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教員は究極の分業制? ~声をあげることが子どもたちのためになる~

学校では、担任の先生方がそれぞれの教室で大きな裁量権のもと、教育を行っています。基本的に、ぼくらは隣の教室の先生がどのような授業を行っているかを知らないし(自分も授業やっているから見に行くヒマがない)、学年が違えばまったく見えません。
なので、学校という教育現場において、先生方は子どもたちへの教育業務を分担していると言えます。しかも、それを外部からとやかく言われることがほとんどありません。

例えば、学校の責任者である校長先生(管理職)は、たまに授業の様子を見回ってきて、時には助言をいただくこともあります。それが校長先生の重要な役割の一つでもありますから。しかし、それも日常的なことではありませんし、そもそも校長先生は「助言」はできても「命令」はほぼできません。職務上の命令をする権限は持っていますが、それは非常に限定的です。例えば、超勤4項目に該当する場合や、法令違反のような場合のみです。つまり、日常の授業内容について、実質的に命令をすることはできません。(やったとしたら、法令違反です)
そう考えると学校という場所は、各先生方が「超優秀」ということを前提に、子どもたちに関してほぼ全権限を委任しているという究極の分業制だとも言えます。

これは、よい状態なのでしょうか?
前述したように、すべての先生方が「超優秀」であれば、すばらしいシステムだと思います。しかし、その考えは現実的ではないでしょう。そもそも、教育という正解のない世界で、なにを持って優秀とするかの基準ですら曖昧です。

分業制のメリットは、その業務を効率よくこなし、かつスピードもあることです。分業にする事によって各個人はその仕事に従事する時間が増え、相対的に業務スキルも向上します。それにより、全体の業務スピードも上がります。
しかし、デメリットもあります。分業制のデメリットは、その業務“しか”知らないので、業務全体を把握することが難しいということです。つまり、目の前の仕事しか見えなくなっており、自分の仕事が業務の中でどういう役割を果たしているのかとか、そもそもその仕事自体にどのような社会的意義・価値があるのかという俯瞰的視点が失われやすいということです。

では、教員の視点で考えてみます。担任の先生は、分業により「目の前の子どもたち=教室での教育活動」という仕事に専念できます。それにより、スキルは向上するでしょう。しかし、教員ならではの業務の特殊性(#超忙しい)も相まって、逆に言えば目の前の子どもたちのことしか見えなくなる可能性があります。すると、例えば「自分の実践が子どもたちの将来にどのように影響するのだろうか」とか「今の教育のシステムをそのまま踏襲するだけで、本当にいいのだろうか」というような俯瞰的・長期的な視点が失われている現状があるのではないでしょうか。

本来であれば、ぼくら現場の教員が教育業界の中で一番子どもたちに近い存在なわけですから、こうした視点を持つべきだと思っています。しかし、難しい。それは、分業による弊害かもしれません。ではどうすべきか。

ぼくは、まず「気づいた人」が「声をあげるべき」だと思っています。

ここでいう「気づいた人」とはおそらく、この文章を読んでいるあなたのような人だと思います。そして、声をあげるのは、勇気がいることだと思います。少なくとも、現場で声をあげるとなると、同僚性を築けなくなってしまうと避ける人も多いのではないでしょうか。
ぼくのおすすめは、まずSNSで発信してみることです。それは、ツイート(現X)やFacebookやInstagramやブログなど、なんでもいいです。しかし、ネガティブキャンペーンにならないようにしましょう。なるべく客観的な事実をもとに、教育の良さを発信したり、現状に不満があるならきちんと代替案を提示したりすることが重要です。

いまは誰でも無料で発信ができる時代です。だからこそ、声をあげることで、未来の教育がよくなる可能性が広がります。SNSでの発信についてこれ以上述べることはここでは控えますが、もしあなたが気付いた人ならば、ぜひ一緒に、声をあげてほしいと思います。


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