寂しさの本質。
「寂しさの沼」から自己解決で抜け出そう
「寂しさ」ってウサギちゃんのようなか弱いイメージがあるのと裏腹に、物凄い威力があると思いませんか。だって寂しさのあまりに人は通常では考えられないような行動を起こすことがありますから。
それほどまでに強烈に人を惑わせる力があるということは、それほどまでに大切なメッセージがあるとも思うのです。
ということで、今回は「寂しさの沼」の中から抜け出すために、私の経験とそこから気づき得たシンプルな答えをシェアさせて頂こうと思います。
「自己肯定感」を高めたい方にも参考にして頂けるような内容です。
あなたの気づきのヒントになれば幸いです。
心の苦しみは身体の痛みと同じ⁉️
ところで、棚の角とかに小指をぶつけるのってやたらと痛いと思いませんか。
20代の頃の私はそんな時、
「めっちゃ楽~」
と言っていたことを覚えています。頭おかしいですよね。だけど毎日毎日寂しくて心が辛すぎて、体の痛みを感じることで心の痛みが緩和されるため、その方が楽だと思っていました。リストカットと似たようなものですね。
だからピンセットで耳に穴をあけてみたり、喘息なのにタバコを吸ってみたり。心臓がダメになるから1日3回までしか吸ってはいけないと言われていたサルブタモールという劇薬の入った喘息の吸入器にも依存し、一晩で一本吸ってしまったり。
薬の副作用でいつも手は小刻みに震え、心は寂しさで震える日々。寂しさを感じないためなら何でもやっていたと言っても過言ではないほどもうむちゃくちゃでした。
毎日朝までお酒を飲んで心を麻痺させても変わらず寂しい。というか余計に寂しい。とにかく誰かといないと寂しい。いや、人といる時はより一層寂しさが増す。それなのに誰かといたい。恋愛依存症はそれこそ麻薬並みの苦しさでございました。これはほんの一部のお話ですが、それもこれも尋常ではない「寂しさ」のなせる業だったと思うのです。
そしてこんなに苦しいのは親や周りのせいだと責め続け、その後責めてしまったことへの罪悪感に押しつぶされ、より一層生きづらくなるというループの中を生きていました。
そうこうしているうちに苦しみから抜け出すためにあれこれ試し、最終的にスピリチュアルやら霊的な世界に誘われ、これまでの人生で経験したことのないような激烈な憑依体質になり、魔物さんやら不成仏霊やらに囲まれて、ある意味寂しくはなくなったという…何か違う気はしますけど。
カウンセリングには10年以上通いました。
「私が私を裏切る!」
というのが当時の口癖で、カウンセリングの先生に「その裏切る子に名前を付けるとしたら?」と聞かれ、ギラ子というあだ名をつけ、何かあれば
「またギラ子が私を裏切った!」
と彼女を責め続けました。私はギラ子が大嫌いでした。全部あの子が悪い。そうしているうちに、いつの間にかギラ子は現れなくなってしまったのです。
ギラ子が現れなくなってしばらくしてから私はひきこもりになりました。生きる気力もなくなりソファーの左のすみっこから動けなくなってしまったのです。
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