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1年後に世界が生まれ変わるなら。


雲の上の世界は遠い 


「雲の上の世界は遠い。」
 僕が年長ではじめて見た映画に「ドラえもん のび太と雲の王国」という映画がある。
この映画を最初にみたときは、衝撃だった。

いま足で踏んでいる世界が存在することも、当たり前ではないと思えたからだ。

2 頽廃した人間社会



いきすぎた資本主義は、人間のエゴを表面化させた。
・24時間空いていて、いつでも食料を入手できるコンビニ 
・まだ食べられる食品を大量に廃棄し続けるフードロス

「雲の王国」では、地上人による大気汚染で人口減少に直面していた天上人が、地上人を大洪水で洗い流す計画を進めていた

地上人は争い、エゴをはびこらせる。戦争はなくならない。

日本は戦争がない縄文時代を経験し、いわゆるアジア・太平洋戦争に至るまで大多数の国民が「戦争」を間近に経験することはなかった。
その分、アジア・太平洋戦争での精神的・物質的な崩壊の衝撃波はとてつもなく大きかっただろう。

生活に困らないように、
もっと豊かになるように、終戦から高度経済成長期に至るまで、人は一生懸命働いた。
より多くのものを、より短い時間で運べるように、高速道路ができ、自動車が普及した。

エネルギー供給に困らないようにとの願いから、はげ山と化していた山々に大量のスギが植えられた。
石油がなくても電気に困らないように、全国にダムを作り、核の力を利用した原子力発電が生み出された。

そうして生まれた大量の需要をさばけるように、化学製品・農薬を使った大量生産・大量消費の思想が発展した。


終戦後、明日を生きることができるように人々の間に生まれたエネルギーは、今日よりもっと豊かになるエネルギーに変化した。

人々がより幸せになるような願いによって回り始めた資本主義の核分裂は、満たされることを知らない。

安い外国産の農産物や森林資源に目がくらみ、生きるために必要な農林水産の営みはなおざりになった。
公共事業で人気が取れると考えたことで、中山間地域にはコンクリートの巨大構造物が次々と林立した。
こうして、先祖代々受け継がれてきた豊かな自然環境は荒廃の一途をたどった。

いつしかお金と権力に人が群がり、「原子力ムラ」に象徴される受益構造ができた。

しかし、エネルギーには収縮点がある。そのタイミングがいわゆる89年のバブル経済の崩壊だったのかもしれない。

バブル景気の中で過回転した経済循環に、エンジンブレーキがかかった。バブル景気の中で加速した消費者第一主義は益々強化された。従業員の方々の働きに見合わない過剰なサービスと値下げによって消費者を獲得する思想が広がる。そして消費者は貯金に走り、お金が循環しにくい社会になった。

労働によるユーダイモニアは失われ、「やりがい」がない仕事だらけ。賃金が安い労働力を求めて第二次産業自体が徐々に海外に移転し始め、雇用が失われていった。

「明日を幸せに生きたい」エネルギーは、いつしか「消費欲をお金という相対的価値物を通して満たす」エネルギーに変化してしまった。


2.人間への性悪説


私はサラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれた。

最近になるまで、いくつか自分が成長する中で無意識に身体に染み込ませてきた価値観がある。

それは、目の前の人は、敵であると思いこんでいたことだ。
私は人を疑うことが多かった。特に父が他人を疑ったり、見下す性格をしていたため、その影響を濃く受けている気がする。

・父方の家系は、いわゆる「変わり者」が多かった。元々は石川県の能登にルーツがあったのだが、曽祖父が養子として東京にやってきたところから始まった。曽祖父は日本で始めての映画館を浅草に開く事業に関わっていたそうだ。

父は国立大学の教授をする祖父とピアノの先生をする祖母の間に生まれた。

・父が車を運転するとき、必ずと行ってよいほど目の前のドライバーや歩行者の文句を聞いていた。

・父方の祖父母宅に行くときは、母方の祖父母宅より自分が評価されているような、少しの息苦しさを感じていた。

3 宇宙の真理

宇宙を知ることは、神を知ることになるのではないか。
宇宙の全体像は誰も知ったことはない。宇宙の先に存在しているものが何なのかがわからず、幼少期からの疑問だった。

僕が幼少期のときにはかなり奇妙な体験をした。
たとえば3歳のとき、父方の祖父母の家の玄関に入ると、廊下の向こうから真っ黒いモリゾーのような怪獣がこちらに近づいてきてとても怖かった記憶をはっきり覚えている。

今から振りかえれば、宇宙の波動を身体全体で受けていたようにも思える。

私はクリスチャンであることもあり、この世界を動かす大きな力があることをスーッと信じている。自分の人生も、決定論ではないがある大きな力の流れに浮かんで流れていると感じている。

個々人の人生が全て大きな流れの中にあって、その潮流の中にあることを善い生き方とするヴィドゲンシュタインのような考えには、親和性があると思っている。

台風や地震、天気の移り変わりや雄大な海、地球が自転しながら太陽と月が昇り降りしているさまは、宇宙の壮大な流れの端くれの現象なのだろう。

人間は宇宙の壮大な摂理の流れのなかで、水面に突き出た浮かぶ岩を歩くアリにすぎない。

4.私たちはどう生きるか

この地球に生まれた命じたいが、宇宙のわずかな偶然で生まれた奇跡の上に成り立っている。裏を返せば、私たちは宇宙の摂理を前にしてあまりにも無力だ。

時間の進みかたがあまりにも壮大すぎる。

私たちの人生はあまりにも短い。
そこにどんな意味があるのか?

だからこそ、私は【自分にとって善いと思う人生を生き切る】ことに望みをかけている。

限りある人生の最期に、幸せで満ち溢れる人生を回顧したい。

そのために、今あえて就職せず、過去の自分と向き合うための時間をもたせて頂いている。
自分の中にある重くさびついた扉を開けた先に、幸せな世界が待っている予感がする。


 人生最期の1年だとしたら、あなたは毎日をどう過ごしますか?




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