管理職という肩書になった私へ
これを書いたのは去年の11月。私が愛してやまない春名風花さんが審査員になっていたやさしさにふれてコンテストで企画が発表になり、note記事を公開しないと、という謎のモチベーションが無かったかと言われれば95%くらいそれ起因だった訳であるが、さて何を書こうかと思った時に浮かんだのは将来のことだった。
35歳という年は過去も未来も見据えてしまう。私はどういう人生を送ってきたのだろう、これからどうなるのだろう。当時の現状に不満があった訳でもあったが、それ以上に飽きてしまっていた自分もいた。あと何年同じことを繰り返すのだろうか
あの記事を書いてからいろいろあって履歴書と職務経歴書を書いて転職活動に応募して、WEB面談で1回も上司となる人や上司の上司になる人と直接会わないまま、画面の向こうでで面接が通ってしまった。驚異の1打数1安打。応援してくれた人には感謝しかない。
私は面接は得意な方だ。調べに調べてあらゆる想定質問を考えるなんてことはしない。どうせ自分は念入りな台本は覚えられないのがわかりきっているのと、今までの人生で挑戦してきた理由も挑戦しなかった理由も全て準備せずともわかっている。せいぜい受ける会社の事業部のホームページを少しだけ見て、製品や市場などをちょっと把握するくらいだ。
私が最大級に混乱した質問は2つ、1つは新卒のときの某ゲーム会社の最終面接で聞かれた「あなたにとってエンターテイメントとは何か」という質問と、もう1つは前回の転職で聞かれた「このペンを俺に売ってみろ(英語で)」だった。両方落ちた。人生で会心の出来だった面接は新卒の時に受けた、テレビとかゲーム機とか作ってる会社の親会社の二次面接だった。あまりに会心だったし面接官のウケも良かった。やっぱり落ちた。
転職活動はスキーのようなものだ。エージェントに履歴書と職務経歴書を出すのはリフトに乗る行為、まで考えたけどそこから先が続かないのでスキーはいい例えでは無かった。でも滑り出したら一直線なところは似ている気もする。そして途中で板を外していつでももとの場所に降りていいのだ。
転職の場合、内定が出るとオファーレターという環境や待遇が記された用紙を発行するところもある。しないところもある。私の現職は前者だった。管理職採用と書いてあった。応募したんだから当然なのだが、管理職として雇われるとは微塵も思っていなかったというか実感が無かった。今回は職種も、職務も両方チャレンジだったしチャレンジであることは全ての面接で必ず伝えていた。
11月の私よ。肩書は管理職になったよ。3ヶ月で。
3月の私よ、まだお前は管理職ではないよ。だって何もしていないだろう?
新卒の頃、管理職とは特殊な人がなると思っていた。実際異能な人も多いし、そうでない人もいることもわかった。今の私はどちらかなのかは評価が判断する。私は期待値に沿い続けて進むだけだ。
これから2ヶ月目に入る。過去への未練は12月に切った、新しい道へ進もう。
年末までにはある程度の結果が出ていると思うの、そこまで頑張ろうな。冬と春の境目の3月の夜に、書きなぐったこの記事はアンサーソングではなく3部作の2番目だ。ジェダイか帝国が逆襲か復讐かするから、安心してフォースを溜めるのだ。ヨーダのマネはできないのでアジア系枠としてできることをしていきましょう、ではまた、後ほど
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