さんと別れる時、
「今度、和田さんが大阪へ来る時は、私がホストになりますよ」
と伝えました。
皆さんも言いましたよね?
えっ、言わないですか。(笑)