見出し画像

次、会うときは、骨  #RIP志村けん

5年前に幼なじみの親友を亡くした。(詳細はこちら

不慮の事故だった。

生まれた時からいる友だちだったから、いつでも会えると思っていた。だから、私に娘が生まれこともあって、その年に限って年末まで彼と会うことはなかった。

突然の別れに、私は周りが引くほど涙した。止まらない涙は、自分でも驚くほどだった。


1年ぶりに会う彼は、死んでいるとは思えないほどいつも通りだった。

ただ棺桶に入って、動かないだけで。

遺体に花をたむけ、彼の好きだった安室ちゃんのCDやポスターを棺桶に入れ、蓋を閉じた。

そして、手を合わせて、火葬炉へ入っていく彼を見送った。彼と出会えた幸運とその後の40年間に感謝しながら。


1時間ほどで、彼は骨だけになった。

そのあまりに変わり果てた状態を眼前に突きつけられて、私はようやく、彼の死を受け入れられた。

いや受け入れたくはなかったが、受け入れるしかないと諦めることができた。

骨でしかない彼は、もう私の知っている彼ではなく、死んだ、もう会うことも話すこともできない、という現実を強制的に理解させてくれた。

だから、冷静に骨を拾うこともできた。


火葬はあまりに急スピードで、物理的に人間を消滅させる。遺族や親しい人たちの受け入れる時間なんて無視して。

でも、そうでもしなければ、いつまでも彼の死を引きずってしまっていただろう。諦めるまで、受け入れるまで、もっともっと時間がかかっただろう。

最後のお別れをする葬式という儀式が、とても大切であり、不可欠なものであるということがよくわかった。

その後、父を亡くし、昨夏に母を亡くしたが、やはり葬式という儀式があったことで、自分の中で何かを区切ることができた。喪失感はあっても、今、前を向くことができている。


志村けんさんが亡くなった。

日本最強の喜劇王。

言語の壁を軽く超えるその身体的な笑いは、日本が唯一世界に誇れるコメディアンだった。


感染が判明してから、わずか1週間後で亡くなってしまったことに、このウイルスの恐ろしさをあらためて感じる。

そして、このウイルスは、人間を殺しても、まだしぶとく燻り続けるのだ。

厚生労働省は、感染した人の遺体について、「非透過性納体袋に収容、密封することが望ましい」とし、葬祭業者に対して、遺族等の意向にも配慮しつつ、「極力そのままで火葬するよう努めてください」としている。(朝日新聞より)

志村さんの遺体は病院から火葬場に直行し、火葬後、実家に遺骨が届くという。

ご家族は、入院後の面会はおろか、遺体にも会えぬまま。

先月に古希のお祝いを親族でしたそうだ。今月も元気にテレビで活躍していた。なのに、次、会うときは、いきなり骨なのだ。

その心中は想像を絶する。もう無茶苦茶だろう。


次、会うときは、骨。

ウイルスがこれほど恐ろしいものだとは思いもしなかった。


厳戒態勢が敷かれる欧米に対して、いまだ日本の政治は「自粛」一辺倒。

五輪の開催日はすぐ決めても、国民の命を守る決断はできないでいる。

営業補償もないのに、名指しで酒場に行くなという。もはや営業妨害だろ。

国民に「自粛」を要請しながら、奥さんは盛り場で宴会しているような男が頭をはっている国の政治に、何かを期待する方が土台無理な話か。

やはり、我が身は自分で守らなければならないようだ。

だっふんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?