綿貫大介「君は二十億光年の孤独に耐えられるか?」(滞在4日目)
植物に生まれ変われたら、と思ったことがある。なれるとしたら、ワンシーズンで枯れてしまうきれいな花と、何百年も生き延びる樹木、どちらがいいだろう。
駿河湾に突き出した大瀬崎の半島先端部に、約130本群生しているビャクシン(※1)がある。大瀬神社の神域内に群生しているというところに、物語性を感じる。くねくねとねじれた巨木や、樹齢100年以上の老木が多い幽玄な景観も、その神聖なムードを強固にしてくれる。神域内にいる僕は今、汚れが去って清らかな心になっているはずなので、勝手にいろんなことを感じ取ってしまう。
最大の大木は、推定樹齢1,500年以上とされている御神木「夫婦ビャクシン」(※2)。夫婦善哉、夫婦ビャクシン……2つが1セットになったものがなんでも勝手に「めおと」と呼ばれてしまっていた時代背景や信仰のことを思う。
(みんな覚えているだろうか、「愛・地球博」のモリゾーとキッコロ(※3)のことを。イメージ的にモリゾー=おじいちゃん、キッコロ=こどもだと思ってたけど、先日調べたら2人に血縁関係はないらしい。 性別も、モリゾーは「みんなおじいちゃんと呼んでいるが、よくわからない。どちらでもない」、キッコロは「どちらでもなくどちらでもある」という設定になっていて感動した。植物も多様の性があるのだ。)
巨樹をみて、人は勝手にいろんなこを思うだろう。ある人はこの木が生きたこれまでの長い歴史を。そこにあった災害の歴史を。戦争の歴史を。喜びの歴史を。悲しみの歴史を。そして日本史の教科書1行分もないであろう、短い短い自分の人生を。
植物に生まれ変われたら、と思ったことがある。なれるとしたら、ワンシーズンで枯れてしまうきれいな花と、何百年も生き延びる樹木、どちらがいいだろう。僕はたぶん前者。二十億光年の孤独(※4)になんて、耐えられそうにないから。
僕は思わずくしゃみをした。
大瀬崎はダイビングスポットでもあるらしい。たしかに、このあたりの海は穏やかで安定(※5)ていて、生物が豊富、かついつ何が現れるかわからない爆発力がある。桟橋からちょっと覗いてみただけでも、あまりの透明度で驚く。海の美しさを沖縄に例えたくもなるけど、それはあまりに無粋だ(※6)。
冬の大瀬崎は、透明度が20mを超えることもあるらしい。そのため、浅瀬からでもカラフルな小魚、うつぼまで確認できた。きっと海の底はもっとすごいことになっているんだろう。
でも、幸せにも分相応というものがあるんだろう。いかんせん、ダイビングにまったく興味がわかない。自分にはスポーツの喜びは一生無理な気がする。それはきっと、僕の幸せではない。
ー私的注釈ー
※1(ビャクシン)……宮城県から沖縄までの太平洋岸沿いや瀬戸内海地方に分布する常緑針葉樹。大瀬崎は日本最北端の自然群生地らしい。
※2(夫婦ビャクシン)……2株の大木が抱き合うような立姿は圧巻だ。ビャクシンは雌花と雄花を別の株につける植物らしく、本当にこの2株がオスとメスだったら「夫婦」である可能性もなくもない。でも、2つが1つになった状態のことだけをとって「夫婦」と呼んでいるのであれば、それはなんだか違うな……とも思う。三重県にある「夫婦岩」なんかもそうだ。ただ、ともに神道が絡んでいることでもあると思うので、言及が難しい。
※3(二十億光年の孤独)……いわずとしれた日本の詩人・谷川俊太郎のデビュー作(一瞬定型句として「処女作」という言葉が浮かんでしまったが直した。言葉の性差別を自覚したい)。先日「News23」のインタビューを受けていた谷川さん。「現代は言葉のインフレが起きている」と語っていたのが印象的だった。
※4(海は穏やかで安定)……岬が天然の堤防のような役割を果たし、風やうねりの影響から守ってくれているようだった。
※5(モリゾーとキッコロ)……2005年の紅白歌合戦では、応援ゲストとして松浦亜弥のバックで踊ってたモリゾーとキッコロ。2001年の初出場以来連続出場していた松浦亜弥は、ソロ歌手としてはこの年が最後の出場となっている。ちなみに大トリはSMAPで「Triangle」。SMAPとして大トリを務めたのは2回目で、1回目は2003年の「世界で一つだけの花」。
※6(沖縄に例えたくもなるけど、それはあまりに無粋だ)……食べ物のおいしさを伝えるときに、別の食べ物で表現することぐらいの愚行。比べる対象と比べられる対象、そのどちらにも失礼だ。