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“そういう自分が好き”心の大掃除の過程エピソード

「そういう自分が好きなんだね」という言葉を掛かられた話。(昔の痛い話から今に続く話です。)

過去に付き合っていた恋人と、破局するきっかけとなった、私のメンヘラモード時に話した鬱陶しい言葉の数々が当時の彼の気持ちを萎えさせた。

電話の最後に言われた「そういう自分が好きなんだね」は数年間私を悩ませた。

人間突然別れを告げられると相手を悪者にしたくなる。そう、被害者の立場をとりたくなるのだ。

その時期は素直に泣いて縋ることもできず、その時は物分かりのいいやつになり切って別れを受け入れたが
後々その時、伝えられなかった言葉がふつふつと湧いて抑えられなく別れてからまた鬱陶しい言葉を色々とぶつけてしまった。だけどもう、別れてしまっている。文字どおり「あとの祭り」だった

相手のことをなじって自分の全てを棚上げ&正当化し、長い間その人を悪者に仕立てあげることで、おそらく私は、汚い感情が出てくる度その人を“怒りの感情をぶつける対象”として使って来た。

長年の自分の問題点は、長引かせたところでいつか向き合わなければならないことに変わりはなかった。
そして、ついに自分のマイナス感情を棚卸しする時がやって来た。

根にある感情にたどり着くまでに、上に被った他のホコリといった別の感情を掃除するのに時間がかかった。
ゴミだらけの部屋では、どこから手をつければいいのか分からないのと同じ状態で、掃除というものはこまめに洗い拭き磨きとしていれば何とも容易く短時間で綺麗になるのだが、長い間放置していた物ほど、大規模な掃除をしないと汚れが落ちず片付けは進まず、とても時間とエネルギーを消費した。消費しすぎて疲弊した。しかもまだ汚い。いつ終わるんだ、心が折れそうになる。

物理的なモノはまだ目に見えて、あとどれくらいで綺麗になるか?分かりやすいが
精神面のことは目に見えないだけあって、今の自分がどの過程地点にいるのか?あとどれくらい掃除を続ければ綺麗になるのか?そもそもこの汚れはどんな大きさとカタチをしているのか?それらがはっきりと分からないことが、また一段と自分を疲れさせる。名付けるなら疲弊パーティーだ。

心のマイナス面と向き合うとは、とても地道でエネルギーな要することだということを体感した。

これまで溜め込み、詰め込んできた情報やそこから発生した余計な感情が無限に芋づる式に出て来て、本当に終わりが見えない。その途方もなさに自分の人生そのものまでも否定したくなる始末だった。

心の大掃除をしていで気付いたのは、「怒り」とは二次感情だということ。
「怒り」の根源には、「寂しさ」や「悔しさ」「虚しさ」そういったものが隠されていた。

「怒り」をどかしたらまだこんなに頑固な感情が住みついているのかよ、とその事実に丸ごと投げ出したくなった。それをここまで放置してきたこれまでの自分にも、また新たな怒りが湧いた。

「もう本当に敵わないかも知れない…」そう思わずにいられなかった。
確か、“敵わないとは届かないと同じ意味だ。”と今年読んだ小説に書かれていたな。
そうだ、もう届かないかもしれない。本来の健やかな自分を取り戻すことは、今の私の状態からは叶わないのかもしれない。
この強烈なマイナス感情には、きっと敵わないし、だからこそ届かない。
まるで年単位でこびりついたコンロの油汚れみたいだと思った。

だけど今、自分がこれに向き合わないと、これから先の将来、もっと大きな大掃除をしなければならない気がした。そしてそれは間違いなくそうなのだろう。

だから向き合い続けることにした。 
自分と向き合うことをやめないこと。
本当に少しずつでも、変わっていっていることを体感しながら、コツコツと自分と向き合うことを続けるしかない

長年蓄積させていたマイナス感情は、まだ綺麗さっぱりになった!とは言い切れないが、かなり汚れを扱いやすくはなって来ている。
装填された上に乗った余計な感情をとっぱらい、根底にあるこの感情が見えたのも、最初の状態から見ると、かなり大きな進歩だ。

私はこの約一年間自分の内面と向き合ってみて分かったことがふたつある。

けっきょく、自分と向き合うことなしに人生は変わらないということ。
そして“自分と向き合う”ことは、ちょっとずつ(とても少しずつ)確実に変化を起こすということ。



これまでは闇雲にドス黒い感情に飲まれていたものが、その底や芯にある(根本的な)ものが見える度『なるほどな』と納得して進めることができるように、全容が見えるようになったことは救いだった。

本当の意味で根本から自分を変えること・向き合うことは、短時間では叶わない。
だけど自分と向き合い始めた時から、確実に変わっていっているものはあることは忘れずにいたい

水面下の変化を信じて、向き合い続けることができる者だけが人生を変えられるのだと思う。
それまで何回も「これまで」により戻されたり、弱音を吐いてもいい。ただ“本来の自分”になっていくことをやめなければいいと分かった。

うまくいかないことを人のせいにして自分と向き合えなかった昔の自分よりも、今の自分の方が圧倒的に好きだなと言える。
堂々と『こういう私が好きだ』と胸を張って軽やかに笑う自分になれるまでは、まだこの掃除旅は続くのだろう。

これからも今の自分と向き合うことをとおして、根源にあるものを見つけていきたい。


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