秋野 深 「巨大なナンバーワンに抗えるか」【小山町】(4日目)
「抗えるか」という表現はちょっと強すぎるかもしれないが、とにもかくにも、ここ静岡県小山町には富士山という揺るぎないナンバーワンがそびえたつ。
そして今日、町の歴史的文化施設である豊門会館で、町役場の専門の方に小山町の歴史について詳細な説明をいただくことができた。
小山町の歴史を語る上で、富士紡績という企業の話は避けて通れないようである。
富士紡績。それは小山町にとってのもう1つのナンバーワンである。
正確には、ナンバーワンだった。
小山町は富士紡績と共に古くから発展を遂げてきた。
工場が町内にいくつもでき、大正の終わりから昭和の初めには最盛期を迎え、沖縄から出稼ぎに来る女工さん達もいたのだという。
幼少期を沖縄で過ごした私は、沖縄のことを考える時、戦後から1972年(昭和47年)の本土復帰までの期間と、それ以降の現在に至る期間にだけ分けて考えてしまいがちなので、それよりはるかに前にこの小山と沖縄に関わりがあったことは意外だった。
小山町には多くの人が集まり、行き交い、静岡東部で最初に「市」になるのは沼津か小山か、と言われた時代もあったそうだ。
まさに、富士紡績の町。企業城下町である。
しかし綿糸業の衰退とともに富士紡績の規模も縮小を余儀なくされ、そのまま町の活気は失われていったのだという。
富士紡績が町の発展に寄与したことは言うまでもないが、良い時もそうでない時も、町は運命を共にしたということになる。
小山町の富士紡績の話を聞いて、私はこれまで何度も撮影で通ってきた、とあるかつての企業城下町のことを思い出していた。
やはり1つの企業がその町にいくつもの工場を作り活況を呈した。
県外からも若者が働き手として就職してくるので、町の人口は増えてゆく。
町の住民はかなりの確率でその企業や関連企業で働く人だ。
だから飲み屋で職場の悪口はたたけない。誰が聞いているかわからないからだ。
企業の業績が上り調子の間はよいが、そうでない気配が漂い始めるとこんな声があがるようになる。
「あの企業が傾いたら町はどうなる。町の発展のためには別の企業の誘致も考えるべきだ」
そうして候補となる第2の企業の名前があがったが、一方でこんな声も出はじめる。
「それは町を発展させてきた企業に対する裏切り行為だ」
結局、第2の企業の誘致話は立ち消えとなった。
その後、町を支えてきた企業の工場は、時代の流れには逆らえず、安価な労働力を求めて海外移転。
町には稼働していない大きな工場がだけが残ることになった。
町の急激な人口減少は言うまでもない。
話を小山町に戻そう。
富士山は紛れもなくナンバーワンだろう。ビジュアルも、知名度も。
でも、富士山に続く、小山町のナンバー2、ナンバー3はなんだろう。
一般的な「魅力」という視点、観光客を呼び込めるコンテンツという視点。
様々な視点があるので単純なランク付けに意味があるとは思わない。
でもいったんナンバーワンを離れて見ることは新しい発見のためのひとつの方法かもしれない。
写真撮影の話になるが、よく「被写体に撮らされている撮影」という表現をすることがある。
被写体となった人物に「撮ってくださいよ」と言われたからしぶしぶ撮った、という意味にも取れるがそういうケースの話ではない。
例えば、私が写真講師を務める撮影ツアーでこんなことがあった。
多くの参加者がバスを降りるやいなや、三脚をそそくさとたてて富士山をバシバシと撮り始める。
「皆さん、富士山が目の前に見えているからと言って、富士山を撮らなければいけないわけではないんですよ。富士山とは反対外に、ご自分の興味があるものを見つけてもいいんですよ。」
私がそう伝えた時の反応は様々だ。
ハッとして改めて周囲を見渡し、観察を始める人。怪訝そうな表情の人。「ここは富士山を撮るところじゃないんですか」と声を荒げる人。
富士山を撮らなければいけないというわけではないのに、なんとなく富士山を撮り始め、それ以外のものに目を向けることもなく、さらには目を向けなかったことにも気が付いていない・・・。
だとしたら、それは「富士山に撮らされている撮影」と言わざるを得ないだろう。
この「撮らされている撮影」には特徴がある。
それは、ナンバーワン以外に気が付いていないだけでなく、ナンバーワンさえもよく見ることなく撮影をしてしまっていることだ。
ナンバーワンなのだから当然魅力的だ。
それでも、何かを発見しようとするなら、やはり抗いにも似た姿勢が時にはあってもよいのでは、と思う。
Jin Akino
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