日本人はソブリンクラウドを理解できるか?
先月から今月にかけて、ソブリンクラウドに関するプレスリリースが相次いだ。一つはNTTデータがソブリンクラウド市場へ参入するというニュース、もう一つがNRIがソブリンクラウドのサービスを拡充するというニュースである。
これによって、現在日本でソブリンクラウドと銘打ってサービスを提供しているベンダは、NRI、富士通、NTTデータの三社となった。三社ともOracle Alloyをかついでいる。日立とNECはソブリンクラウドについてのウェブサイトは作っているが、まだ参入はしておらず様子見のようである。
さて、このように最近何かと耳にする機会の増えたソブリンクラウドであるが、その実体が何で、これがあると何が嬉しいのかというのはあまり理解されていない。それもそのはずで、このコンセプトが切実に意味を持つのは欧州においてであって、日本の置かれている環境においてはいまいちピンとこないのも無理はないのである。結論だけ先に書いてしまうと、日本はクラウドに関して恵まれた環境にあるので、ソブリンという概念を本当には理解できないのではないかと筆者は思っている。そこで本稿では何かとフワッとしがちなソブリンクラウドというのが何者で、どのような意義を持ったサービスなのかを解説したいと思う。
ソブリンとは何か
ソブリンクラウドと私たちは一言で表してしまうが、実はこの概念は少なくとも三つの概念の組み合わせである。NTTデータの解説記事より引用する。
二番目のシステム主権という言葉は、「ソフトウェア主権」や「テクノロジー主権」と言われることもあり、用語に揺らぎがあるが、指すところは変わらない。要するに「このクラウドやばい」と思ったら逃げ出せるポータビリティや、なるべくOSSを使うなどしてソフトウェアの透明性を担保しようということである。
さて、読者はこの三権を見てどのように思われただろうか。たぶん大方の感想は
「こんなの別に意識しなくたって当たり前なんじゃないの」
というところではないだろうか。そう、日本で普通にパブリッククラウドを使うにあたっては、特別に意識しなくてもこの三権が侵されることはあまりないのである。もちろん、大手のクラウドベンダ(ハイパースケーラー)はみな米企業であるが、かといって米国が日本を悪いように扱うなんてほとんどの日本人は想像していない。日米安保という強固な軍事同盟に支えられて、経済的にも緊密に結びついている。日米は熟年夫婦みたいな関係で、たまにUSスチールみたいに不和の種があったとしても、関係を破綻させようとまでは両国とも思っていない。だからこそ、ガバメントクラウドがAWS一色に染まっても別にみんな危機感を持たないのである。
正確には、一部の先進的な人は懸念を持っており、今後ガバクラにもソブリンの観点が入ってくる可能性はゼロではない。下記の論考などを参照されたい。
欧州はなぜソブリンクラウドにこだわるのか
このソブリンクラウドという概念が本当に意味を持つのは、繰り返しになるが、欧州においてである。なぜか。まず簡単なところから話を始めると、欧州にはクラウドベンダのリージョンがない国の方が多い。AWSで見ると、2024年現在、8ヵ国にしかリージョンがない。
つまり、ベルギーやオーストリア、ルーマニアといった中小国はクラウドを利用しようとしても自国内のDCを使えないのである。このため、データを国外に置かざるをえない。ない袖は振れない。だからこそ「データを置いている国と戦争とまでは言わないものの険悪になったらどうしよう」という懸念がリアリティをもって響く。特に隣でウクライナとロシアがドンパチやっているのを見ていれば、その心配も大きくなるというものである。日本のように小さい国土のなかに二つもリージョンを作ってくれているというのは、例外的な優遇措置である(日本が世界有数の災害国なのも考慮されているだろう)。
こうした理由から、クラウドベンダの側もローカルのパートナーと組んで運用主権を担保するなどの地道なビジネスを展開している。たとえばGoogle CloudはドイツではT-sytem、スペインのminsantといったローカルの企業と協業して運用を任せている。AzureもフランスではOrangeやCapgeminiと組んでビジネスを展開している。
中でも一番ソブリンクラウドに力を入れているのがOracle Cloudである。Oracleは欧州内に五つのソブリンクラウド専用リージョンを立ち上げて、通常のリージョンとは物理的・論理的に分離するという力の入れようである。
Oracleは前述のように、日本でもAlloyを使ってソブリンクラウドを展開するなど、こういう新しい潮流に対して非常に積極的である。反対にAWSはあまりやる気が感じられない。一応近いうちにやるとは言っているのだが、やる気があるんだかないんだか分からない印象を受ける。
ソブリンクラウドの失敗
こうしたハイパースケーラー以外にも、その国の中に閉じた形でソブリンクラウドを提供する事業者というのが欧州の各国には存在する。そういうところは規模は小さいが、国内にDCを持ち、運用もその国の国籍を持った人間があたるなど厳しいクリアランスを課して、政府などの機密性の高いデータを扱っている。また、ソブリンクラウドというと、政府が使うものと思い込みがちだが、2023年のアクセンチュアの調査によれば、欧州の大企業の3割以上がすでにソブリンクラウドを使用しており、半数近くが今後利用を検討しているという。主な利用者としては金融、エネルギー、医療、製薬といった機密性の高い情報を扱う業界であり、これは不思議な話ではない。
一方で、ソブリンクラウドはリスクの高いビジネスでもある。ソブリンクラウドについて調べると必ず出てくる事例にUKCloudというのがある。国産クラウドなら安心だと政府からヘルケアや防衛関連のデータを預かり、日本でも「英国のUKCloudやその上で稼働するプロジェクトは、日本にとって良いモデルとなるはずだ」などとお手本のように語られていた時期がある。政府も本気でクラウドを使うならば英国のようにソブリンクラウドを! と言われていたものだ。
しかしそのUKCloudが現在どうなったかというと、会社が破綻して消滅した。2022年のことである。
UKCloudが失敗した理由はいくつかあるようだが、2016年にAWSとAzureがともにUKリージョンを立ち上げて競争が激化したのが一因のようだ。かようにソブリンクラウドは専業でやろうとするとハイパースケーラーに負けてしまうというリスクが付きまとう。
日本の場合、三社とも日本を代表するSIerであり、ハイパースケーラーとの競争になってもそう簡単に潰れることはないだろうが、採算がとれるのか、というのはまた別問題である。日本では公共系のワークロードはすべてガバメントクラウドに流れてしまうので、民間の需要を三社で取りあう形になる。主には金融分野と、ヘルスケアの一部ということになるのだろう。うーん、どうだろうか、という感じである。今後もしかするとガバメントクラウドにソブリンの概念が入ってくる可能性もゼロではないが、今のところそういう動きは見えないので、AWS一極集中の弊害が明らかになってから議論を始めるにしても数年はかかるだろう。
あるいは三社ともそういう世界観をすでに見据えている可能性もあり、このところソブリンクラウド関連の動きが激しくなってきているのは、ある程度需要と勝算が見えているのかもしれない。いずれにせよ、今後クラウドのトレンド追うときに一つのキーワードになることは間違いないので、頭の中に入れておいていただければと思う。