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関西企業に転職して一年経ち、思うこと

前回記事を投稿してからだいぶ月日が経ってしまったが、関西系の企業に転職して一年三ヶ月。職場は東京本社(竹芝)だが、月に何度も新幹線で兵庫や大阪を往復する生活を送っている。私は東京出身で今は神奈川県川崎市に居を構えているが、今までの50年近い人生でこれほど西日本に縁はなかった。しかし、身近に感じられるようになった今、関東に比したその歴史の重さを痛感している。

兵庫県書写山円教寺

特に、今回出張先の大阪で一泊し翌日土曜日の雨の中の観光はとても印象的だった。インスタグラムで尊敬する神社研究家の方から推薦いただき、東大阪の石切劔箭神社を訪れたのだが、とりわけこの場所は感慨深いものがあった。この神社や地名となっている「石切」という名前の由来は、御祭神の御神威が強固な岩をも切り裂き、貫き通すほど偉大な様から来ている。製鉄や鍛冶などの技術に長けた物部氏ゆかりの神社らしく(物部氏は御祭神の饒速日尊の子孫と云われる)、東大阪は日本のモノづくりを支える中小企業の集積地となっているのも強い縁なのかもしれない。メーカー勤務の身として背筋が伸びる気がしたし、訪れた日がちょうど春の例大祭で、宝物殿の平安時代から祭祀の木積(こづみ)氏に代々伝わる剣が拝めたのも有難いことだった。

石切劔箭神社の御神木

実は転職前に島根の出雲大社から山陰〜兵庫を縦断し、車で大阪まで旧知の友人に会いにいく一人旅を敢行したのだが(途中、会社を起こした曽祖父の鳥取県倉吉市の実家を訪れたり、自分探しの良い体験となった)、なるほどその時は短時間で押さえられる観光地だけにとどまったことを思い知った。西日本は深く知れば知るほどその歴史や文化に奥行きがあり、そして鎌倉や主には江戸から始まった関東とは比較できない懐の深さがある。

雨の大阪で、ふと立ち寄った歴史博物館の展示を見ながら、京に都が整うまでのおよそ150年の間にこの近畿という狭い範囲で変遷を繰り返した史実を目の当たりにし、改めてその重みを感じた一日となった。

飛鳥・奈良時代の畿内(大阪歴史博物館より)

ところで、今の職場の上司や同僚の方は関西出身者ばかり。Web会議でも「ええんちゃいまっかー!」などと返されて戸惑う日々だが(笑)長い歴史と文化から育まれてきたと尊敬の念を抱きつつ、これからは私が外来種ならぬ良き多様性(ダイバーシティ)として受け入れられること願っている。皆様もそんな50歳手前の私のチャレンジを温かく見守っていただけたらコレ幸いなのである。

(トップ写真:世界遺産 奈良の法隆寺)

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