関根愛「泣きながらごはんを食べる人」(4日目)
十二月三日、晴れ、強風。
今日も日課の朝散歩。普段から毎朝三十分程度歩くが、旅先での散歩はまた特別なもの。そういえば三島は信号のない横断歩道で必ずといっていいほど最初の車が止まってくれる。東京とか私の地元ではやや珍しいこと。また新しい八百屋さんを見つける。三島野菜を多く売る八百屋が近くに数軒点在している。地元産が並ぶ八百屋は東京ではまずほぼないと思う。沢山入って百円や二百円で買えるのも嬉しい。色も形もさまざまな野菜が並ぶのを見るといつも安心する。地球には食べ物がある。土がある。作ってくれる人がいる。命のバトンがあちこちに転がっている。それを今日も受け取る。こちらのお店では「お疲れさまBOX」なるものがある。古くなったけどまだ食べられる野菜をお値打ちで売るコーナー。フードロス対策もばっちり。宿から数分で目当ての「自然食品の舗・ヨシダ」に着く。三島には私の知る限り三軒の自然食品店がある。ねりごまなどを購入。優しいお母さん。昼前にまた「ひとりで食べる」シリーズを撮らせてもらうのでそれまでしばし散歩。どこを歩いても控えめな清流が流れる。小さな川があちこちを張り巡る三島は空気も澄んでいる。11時に「ひとりで食べる」シリーズで三十代女性の撮影をさせてもらう。こちらへ来て女性を撮るのは初めて。シェアハウスで一番陽が当たりにくい一室に暮らす。昼食はホットサンドメーカーで温めたクロワッサンとスープ。ホットサンドメーカーで作る焼きおにぎりやじゃがいもをつぶしたものが美味しいと教えてくれた。お米を噛むことが面倒だからパンと麺類を好んで食べるそう。泣きながら食べたことが、最近あったと言う。どうして人は泣きながら食べるんだろう、と何度も何度も思う。ひとりで食べることが悲しくて泣くわけじゃない。食べることが、私たちを泣かせるのだ。なぜか。そもそも「泣く」と「食べる」は真逆の行為に思える。それを同時にする人間が愛おしい。絶対に愛おしい。今日も私たちは食べる。何があっても、何もなくても食べる。ひとりきりだと食事をおざなりにする人は多い。それでも何かしら買うなり調理するなり食べ物を用意して、座って、いちいち食べる。わざわざ食べる。自分で自分の世話をする人間を、愛おしいと思う。宿への帰り道は昨日歩いた源兵衛川を逆流する。何度見ても水がそこにないかのように透き通っている。
「クマノミ雑貨店」という古い建物にお店を構える雑貨屋に入る。築八十五年くらいの古い建築で元は蕎麦屋だったそう。店内から小さくて素敵な中庭が望めた。金魚(鯉かも)が悠々と泳いでいた。高い空から光が注いでいた。「あひる図書館」を再訪する。目の前の窓には楽寿園の木々。ゆっくり読みたかった本を二時間ほど読ませてもらう。近所にあったら入り浸ってしまう。本との出会いはいつも妙なところがあって、その時の自分の頭や心に浮かんでいることが手に取った本をめくると書いてあったりする。そういうことが多々ある。旅先で手にした本をひらくことでそのシンクロニシティに深みが増す。本は宇宙のノートなんだと思う。またおかしな時間になってしまったけど昼食を食べに宿に帰る。大根、人参、玉ねぎ、木耳の麦味噌汁、昨日と似たケールのサラダ、しいたけの蒸し煮に昨日「自然食品くりけっと」で見つけた白だしをかけたもの。今日の夜は泊まっている宿の一階にある三島クロケットで交流会がある。ご飯を食べながら、それまでしばし作業をする。村の駅で購入した、富士山麓で栽培されたオリーブリーフ茶を飲む。マグカップがないから飲み物をここずっと汁碗で飲んでいるけど、お抹茶みたいに両手でやるのもちょっと楽しい。味は緑茶みたいに爽やかでほっとする。抗酸化作用の高いポリフェノール「オレウロペイン」を含むらしい。最近は噛むことが楽しい。うんうんとうなずくようにリズムを取るように噛む。噛んで噛んで、いつか食べ物が私の体の中へ入る。私はひとりで食べる時に、生きていることを強く感じる。好きな脚本家の書いた台詞にこういうのがある。「泣きながらご飯を食べたことがある人は大丈夫。生きていけます。」