秋野 深 「曖昧な、大胆な、でも確かな期待」【小山町】(最終日7日目)
最終日は、お世話になったホストのWe are OYAMAの方々と昼食をともにして、昼過ぎに小山町をあとにした。
1週間前に来た道を、今度は西から東へと戻っていく。
何かが終わったという感慨はない。不思議なくらいに、ない。
小山町での1週間はあっという間だった。
これはできたけど、あれはできなかった・・そんな振り返りはあるけれど、何かが終わった時の解放感のようなものも・・・ない。
まだnoteの執筆が残っているから、ということではなく。
1週間前に小山町へ向かっているときには、当然「これから何かが始まる感」があった。
そして小山町をあとにして自宅へと戻る今、その時とは違うタイプの「これから何かが始まる感」が明らかにある。
それは、1週間の滞在と活動が終わったのだという、探せば自分の中のどこかにはあるはずの気持ちが、楽々とかき消されてしまうほどに強いものだ。
最初にこのマイクロ・アート・ワーケーションのことを知って、応募にあたって内容を確認した時に少々驚いたことがあった。
それは「参加アーティストは、滞在期間中に作品の制作をしなければいけないわけではない」という点だ。
だから1週間の滞在期間をどのように過ごし、それを自分の活動の中でどのように位置づけるかは、静岡県内の様々な自治体に赴いたそれぞれのアーティストによってかなり違うはずだ。
私自身は、この1週間を「今後の活動のための下見と情報収集の期間」と位置づけていた。
(その内容と詳細については、「滞在のまとめ」として後日追加掲載する)
さらに、マイクロ・アート・ワーケーションでは、滞在日数に応じて活動費が後日支給されるものの、終了後、具体的にどんな活動に繋げるのか、どんな作品をいつ制作するのか・・・そういったことについて何か縛りがあるわけではない。
これまで写真家として様々な自治体で地域活性化事業に参画してきた。
今回は「地域とアート」というのが言うまでもなく大きな命題とされていて、アーティスト個人の活動という側面も、自治体の地域活性化という側面も両方含まれている。
ただ、地域活性化に関連する活動は長期的視点が必要だということは大前提とされながらも、どうしても往々にして単年度予算での運営の連続になってしまう。
そのため必然的に活動の評価、継続、人材等について多くの課題がつきまといがちだということはこれまで実感してきた。
そういう点で、今回の静岡県のマイクロ・アート・ワーケーションの取り組みは、私にはよい意味で特異なものにも感じられた。
長期的視点と言葉で簡単には言えるけれど、実際に予算がついて実施される事業である以上、そこにはわかりやすい成果や明確な期限、そしてその効果の検証が求められるのは、当然のことだろう。
では、このマイクロ・アート・ワーケーションとはなんなのか。
滞在期間終了後、これからの活動への期待があることは間違いない。
でもこれからの活動の内容というものは、今はまだとても曖昧なものだったりする。種をまくどころか、その前に、どこにどんな種をまくのかを考え始めているような段階だろう。
滞在期間前、マイクロ・アート・ワーケーションに対して私は漠然とこんなイメージを抱いていた。
小山町での滞在を終えた私の隣にやってきて、声をかけてくる人がいる。
「とりあえず1週間お疲れさまでした。でもこれからですよ。期限もありませんし、何をしてもいいのですが、よろしくお願いしますね。あなたなら、何かやってくれますよね」
そうして、その人は私の肩をポンと軽くたたく。
でも滞在を終えた今、自宅へと戻る車中で、私の中のマイクロ・アート・ワーケーションのイメージは少し修正され始めている。
声の主は私の隣にはいない。
私に近づいてくる様子もなく、少し離れたところにいるようだ。
その人の声はよく聞こえなかったりするのだけれど、声の主はそれをあまり気にする様子もない。
そしてどうやらこう思っているようなのだ。
「もう私の声はあなたに聞こえていなくても大丈夫ですよ。あなたは、きっとこれから何かせずにはいられないはずですから」
曖昧な、大胆な、でも確かな期待。
マイクロ・アート・ワーケーションというものの正体を、その奥に、根幹にある姿勢のようなものを、今の私はそんなふうに受け止めている。
Jin Akino
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