内田涼「母なる火山」(1日目)
「特急踊り子号」という、東京から伊豆の先っぽまでを悠々と走る貴重な列車の15号車14A座席に座る。A列を選ぶと窓の外の海を眺めながら移動することができますよと以前みどりの窓口で教えてもらってからはいつもA列を選んでいる。普段は帰省をする際に利用しているが、今日は地元の駅を通り過ぎて、そのずっと先にある伊豆稲取駅へ向かった。
改札の向こうで荒武さんと藤田さんが待っていてくれた。彼らは今回の稲取地区のホストであり、今日から3泊させてもらう宿「湊庵」の経営者でもある。二人の案内で誇宇耶(こうや)という最高な佇まいのお蕎麦屋さんへ。昼食をご馳走になりながら(みずみずしくて少し無骨な蕎麦と生姜の効いたさんが焼きは大変美味しかった)あらためて自己紹介などをした。荒武さんが同年代のアーティストに来てもらえて嬉しいと言ってくれて、こちらの緊張もすっかり解けた。
滞在先の「湊庵」は空き家をリノベーションして作られており、所々に懐かしさを残しつつもスタイリッシュにまとまっている。一つ一つのものがちゃんと選ばれて置かれていて、心地よい。毎日ここに帰ってくるのが楽しみになりそうだ。
無事チェックインを済ませてから、最年少ジオガイドの藤田くんによる細野高原ツアーに同行させてもらったのだが、想像を遥かに超える壮大さに驚きを隠せなかった。
東京ドーム20個分以上とも言われる広大な敷地に、金とも銀ともつかない発色のススキの群生が一斉にたなびく様子は圧巻だった。
この大草原は、毎年「山焼き」をすることによって森林化するのを防いでいるらしい。こういった土地は放置しておくとどんどん森に遷移してしまうということや、この景観が人の手によってかなり大事に保護されているということは、藤田くんのガイドが無ければ知る由もなかった。ここで人々が守ろうとしているのは「自然」とも言えるし「文化」とも言えるような複雑なものだ。ジル・クレマンの『動いている庭』のことを思い出したりしながら、よく整った山道をゆっくりと登った。
また、「この土地や文化や人々は火山によって形作られている」という話も興味深かった。そもそも伊豆半島の原型は遠く離れた海底火山で、プレートに乗ってちょっとずつ移動してきたものが60万年前に本州にぶつかって今の形が形成された。この細野高原も元々は火山の噴火によってできたものであるし、火山の熱が温泉街を育み、それは今もなお土地の人々の身体を温め続けている。。というような説明だったと思う。なんてロマンがあるのだろう。
島も草木も絶えず移動しているのだということを改めて思い知った。
下山後、その辺に生えている植物たちが少々生々しく目に飛び込んでくるようになった気がする。
夜は稲取高校被服食物部の皆さんが開催する「あったかふぇ」に連れていってもらい、昔なつかしのミートソース(ソフト麺!)を食べさせてもらった。すごくいい取り組みだと思った。地元の高校生たちがメニューを考え、エプロンをしてみんなで調理し、ワンコインではあるがそこにちゃんとお金が介在していて、それが町のシェアキッチンという場所で開催されている。こういう風に建築が機能するための繋がりを作ってきた人たちの労力と積み重ねを考えると、なんだかソフト麺がより美味しく感じられた。
学生さんたちも、食事に来たお客さんや先生方もみんな朗らかでリラックスしているように見えた。校長先生がとても若々しい女性の方だったのも印象深い。学校のような、放課後のような、部活のような、食堂のような、誰かの家のような、なんとも不思議な空間だった。
私はここのところなんだか忙しく孤食が続いていたので、いろんな意味で満たされたありがたい夕食だった。
隙間時間のサイクリング中にipadで描いた町の夕方色(夕暮れ時に採取した色を夕方色、朝焼け時に採取した色を朝方色とする)の画像を↓以下に貼って、今日の日記をお終いにする。