6年越しの出産レポ②
私は病院へ戻る前にシャワーを浴びようか迷っていた。
乾燥春雨(のようなもの)を膣に入れた際、「シャワーを浴びると痛くなるかも」と言われたことが気になっていたのだ。
既にだいぶ痛いし、これ以上痛くなるリスクを冒したくない。
また、シャワーを浴びた後にすっぴんで病院に行くのが恥ずかしかった。
この期に及んですっぴんが恥ずかしいだなんて今考えるとあほすぎるが、まだギリギリ20代で初産だった私は、女にかけられる理不尽な社会的期待を無自覚に背負うがゆえの恥じらいを抱えていた。
股をおっぴろげ、いきんでいる最中に排便してしまうことも往々にしてあるという出産。
当時の私は、これから自分の排便シーンを目撃するであろう他人にさえ少しでも可愛く見られたいという世界一無意味な欲求を手放すことができなかった。
夜8時。結局シャワーを浴びずに病院へ行くことにした。
すっぴんは恥ずかしいし、まだ陣痛の進みが遅いと一旦家に帰される可能性だって大いにある。
シャワーはその後、寝る前に浴びればいい。
病院に向かう車の中で、陣痛の間隔を計ってみることにした。
陣痛はずっと痛いわけではなく、痛い時間と無痛の時間が交互にくる。
陣痛が始まってから次の陣痛が始まるまでの時間を計測すると、ちょうど10分だった。
10分間隔になったら担当助産師に連絡するよう言われていたので、もしかしたら私が思っているより早くお産が進んでいるのかもしれない。
私は少し不安になりながら夫にそれを伝え、助産師に連絡を入れてもらった。
病院に着くやいなや夫が「もう産まれそうなんです!!」と受付スタッフに訴える。
え!?!?なんで!?!?!?
私、もう産まれそうなの!?!?!?!?
夫は私が痛みに悶え腰を曲げて歩く様子と、
「10分間隔だから助産師に連絡しないと」という言葉で、
勝手にもう産まれると勘違いしていた。
私は焦ってノーノーと訂正するが、痛みに脳のキャパシティを奪われすぐに言葉が出てこない。
夫の緊迫した様子に焦った病院スタッフは私をすぐさま分娩室に案内した。
痛みが治まったタイミングで
「まだ産まれないと思います。陣痛はまだ10分間隔です。あと痛みも耐えられるレベルです」
と話すと、スタッフは呆れ顔だった。
そして
「あーそうなの?でももうここに来ちゃったから、まあこの部屋でいいよね」
と言われ、私は分娩室でそのまま待機することとなった。
その後病院の助産師が現れ、子宮口の開きをチェック。
「まだ全然開いてないよ。1センチ」
ほら、やっぱりまだ産まれないじゃん・・・。
「じゃあ今日は一旦家に帰れますか?」と聞くと、
「もう10分間隔なんだから帰れないよ。産まれるまで病院」
と言われてしまった。
え・・・このまま出産・・・!?
一気に押し寄せる現実感。
私は無痛分娩を希望していたが、子宮口がある程度開くまでは麻酔を打てない。
そこで陣痛促進剤の点滴を入れ、ひたすら陣痛に耐えることとなった。
結果的に、そこから麻酔を打つまで30時間かかった。
この間の記憶はほとんどない。
覚えていることだけぽつぽつと書く。
・陣痛室ではなく分娩室だったため、普通のベッドがなく分娩台しかなかった。
台は高さが高いうえ、肘をついて四つん這いになることが出来ないため、痛みを逃がすポーズが取りづらくキツかった。
30時間もかかるなら普通のベッドがある陣痛室で過ごしたかった・・・。
・途中から痛すぎて本当に子宮が破裂するかと思った。
「この痛み尋常じゃないです。絶対に何かがおかしいです。多分子宮が破裂します」
と何度も真剣に訴えたが、助産師は静かに哀れみの目を向けるのみだった。
後から聞くと、自然に起きる陣痛よりも陣痛促進剤で人工的に起こされる陣痛の方が痛みを強く感じる人が多いらしい。
もうほんとに信じられないくらい痛かった。
・痛みへの対処は①笑気ガス、②飲み薬、③モルヒネの順に行われる。
ガスも飲み薬も全く効かなかったため、一刻も早くモルヒネを打ってくれと何度も懇願した。
・ようやくモルヒネが投与されると痛みから完全に解放された。
夢見心地。
モルヒネ最高。
麻薬って素晴らしい。
西洋医学しか勝たん。
心の底からそう思った。
それまで頑なに閉じていた子宮口が一気に開いたのもモルヒネを打った後だったので、お産を進めるためにはリラックスすることが重要だったのだと思う。
・ずっと口呼吸でゼーハーしていたせいか、途中から自分でも分かるくらい息が臭かった。
しかし歯を磨く余裕はなくずっと臭かった。
・シャワーも丸二日浴びていないので全身臭かった。
汗と皮脂で顔も髪もベタベタだった。
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