フサム医師へのインタビュー
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自己紹介をお願いします
皆さんこんにちは。私はフサムと申します。夫であり、小さなお猿さんみたいにやんちゃな3人の子どもたちの父親です。整形外科医として働いており、現在はガザ南西部のテントで暮らしています。
ご出身と、育った場所はどちらですか?
これは少し難しい質問ですが、お話ししてみます:
私の祖父母は1948年のイスラエルによるパレスチナ占領によって避難を余儀なくされました。私たちはヘルビアという古い小さな村から北ガザに移り、ジャバリア難民キャンプに定住しました。私はそこで生まれ育ちました。私の歴史のこの部分は私のアイデンティティーに不可欠なものです。
子どもの頃、一番好きだったことは何ですか?
私はコンピューターゲームが大好きで、パソコンの画面の前で多くの時間を過ごしました。
あなたの趣味は何ですか?(何でしたか?)
私には新しいものを探して発見するという特別な趣味があります。
その為に Google を使うのが好きです。
医師になろうと思ったきっかけは何ですか?
主な理由は、私の国には多くの医師が必要だということです。病院の医師は常に不足しており、現在でも重要な医療専門分野の多くが不足しています。
あなたをサポートしている日本人の方から、フサム先生は他者を思いやる心と素晴らしい人格を持っていて、現地の方からも尊敬されていると聞きました。たった2週間のやり取りですが、私も同じように感じています。それはなんの影響が大きいと思いますか?
両親が私の性格形成に多大な影響を与えました。
さらに、スーダンで6年間勉強したことも私に大きな影響を与えたと思います。スーダンの人々は地球上で最も素朴で親切な人々であり、私は彼らから多くのことを学びました。生涯を難民キャンプで過ごし、他の人々と絶え間ない苦しみを分かち合ったことも、私の性格を独特な形で形成しました。
もし魔法の力があって、3つの願いを叶えられるとしたら、何を望みますか?
まず、私はこの戦争を終わらせ、自由なパレスチナにある私たちの家に戻ります。次に、自分の家を持つことを望みます。それから世界中を旅します。
あなたが最も尊敬する人を教えてください
私は言葉と行動に誠実で一貫性のある人を尊敬します。
" A person with one word & one face"「言葉と顔がひとつの人」
好きな本を教えてください
Al-Qarni 著の "Don't Be Sad" です。
多くの言語に翻訳されているアラビア語の本です。
好きな音楽はなんですか?
私は古いアンダルシア音楽や、落ち着いた低音の音楽が好きです。
あなたのお気に入りの食べ物は何ですか?
もちろん「マクルーバ」です。これは、米、野菜、鶏肉を特別な味付けで煮込んだ伝統的な料理です。名前は「逆さま」を意味します。
ガザで一番好きな場所はどこですか?(どこでしたか?)
ビーチです。ガザで唯一のオープンな場所です。
昨年の10月以前に、何らかの暴力的な恐怖を経験したことがありますか?
はい、何度もあります。私は2000年以降のインティファーダのあらゆる出来事、2004年のジャバリアキャンプへの侵入、2006年の軍事作戦、2008年の戦争、そして2021年の戦争を生き抜いてきました。
もしどこにでも住めるとしたら、そして占領や暴力もなかったとしたら、どこに住みたいですか?
私はパレスチナ北部のタバリア湖周辺に住みたいと思っています。
この地域には息をのむほど美しい自然があります。
あなたは休むことなく多くの人々を助けていらっしゃいますが、今もっとも必要としているものは何ですか?
文字通りすべてのものを必要としていますが、何よりも緊急に必要なのは「停戦」です。
もし差し支えなければ、侵攻が始まって以降、最も困難だったことを教えていただけますか?
一番辛かったのは、家を出て南へ避難した時でした。祖父が1948年に強制的に避難させられた時に経験したことを話してくれたのを思い出しました。歴史が繰り返されているように感じました。戦車、狙撃兵、機関銃が子どもたちの顔に向けられる中、破壊と砲火の中を進み、占領によって作られた南北の国境を越える、悲惨な旅でした。
もう一つの悲惨な瞬間は、患者と避難者でいっぱいだったアル・アハリ病院への攻撃でした。この攻撃で500人以上が死亡し、そのほとんどは子どもたちでした。そのとき私はアル・シファ病院で勤務していました。負傷した子どもたちのほとんどを目にし、引き裂かれた遺体を目撃し、何十人もの子どもたちの最後の息を聞きました。私はその夜の一瞬一瞬を決して忘れることはありません。
読者に向けて何か伝えられたいメッセージはありますか?
パレスチナで起きていることに対する皆さんの行動は大きな影響を与え、私たちの生活に変化をもたらし続けています。皆さんがしていることを決して過小評価しないでください。皆さんは私たちに多くの希望をもたらしてくれます。皆さんは自由なパレスチナへの道の礎です。どうか、これからも声を上げ続けてください。
お願い
このインタビューを受けていただいた目的のひとつでもある、フサム先生へのご寄付をお願いいたします。侵攻開始以来、20キロも体重を落とされたというフサム先生は、どうしても他者を救うことを優先しがちですが、ご自身にも可愛い3人のお子さんを含む家族がいらっしゃいます。末っ子のアブード君は、長期間の栄養失調のため「くる病」を発症しているそうです。一瞬先はどうなるかわからない状況から少しでも生き延びる可能性を高めるために、ご寄付をお願いできればと思います。
こちらからフセム先生一家へご寄付いただけます↓
GoFundMeでの寄付の仕方はこちらの投稿で詳しく説明されています
編集後記
フサム先生、爆撃と飢餓に苦しめられながら、数え切れないほどの患者を救うために現在も尽力されているにもかかわらず、私のインタビューの質問に答える時間を割いていただき、誠にありがとうございました。そして、思い出すだけでも辛い、生々しく鮮明で胸が張り裂けるような記憶を私たちと共有してくださったことに心より感謝いたします。
私がフサム医師と知り合ったのは、2週間ほど前、ガザで生き延びている親友兄弟が重度の肝炎にかかり、私が藁にもすがる思いでSNSにそのことを投稿したことがきっかけでした。その投稿を見た私のフォロワーのひとりであったフミさんという方が、友人達と同じ地域にいたフサム先生を紹介してくださったのでした。幸い、彼らはすでに必要な医療を受けていたため、フサム先生に診てもらう必要はありませんでしたが、彼の「彼らが必要とする支援は何でもしましょう」という言葉に私がどれほど救われたかしれません。
それ以来、私はフサム先生の行動を通して他者を思いやる姿勢を学ばせていただいています。
現在、ガザではきれいな水を手に入れることが極めて困難で、人々は汚染された水を飲んで肝炎になったり、皮膚病に苦しめられたりしています。
たとえ水があったとしても非常に高価なため手に入れられず、爆撃や飢餓を生き延びても、暑いテントの中で苦しみ、亡くなる人がたくさんいます。
そこで、フサム先生はご自身が住んでいる地域の約200世帯に安全な水を供給するためのドナーを探されています。前述のフミさんや数人の方の支援を得て、複数のNGOやNPOに連絡を取り、そのうちの1つの団体の代表者とフサム先生が協議をしているところです。現地の状況は日々悪化しており、非常に流動的で、今後どうなるか予測は難しいですが、何らかの進展が見られることを心から願っています。そして何よりも、即時かつ恒久的な停戦を望みます。
長文をお読みいただきありがとうございました。
1秒でも早い停戦を願っています。
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