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1889年近辺のこと Ⅱ

もう呪文のように唱えちゃってますが、1882年にパスカル・タスカンのオリジナル楽器(1769年製)が発見され、トマシーニによって修復され、記録ではディエメは1889年のパリ万博でクラヴサン連続演奏会をこの楽器で行いました。
それまでの5年間。どんな活躍があったでしょう?ここが最も興味のあるところです。
前ブログでお話した
「Les clavecinistes français」がDurand社から出版され、現在はミシガン州立大学に所蔵されています。
2013年10月15日デジタル化されています。
「Les clavecinistes français: ... Vingt pièces choisies」
全4巻ですが、第2巻と4巻のみ現存のようです。
ここでも第1巻と3巻は見つからず、もしかしたら紛失かも知れませんが。
編集者は
 
編集者
Louis Diémer (1843–1919) - vols.1–3
Paul Dukas (1865–1935) - vol.4 no.17
Jacques Durand (1865–1928) - vol.4 nos.1–3
Alexandre Guilmant (1837–1911) - vol.4 no.16
Vincent d' Indy (1851–1931) - vol.4 nos.14, 18
Fernand de La Tombelle (1854–1928) - vol.4 nos.11–13
Théodore de Lajarte (1826–1890) - vol.4 nos.4, 8–10
Georges Marty (1860–1908) - vol.4 no.15
Camille Saint-Saëns (1835–1921) - vol.4 nos.5–7, 14–20

これはもう当時最も活躍していた人物が並んでいます。いかにバロック時代の音楽に興味があったかが伺いしれます。

さっそく、第2巻の冒頭の曲で躓きました。

誰だ?この人は?
結局わかったのは、この作曲家はFrancois d’Agincourtでした。
時々あるんですが、名前もこのように表記することがあります。が、FとJでは???
1733という数字からいきました。
この年はフランソワ・クープランの亡くなった年。この曲集では多く取り扱われている作曲家もクープラン、などグルグル。

 

彼の1733年版のクラヴサン曲集で同じ曲を探して特定できました。
第2巻には装飾音についての記述があります。
ここでまた疑問が。

Notaition Lerne   レルネ記譜法?
これがよくわからない。


1887年版
1733年版

演奏上は少し意味が違ってくるのですが、音としてはこれで良いのですが。

1887年版


1733年版

このトリルの指使いはまだもう少し考えないとなりませんが、バロック式では違うと思うのですが。

上のトリルの装飾法はタイ付きトリルと解釈すれば正解ですが、すべてをそれでそろえていいものか?装飾音を音で書く伝統はここら辺からなのでしょうか?(1887年)ピアノ全盛の時代ですからピアノ譜の習慣とも思われますが。
特にフランス人のバロックの作曲家はそれぞれ独自の装飾音記譜法を持ち、その数の多いこと。バッハのように解説してあるものは珍しいと言えます。バッハに準じてエマヌエル・バッハの2冊のガイドブックには細く記されています。クープランも装飾音のガイドブックを作っています。あまりにも間違った演奏の横行でまるで違うことになっていたからでした。必要があったのですね。

もっともイタリアでは古くから装飾音を音で書く習慣がありましたから、より正確に弾かせようという意図でしょう。

スカルラッティ、モーツアルト、ベートーベンあたりから一気に装飾音の種類がシンプルになり、バロック時代の装飾音の弾き方がわからない人向けに書かれたと思われますが、今になってみると有り難迷惑な部分も有り、なぜ、昔のまま、もっと言えば作曲者自身の装飾音表に沿って演奏しなかったのかが謎です。


 




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