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夜の桜に攫われる

 ちょうど1年前の今日だった、親友と夜桜を見にいったのは。
 久方ぶりに会って話した帰りの際に通りすがった某・条城。塀の奥から漏れいずる淡い光に誘われて、わたしたちは浮かび上がる夜の花見に立ち寄った。

 人工的な色彩を浴びるいにしえを、文明の利器で長方形に収め撮る。桜の写真はどうしてこうも難しい。
 生の眼で見ると尊く神聖な息を身体に吹き込まれるのに、それを持ち帰ろうと試みた刹那、命の端は欠け落つる。樹に棲まう花は薄桃色を帯びているのに、手の中に散ったひとひらの花弁はそこはかとなく無彩色。

 そして何より、樹の枝々の間には、何も咲かない“うつろ”が幾重も秘められていた。

 つぼみの爆ぜた様を間近で見ようとすると、花の鼓動に指先で触れてみようとすると、その背景では裸の小枝が折り重なっているのに気づく。隙間に佇む春の宵は深みを増して、眩い光の陰となる。
 何も咲かない真っ暗な“うつろ”。「花は散り際こそが美しい」とよく言われるが、わたしは桜の秘めたこの“うつろ”にも、全く等しいものを感じた。

 人々は皆花見で一杯、花見酒。花明かりやら桜雲やら、その前線に恋焦がれる。
 だけど桜の樹々は存外空虚だ。ここには花が咲いていない、この“うつろ”には初めも終いも何もない。ただの暗闇、焦点の合わせようすらない被写体は、桜を撮るのを一等に難しくさせた。

 あの儚さを如何に生かすか、あの虚しさを如何に殺すか。

 人の疎らな某・条城でわたしは試行錯誤をした。親友が「上手いね」と褒めてくれた数枚の写真は今も捨てずに残してある。
 ここの桜は何百年も都の歴史を見てきたのだろう。人の世の中がたとえどんなに発展しようと、樹の知恵智恵には追いつけない。文明の利器で桜を撮るのが難しいのはそれも所以の1つなのかもしれなかった。

 もしも桜が本当に人を攫うなら、きっとあの枝々の隙間、夜の“うつろ”に吸い込まれたに違いない。そして根元に屍体が埋まる。いつの時代も花は変わらず咲き続ける。


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