自分のことは自分で守ろう
新しいことにどんどん挑戦していく勇気。自分の意見をしっかりと主張する勇気。失敗してもめげずに次の1歩を踏み出せる勇気。
大人になっていくにつれ、とりわけわたしが今佇んでいる年代なんかはそういう勇気が求められる。企業が欲しがる人材とかもだいたいそのへんなんだろうな、と頬杖をついて想像する。
でもそれだけじゃ生きていけない。それがあるなら社会の中で必要とされず死にゆくことはないだろうけど、自分の中がだんだん壊死してしまう気がする。
頑張る頑張れ頑張りすぎて、いつの間にやら疲れが溜まっていないだろうか。心と身体、どちらが先にヘルプを出すかは分からない。ただそのときに一旦休んで「自分を甘やかす勇気」を持てる大人はどれくらいだろう。
そういうことは子どものほうが長けている。あるいは「子どもだから」と許される。したがって大人になれば「甘えるな」と言われることが多くなるけど、それと同時に「自分のことは自分で守れ」とも教えられる。
中学時代、コソコソと嫌がらせをしてくる奴らに「何でそういうことするの?」と立ち向かうための勇気はなかった。
だけど代わりに「今日は学校行きたくない」とサボる勇気や「席替えやり直してください」と救けを求める勇気はあった。
高3の夏、今通っている大学以外はどこも受けずに、1校・1学部・1学科だけを狙って挑む勇気があった。
でも疲れたら朝の授業をすっぽかし、お昼前からのんびりダラダラ自転車こいで登校できる勇気もあった。
今のわたしも、そういう勇気を忘れず持てているんだろうか。昨日のアルバイトのときに脱水もしくは貧血による眩暈を起こして、ふと久しぶりに考える。
正直「最近疲れているな」の自覚はあった。原稿継続依頼のかけ持ち、日々書くnote、読みたい本に観たい映画にその他もろもろ、やりたいけど手がまわらないこと。
それでも珍しく友だちと会う約束が2件あるからそれを楽しみにして、まあ何とか大丈夫だと踏んでいた。
幸い30分も休めば復活したが、帰り道には「ちょっと何日か休暇とるか」と思い立つ。“やること” はせずに “やりたいこと” を優先させる2~3日。
まず真っ先に原稿を少し遅らせるほうを思い浮かんで安心した。疲れたときは仕事じゃなくて迷わず趣味を選べた自分に。毎日書き続けてきたnoteを “やること” じゃなくて “やりたいこと” と分類できている自分に。
わたしはまだまだ「自分を甘やかす勇気」を忘れず生きていられるみたいだ。自分のことは自分で守る、心も身体も。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?