2024ベストアルバム
今回こそは年内に書き終えるぞ…と意気込んで一ヶ月ほど前からコツコツ書き始めて、なんとか書き切ることができました。今年は本当に名盤がたくさんリリースされた年でした。注目すべきレコード再発やサブスク解禁の話題も個人的に豊富で、音楽幸福度がとても高い一年を過ごすことができました。今年も拙文ですがどうぞお付き合いください(レビューはリリース順です)。
1. Contact/角銅真実
どこかまだ自分の知らない世界のどこかで、ひっそりと楽しまれ、伝承されてきた音楽を聴いている。このアルバムを初めてつまみ聴きしたときに感じたことです。
一曲目の「i o e o」がアルバムを象徴するように、言葉が、そして音までもが、何か意味のようなものを纏う手前で扱われており、その純度が保たれたまま音楽の形をなしている。どこか時流とは離れたところで、音を鳴らす原初的な喜びのようなものに満ちた時間が、この一枚には溢れています。
あらゆる楽器を使って演奏する彼女は、打楽器奏者という肩書きをはるかに超えた豊かさを自身の音楽に与えています。下記インタビューでも語っていますが、自身の声や言葉も「楽器」として使っているという表現があるように、彼女の声は他の楽器たちと対等に響くように感じられます。何かメッセージや印象的なメロディーを伝える歌があり、それを支えるバッキングがある、というような関係性にはなっていない。同じメロディーを声と楽器でユニゾンさせたり、時間差で声→楽器、楽器→声というふうに反復させたりする表現が多く見られますが、こうした表現もまた、楽器としての声の性格をさらに強めています。
角銅の声はどこか、ラグビーボールのような楕円型の球体がバウンドしているような、軽やかかつ緩急のある跳ね方をするイメージがあります。この自由な遊びのある声の感触は、ダイナミクスの表現にも表れているように思います。一般的には楽器の音が増えたり音が大きくなったりすると、それに合わせて声のレベルも聞きやすいよう調整されるのかなと思うのですが、どちらかというと彼女の声はもっと素朴に聴こえて来ます。楽しくなったりテンションが上がったりした時は、声の調子も上がり少し音量も上がる。一方で、少し落ち着いている時やリラックスした調子の時は囁きのような声になり、少し音量も下がる。こうした率直な声のありようは、話し声の延長のようにも感じられます。
彼女の歌声としての魅力もまた、計り知れないものがあります。長崎民謡のカバーである「長崎ぶらぶら節」(M-7)、こんなにかっこいいアレンジが他にあるでしょうか。民謡クルセイダーズもびっくりです。2本のストリングスの反復フレーズに、ディレイのかかった角銅の声がのって、夕時の怪しい祭りの雰囲気が漂う導入。二番が終わって三、四番は、楽器の数も増えて少し雰囲気が明るくなります。
個人的に注目すべきは、この後の四番と五番の間に流れる間奏のような部分です。声としては複数のコーラスが「あぁーあぁー」とメロディーを奏でていて、楽しさが増す感じにはなるのですが、一方で壮大な祭りっぽさは抑えられていて、独特な軽さ、剽軽な感じが作り出されています。おそらくこれは、直径10cmくらいの極小太鼓みたいな音と、高い音で鳴っているおもちゃの木琴のような音色によるところが大きそうです。サステインがごく短く、ドライな打音が刻まれています。そして五番に入るところで、ピアノやらシンバルやらがブワァーんと弾け、怒涛の16ビートへ…凄まじい展開です。
そもそも曲数が多いのもあるでしょうが、かつ各曲がそれぞれ異なる色合いを持つ印象もあるので、聴きごたえ満載のアルバムです。単調な日々に飽き飽きして、どこか見知らぬ国に行ってみたくなった時におすすめの一枚です。
2.The Room/Sam Gendel & Fabiano do Nascimento
このアルバムはリリースされて以降、本当によく聴いています。今年一番聴いたかもしれません。本能的な衝動を感じて、レコードも買いました。今年7月、渋谷のWWW Xにてちょうどこのコンビで来日公演があり観に行くことができたのも幸運でした。いつも通りSam Gendelは、サックスからアコギの音を出したり、新しく小型のウインドシンセサイザーを使ったりしていて楽しそうだったのですが、Fabiano do Nascimentoの歌心あるプレイも目の当たりにできましたし、二人の生み出すグルーヴの投合具合が体験できたことが何より感動的でした。
本作は南米の民謡、フォルクローレをオリジナルとする楽曲を中心にしたカバーアルバムです。各トラックの原曲については詳しく調べられているレビューがありましたので、以下リンクを失礼します。
今や言わずと知れたLAの暴れん坊Sam Gendelに関しては、過去のベストアルバムレビューでも度々登場してもらいました。正直なところ、このアルバムを聴いて彼のサックスプレイヤーとしての技術力と表現力の高さに圧倒されました。どうしてもSamの音色でパッと思い浮かべるのは、ハーモナイザーを効かせたあの独特な浮遊感のあるサウンドではないでしょうか。
誰と共演していても一瞬で耳が引っ張られるほど強烈な個性を持つ彼のサックスですが、本作においてそのサウンドの面影はほとんどありません。かなりクラシカルな演奏に徹していて、郷愁の感溢れる情緒的な聴取体験を届けてくれます。ただ彼の特徴である息やトーンの微妙な震えは本作でも聴きとることができ、このデリケートな震えが、私たちの心を遠い前世にまで及ぶノスタルジーに浸らせるのかもしれません。
しかしなんといっても本作の凄みは、ギターとソプラノサックスという二つの楽器だけで構成された極めてシンプルな演奏形態でありながら、二人の演奏が完璧な意気投合ぶりを見せているところです。FabianoとSam、二人ともかなり複雑なフレーズを軽々と弾き/吹きこなしながら、その上でブレイクのタイミングや抑揚の作り方までも、一人の人間が重ね録りしてもこうはならないだろうというフュージョン具合です。
個人的に最も好きな曲は「Kewere」(M-4)です。初めて聴いた時にちょっと衝撃的すぎて涙が出ました。冒頭のギターフレーズから一気に緊張感が高まります。はち切れんばかりの悲しみを内に秘めつつ、静かに熱いパッションを持続させて駆け抜ける一曲という趣です。進行自体はかなりシンプルなのですが、Samのフレーズ展開とピークの作り方が神がかっています。激しい起伏のある感情のあり様そのものが音楽の形をとった、南米の根源的なスピリットを感じさせる稀代の名作です。
二人による演奏動画はそれなりの数がYouTubeに上がっているのですが、このちょっと広めの公民館みたいなところでやっている演奏が好きです。こちらはパーカッションのTiki Pasillasも参加した、トリオでの演奏になっています。冒頭でTikiがタンバリンを打ち鳴らすリズムに独特なヨレがあって面白く、これはおそらくサンバなどでも聞くことができるブラジル音楽特有のグルーヴなのだと思われます。まだまだポテンシャルの満ちている南米の音楽、これからも探求していきたいところです。
3.No Reino Dos Afetos 2/Bruno Berle
ブラジル北東部、アラゴアス州マセイオ出身のSSWによる2ndアルバムです。タイトルからも分かる通り、前作『No Reino Dos Afetos』(2022)の続編に位置付けられる作品です。
一曲目の「Te Amar Eterno」のアコースティックな優しい響きと、シンプルなループから穏やかな世界に引き込まれ、彼の「Te amar~」という一発目の声の伸びやかさにグッと心掴まれます。色々なWebサイトやレコードストアで「ローファイMPB」という紹介がされていますが、確かに打ち込みっぽいビートの作り方だったり、ややぼんやりした輪郭のサウンドメイクに関してはローファイ感があります。でも一方で、ビート自体にはいわゆるディラ的なブレイクビーツのヨレだったりディレイ感はほとんど感じられず、結構タイト目というか、ほぼジャストタイミングで構築されている楽曲が多いのかなという印象です。
先ほど取り上げた「Te amar~」からすでに聴き取れるのですが、今年色々とMPBを聴いている中で個人的に大きな発見だったブラジル音楽に聴かれる歌唱の特徴があります。端的にいうと、短いしゃくりの様な歌い方です。特に歌い出しの音や、音が上昇していくフレーズの場合は聴き取りやすいです。このちょっとふわっと声が上向きに上がる歌唱法が、文字通りブラジル音楽に感じる高揚感というかポジティヴさ、根本的に心を前向きにさせてくれる明るさにつながっているのかもな、と感じています。
この間仕事のお昼休憩の時間に、近くの公園でご飯を食べながら本作を聞いていたのですが、紅葉している銀杏と秋晴れの陽気も相まって尋常でない多幸感に包まれました。全体的に軽やかな浮遊感のある曲たちで構成されているのと、彼の声質によるところも大きいのかなと思います。9曲目の「Quando Penso」に至っては、もはやJoão Gilbertoが乗り憑っているかのような素朴な優しさに満ちた歌声を聴くことができます。
もちろん、本作をブラジル音楽とかMPBという括りでカテゴライズすることはできませんし、一口にブラジル音楽といっても悲しさや寂しみを歌う短調の曲だってあるでしょう。しかし本作においては「Acorda e Vem」(M-6)が、他の楽曲とは距離を置くように、ひと際異質な雰囲気を放っています。
海の奥底から陽光を乱反射させる水面を眺めているような、煌めきのある響きが長い残響をともなう怪しげなシンセサウンド。その上にオートチューンをかけたBerleの声が響いています。やや宗教的な雰囲気すらあるこの曲、何を歌っているんだろう…と気になり、文明の力を借りて訳してみました。
抽象度が高く、やや神秘的な気配すらある詞です。音がそのまま言葉になったんじゃないかと思いました。何か過去に起きたことへの後悔や反省のような念が読み取れますが、やはりどちらかというとその心は未来を向いているような、ポジティブさを感じます。
後ほど紹介するのですが、同じく現代のMPBシーンを牽引するアーティストであるDora Morelenbaumとも共演しているスタジオライヴがYouTubeに上げられていたことをこの執筆中に知りました。こうしたアーティスト同士の予期せぬ繋がりを発見できるのも、毎年の年間ベスト盤選定プロセスにおける醍醐味になってきました。二人の声の絡まり方が素晴らしいです。
4.A Path to Open Air II/Tobias Wilden
北ドイツの沿岸部、ブレマーハーフェン在住のアーティストによる本作もまた、前作『A Path to Open Air』(2013)の続編にあたる一枚です。
これは個人的な趣向の話になりますが、私が俗にいう「アンビエント」と呼ばれる音楽を聴くときに求めている重要な要素がひとつあります。それはビートがないこと、言い換えると、リズムに流動性があることです。
彼は主にアコギやピアノを使用した楽曲制作を行なっていますが、本作ではさまざまなストリングスや三線の音色を新たに取り入れており、異なる弦のテクスチャーや響きの多層性が楽しめる一枚になっています。他のプレイヤーと演奏している曲もありますが、多重録音で自らの鳴らす音を重ねていく構成の曲もあり、どちらにせよ、他者の音を聴く、そして自分の音を聴くとはどういうことなのかを考えさせてくれます。
特にドラムレス・クリックレスの場合、プレイヤーは文字通り呼吸を合わせて、楽曲のリズムを自分(たち)で作り上げていく必要があります。そこで、緩急を生み出すリズムのタイミングを合わせていく過程では、自分、あるいは他者の身体を信じる姿勢がより強く求められる気がしています。彼の音楽には、そうした身体への信頼のようなもの、身体と対話することの喜びが率直に伝わってくるところがあり、聴いていてとても安心感があるのです。
ところで、彼は写真家でもあります。公式のinstagramには、コントラストの強い夕景、あるいはモノクロの海景だったり、最近ではおそらく来日した時に撮影したであろう東京の街を、高い場所から見下ろす視点で収めたものなどが上げられています。その風景たちは、暖かさを残しながらも静謐な印象を讃えていて、どれも一貫した美学に貫かれています。水平線、建築、街灯などの構造物は、存在感のある幾何形態として風景に厳格さを与え、一方で控えめに映り込む人物の影や、雲や木々、鳥たちの造形は風景に無限のバリエーションを作り出します。
彼の音楽もまた、これらの風景写真に似た音像を伝えています。どこか強烈に記憶に残る光景を目の当たりにしたときに、その時間を引き伸ばして永遠に変えてしまうような。言語的なメッセージとは離れたところで、その美学を追求しているようです。
彼はたくさんの演奏動画をYouTubeに上げているのですが、まだそれほど彼の音楽が世界中に知られているような印象はありません。流行や時流といったものからは離れたところで、淡々と続く生活の一部として創られた素晴らしい音楽を、こうして遠い日本にいる私へ届くことに感謝します。
5. Charm/Clairo
アトランタ出身のSSWによる、3枚目のフルアルバムです。今年はところどころでいろんな人が本作を絶賛していた様な気がします。今年のグラミー賞Best Alternative Music Album部門にノミネートされたことでも話題になりました。
Rostam Batmanglijとの共同プロデュースによる1st『Immunity』(2019)とも、Jack Antonoffとの共同プロデュースによる前作『Sling』(2021)ともかなり異なる仕上がりになった本作ですが、新たにプロデューサーとして迎えられたのはLeon Michelsです。同じく今年リリースされたNorah Jonesの『Visions』にもプロデューサーとして参加していました。
個人的には、プロデューサーとして誰が参加しているかはそれほど気にせず作品を聴くのですが、彼女の歴代アルバムを聴き比べてみると、曲調の変化も確かに大きいものの、同時にサウンドメイクの方向性やミックスのあり方でものすごく聴こえ方が変わってくるなということを強く感じました。
1stの音像は、どこか現代的というか、打ち込み感の強いドラムやシンセの音色が使われ、かつかなり分離のいいミックスで、声やそれぞれの楽器の音が広いレンジで割り振られています。レベルも少し大きめではないでしょうか。「Bags」のようにややロックテイストの楽曲も収められていて、いろいろなことを試しながらやっている感じがする一枚です。
一方2ndでは、まずアルバム全体のレベルが抑えられ、かつ曲調も静かで落ち着いたものになっています。使用されている楽器たちもアコースティックな響きのものが多く、その分彼女の声が纏う繊細で親密な響きにフォーカスが向かっているような印象です。それでもやはり、定位の振り方や分離感の良さに関しては現代の「良い音」のスタンダードを踏襲しているように感じます。
そして今作です。ぱっと聴いたときの印象は、癖がないミックスというか、あらゆる音が中央に寄っている印象で、飾り気なくまとまった仕上がりになっています。楽器の使われ方に関しては、シンセサイザーの音色が多様で、装飾的な使用もピンポイントであったりしますが、オーソドックスなバンドサウンドが骨格を作っている印象です。曲の構成もシンプルなものが多く、アルバム全体にとても統一感があります。こうした楽曲構成のシンプルさと、アナログ感のあるサウンドメイク/ミックスがなされることによって、彼女の歌声とコーラスワークの魅力が前作にも増して生かされているように感じます。
「Juna」(M-7)のMVですが、リングの床面がめちゃめちゃ揺れてて、Clairoの顎が心配になります。
正直なところ、1stと2ndに関してはBGMとして聴くにはとても耳心地がいい音楽だと感じてはいたものの、明確な特徴を感じにくいアーティストだという印象でした。それが今回のプロダクションと曲調の変化によって、鮮やかに彼女の歌の魅力が最大限引き出された傑作になっていると思います。
彼女の音楽(あるいは類似したポップミュージック)を形容する言葉として「ベッドルームポップ」という呼称がよく使われるようですが、比喩的で曖昧なカテゴライズだと思います。苦手な言葉だと直感しました。DTM環境を比較的安価に構築できる様になり、誰でも音楽が制作しやすい状況になって久しい現在、制作から流通までを部屋でできることそれ自体は特別な意味を持たなくなりました。さらにはサブスクリプションもすっかり一般化したことで、あらゆる音楽にものすごい速さでアクセスできるようになりました。
こうした現代の環境下において、新たに作られる音楽が、ある特定の文脈や歴史を反映しない、雑多で膨大なリファレンスを湛えることになるのは必然であると思います。一方で、やや複雑な構造を持った音楽や、パンク性のようなものを湛えた音楽は好まれなくなってきているというか、どんどん母数自体が減ってきているような印象です。本作もそうですが、リラックスしたムードのスロー〜ミドルテンポの楽曲がより好まれるようになってきていることが、制作環境および聴く側のチル感覚を反映させた、曖昧なジャンルとしての「ベッドルーム」という言葉にも反映されているのかなと思います。決して目立って革新的な作品とか、圧倒的傑作といったようなオーラを纏っていない作品だと感じますが、でもなんとなくずっと聴いていたくなる、気づいたら体が揺れているというところは、本作の代え難い魅力になっていると思います。
こちらの「What's In My Bag?」というシリーズで、彼女がどんな音楽にどのような影響を受けてきたのかを紹介していて面白いです。矢野顕子がお気に入りのアーティストとも語っていますね。
6. The Way I See You/Ålborg
2022年、横浜で結成された5人組による1stアルバムです。
彼女/彼らを初めて知ったのは、昨年新宿MARZで行われたんoonというバンドのワンマンライヴで、オープニングアクトとして出演していたときです。一見オーソドックスな編成のバンドのなかに、トロンボーンを持った人(安田)がいて、演奏が始まる前から心が掴まれた記憶があります。とても素朴でやわらかなMiyaの声が生かされたフォーキーな楽曲が演奏されていくなかで、功刀がスチールギターを弾き始めたり…とエクスペリメンタルな雰囲気がありつつも、すごく耳馴染みよく、すっと心に入ってくる音楽を鳴らす人々だなぁ…というのが強く印象に残っています。
じっくり聴き直していると、トロンボーンてギター・ベース・ドラムのバンド編成にこんなにしっくり溶け込むことができるんだ、と大きな可能性を感じます。音色的にはブラス特有の華やかさがあり、少しゴージャスなテイストを楽曲に付加しつつ、トロンボーンに特有のグリッサンドの効いたサウンドは効果音のように聴くこともできます。楽器の性質上音程をアナログに変化させることができるので、ギターやベースのかっちりしたチューニングで構成される各音から、微妙にズレたヘルツで音が繰り出されるところも楽曲に暖かみを与えていてナイスです。ブラスに限らず、管楽器は息の調子でダイレクトに出音や音程が変わるので、少し声に似ているところも暖かみと形容している感覚を聴き手に与えてくれるのかもしれません。
アルバムのタイトルにもなっている『The Way I See You』は、訳すと「あなたの見え方」や「私から見るあなた」といった感じになると思います。全編英詞の本作ですが、上記インタビューでのMiya曰く、日本語よりも「歌詞の内容が曖昧になりにくい」ところが、英語で詞を書くことの楽しさであるとのことです。歌詞の内容は全体的にかなりシンプルで、反復されるフレーズも多く無駄が削ぎ落とされている印象です。私やあなたが、そして私とあなたが、ただ存在するとはどういうことなのかが即物的(実際に現前しているものに即して考える、という意味での)な仕方で表現されていると思います。
アルバムの最初と最後を飾る「Same Page」(M-1)と「Same Page!」(M-10)は、それぞれが同じ曲の別アレンジになっています。ここで登場する歌詞を少し引用してみようと思います。
本作の歌詞全体を通してですが、"hear/listen"は頻繁に使われている単語の一つです。「あなたは私の名前を呼ぶ」「私はあなたの名前を呼ぶ」…「あなたは私に話しかける」「私はあなたの話に耳を傾ける」。楽曲の最初に登場するフレーズを聴くだけでも、"You=あなた"が、"I=私"よりも行為主体として先に置かれているところに、Miyaの存在論的な考え方が表れているように思います。あなたが「話す」ことで、そして私はあなたの声を「聴く」ことで、二人が存在するということ。 私に働きかける相手に対して、何らかのレスポンスを返す態度を示すこと、その能動的な受動性とでもいうべきものが、ここでは示されているように感じます。
「hear/listen=きく」ことで互いの存在を肯定しようとする根本的な態度は、「I wish」(M-2)の「あなたがここにいたなら/聞いてほしいことがたくさんある(=I wish you were here / I have lots of things I want you to hear)」や、「Girl」(M-7)の「少女よ、世界の裏側にいるあなたが/ただ元気に過ごしていることを願っているよ」(=Girl, you're on the other side of the world / Now, I just hope you're doing ok)といった、相手のことをただ「想う」という姿勢にも反響しています。
バンドメンバーが五人いると、単純に音数を増やすことができますし、サウンドや構成を複雑にする方向に向かいやすいのかなと想像しますが、Ålborgはものすごく引き算的に音楽を作ることを意識的にやっているバンドだと思っていて、これは結構勇気のいることなのではないかと考えたりします。シンプルなバンドサウンドを指向しながら、でもこの五人でなければ鳴らせない音像を作っていくところに彼女/彼らの魅力を感じます。
7. Love Deluxe/優河
2022年のベストアルバムレビューで、『Betsu No Jikan』という岡田拓郎の一枚を取り上げたのですが、その彼によってプロデュースされた一作であるという紹介をTwitter上で見かけて、本作を知りました。
実は優河の名前も本作で初めて知ったのですが、前作の『言葉のない夜に』(2022)を聴いてみると、かなりがらりと趣を変えた一枚に仕上がっている印象を受けました。前作はスロ〜ミドルテンポの楽曲群で構成されており、彼女の柔らかな声質や伸びのある歌い方を全面的に支えつつ、それを生かすようなサウンド作りやプロダクションが行われているように感じます。ビートが強調されない曲も多く、ゆったりとリラックスして聴けるムードです。
一方本作では、何よりもダンスミュージック的な要素がアルバムの骨格を成しています。16ビートが基調になっている楽曲が多く、とくに「Don’t Remember Me」(M-2)、「Tokyo Breathing」(M-8)は、8小節単位で反復されるリズムとベースラインが生かされたアフロビートですし、「Love Deluxe」(M-4)は四つ打ちと2,4拍目のクラップが持続するディスコライクでファンキーなビートに仕上がっています。ただ冒頭で鳴る「ファーファーファーファー」というサウンドをはじめ、特徴的だけれども柔らかさのあるエフェクティヴな音が細々と散りばめられているので、ファンクグルーヴの硬さや単調さに陥りそうなところを巧みに回避している印象です。
同じく16ビートの楽曲でも「遠い朝」(M-1)や「Sunset」(M-9)は、ヒップホップのブレイクビーツを思わせます。この密度の高いリズムがある一方で、浮遊感のあるコードがゆったりと展開していく構成は、岡田の過去作である『Morning Sun』(2020)を彷彿とさせますし、彼の持ち味が前面化している部分だと感じます。
こちらのインタビューでも触れられていますが、「泡になっても」(M-10)ですらすらと流れていくように聴こえてくるピアノの響き。河川敷を散歩しているときに、ふと上空をすーーと飛び去っていく鳥のようなイメージを持っているこのフレーズは、エチオピアのピアニストであるEmahoy Tsegué-Maryam Guèbrouを参照しているとのことです。少し前に、おそらくLP再発のタイミングで話題になっていたピアニストですが、以前聴いた時はあまりしっくりこなかったのかそれほど記憶に残っていませんでした。でも今改めて聴き直してみると、ペンタトニックスケールを軽快に行き来するフレーズは日本民謡や童謡に近い雰囲気があり耳馴染みがよく、しかし所々にブルーノートが入ってくることでジャジーな響きも垣間見えます。これはエチオピアにおけるハーモニーの潜在的なユニークさなのか、それとも彼女が編み出した独自性なのか、その両方だとは思いつつ…不勉強なのでさらなる探究が必要になるところですが、シンプルなのにとてもクロスオーバーな響きがして面白いです。このカテゴライズがやや困難な自由度のある響きは、岡田拓郎の独特のポップネス感覚を反映させたハーモニーのあり方と相性がいいのかもしれません。
しかし何より、優河の歌声が持つ懐の深さに気付かされる、という点が本作の核になっています。ダンスミュージック的な成分がリズムやサウンドに大胆に取り入れられた分、ゆとりが感じられる「Lost In Your Love」(M-5)や「Mother」(M-6)における彼女の声の伸びやかさは一層美しさを増しています。かと思えば「Petillant」(M-3)での呟くような語りのパートもあったりと、かなり縦横無尽に新しい要素が盛り込まれているにも関わらず、すべてに全く違和感がないというか、無理なく自分の音楽にしてしまうような声の力を感じます。彼女の潜在的な声の魅力を圧倒的に開いたことが、本作の最も大きな達成ではないかと思います。ライヴの映像を見てみましたが、彼女の声は録音より生で聴いた時に説得力が飛躍するタイプの声だと直感しました。
8. Dunya/Mustafa
カナダ・トロント出身のSSW/詩人として活動するMustafaよる2枚目のアルバムです。日本語でいうところの「現世」や「この世」という言葉がしっくりくる、アラビア語で『Dunya』と名付けられた本作は、前作『When Smoke Rises』(2021)と比べ、スーダンにルーツを持つ彼のムスリムとしてのポジショナリティを前面化した作品になっています。
サウンド面では、前作に引き続きフォーキーな印象が引き継がれていますが、中東や北東アフリカを思わせるウードやマセンコなどを使ったフレーズが効果的に取り入れられています。「Imaan」(M-3)や「Gaza is Calling」(M-9)のイントロがわかりやすいですね。
「Gaza is Calling」を初めて聴いた時、昨年秋頃から過激化したイスラエルによるパレスチナ侵攻に対する一種のプロテストソングだと思い込んでいたのですが、この曲自体は3年前に完成していたものだと以下の記事で知りました。しかし裏を返せば、このパレスチナ問題は第二次大戦後から現在までずっと続いてきたものですし、ムスリムとして生きることに誠実に向き合う彼がこのタイミングでリリースをすること自体、強いプロテストメッセージになっていることは疑いようがありません。
同時に、彼の書く歌詞には起こっている事実に対する切実な悲しみや憂いが感じられ、静かな怒りが込められているように思います。ハスキーで穏やかな歌声からは、そうした切実な嘆きと共に生まれてくる希望の様なものが滲んでいます。
シンプルなリズムセクションとアコースティックギターの響きを活かすフォーク的要素は、彼の音楽の基盤を成しています。リズムトラックには打ち込みらしきややエレクトロな音色も取り入れられていますが、しかしソリッドなグルーヴには持って行かずダイナミクスも抑えられています。どちらかというと静かなトラックに仕上げているのにこれほど耳に残るのは、彼の唯一無二と言える声の包容力があるからだと確信します。
ガーディアンのインタビューで彼は、フォークを自らの表現として使うことについて語っています。トロントに生まれ育った彼はJoni MitchellやBob Dylanといったアーティストに影響を受けてきたと語る一方で、のちにウッドストックで演奏するRichie Havensの存在を知ったと言います。そこで自らがアフリカにルーツを持ち、黒人であることをアイデンティティとすることについて、「自分たちが見えない(=歴史的に白人が中心を占めてきた)ジャンルにおいて、自分たちが中心に立つことが必要」なのだと語っています。
こうした問題意識は、ブルースのアメリカにおける需要やロックへの展開が起こった時のように、幾度となく行われてきた文化盗用や搾取へのカウンターと見なすこともできます。しかし、私見としてはむしろ、文化的共有物としてフォークを使うということを、黒人にとっての自然な選択肢の一つにするという意図なのではないか、と考えています。すでにClairoのレビューで少し触れましたが、サブスクやネットを通じて、時間的にも空間的にも膨大な音楽リソースにアクセスできる現代において、性別や人種や国籍といった属性によって表現する音楽のジャンルが偏りをもってイメージされてしまうということは、今までよりも一層ネガティヴな意味を持ちやすくなっているのではないかと思います。そうしたなかで、フォークという方法を拡張しつつ、ムスリムである黒人としての自らの立ち位置を明確にし、作品化した『Dunya』が纏うバランス感覚は目を見張るものがあります。
Daniel Caesarも参加しているTea at Shilohで行われたこのライヴの親密な雰囲気、聴いていてとても落ち着きますし安らぎを与えてくれます。
9. Pique/Dora Morelenbaum
彼女を初めて観たのは、昨年、立川Stage Gardenで開催されたFestival Fruezinhoを観に行ったときのことです。Doraが参加しているBala Desejoがその年に出演していたのですが、それはもう素晴らしく比類なきアクトでした。主要メンバーだけでなく、ドラムにベース、ブラスの二人も含めて全員がとにかく楽しそうで、彼/彼女らの凄まじいパッションに会場全体が巻き込まれていくような、至福のライヴ体験だったことを今でも思い出します。
たしかFruezinhoの出演ラインナップが発表された時に話題になっており、そこでBala Desejoの名前も初めて知ったと記憶しています。そのメンバーのなかに彼女を見つけたとき、どこかで聴き覚えのある姓だなと思った瞬間、Morelenbaum2/Sakamotoが頭によぎり、ピンときた次第です。DoraはJaques・Paula Morelenbaum夫妻の娘でした。
Bala Desejoの主要メンバーは、それぞれソロでも活動しておりアルバムも出していたりするのですが、彼女はまだアルバム単位の作品が未発表という状態でした。本作はそんなDoraの待望の1stアルバムです。Bala Desejoの『Sim Sim Sim』(2022)にも共同プロデュースで参加したAna Frango Elétricoが本作のプロデューサーであることも話題になりましたね。
改めて歌声をじっと聴いていると、息の成分が多いPaulaの歌声に似たところがありつつも、かなり幅広いムードの楽曲を鮮やかに歌いこなしている印象です。過去作は基本的にはシンプルな編成の楽曲が中心で、構成もスローテンポでヒーリング的に聴けるものが多かったのですが、本作はBala Desejoのようにブラスやストリングス、コーラスなど様々なサウンドを贅沢に使ったバンドサウンドが基調になっています。それでいて、コードの使い方や細かいフレーズの入れ方が凝っていて、ジャジーな雰囲気が強くありつつも聴きやすい仕上がりになっています。
個人的にこのアルバムの肝になっているものの一つがリズムパターンの複雑さだと考えています。背後にはつねに16ビートが感じられますが、音の抜きどころやアクセントのずらし方が面白いパターンが沢山散りばめられています。
例えば「A Melhor Saída」(M-5)のAメロは8拍単位で反復されるパターンですが、スネアの位置が3拍目の裏→7拍目の頭とパターンの中でも変化がつけられたり、「Talvez(As Canşões)」(M-10)は、4拍単位のAメロ基本パターンが1~3拍目は裏裏拍(タタタタの四つめ)でハットやスネアのアクセントが来て、4拍目頭のスネアで安定するアクセントに導かれるリズムになっています。これ、かなり狂ったパターンだと思います。裏裏拍でしか音が鳴らされない間はとても不安定なリズムですが、4拍目のスネアが、2回目のAメロで展開される16ビートのファンクネスを期待させる、計算された構成です。
あとはなんといってもDoraの楽器のような声の使い方、そして歌唱のテクニックが(極めて軽やかに歌いつつも)尋常でないところが詰め込まれた彩りに注目せざるを得ません。「Não Vou Te Esquecer」(M-1)、「Nem Te Procurar」(M-11)のテーマや「VW BLUE」(M-7)のハミングなど、いろんな曲で他の楽器とユニゾンするメロディが沢山取り入れられていたり、人力で声にトレモロをかけるような歌い方だったり…あとは細かく音程を変えるようなメロディの組み方も、声と楽器を溶け込ませるような要素として働いているのかなと思います。
先に紹介したBruno Berleもそうですが、MPBはじめブラジルの音楽家って、歌う声そのものが魅力的な人がとても多い気がします。小野リサがとある動画で話してたのですが、ブラジルではご飯を作るときやリビングに集まる時など、日常生活を過ごす時間のうちに、みんなで歌う習慣が根付いているのだといいます。彼女のライヴ映像を観た時やBala Desejoのライヴでも体感しましたが、オーディエンスを巻き込みながら一緒に歌って音楽を作っていくムードはやっぱり楽しいものです。
10. Hosono House Covers/V.A.
細野晴臣による言わずと知れた名盤『HOSONO HOUSE』(1973)のカバーアルバムです。国内外の様々なアーティストたちによる13曲のカバーが収められています。
『HOSONO HOUSE』に関しては、2019年にリアレンジされた『Hochono House』がセルフカバーとしてリリースされていましたが、こちらはエレクトロニカを基軸にした大胆なアレンジが施されていました。『Hochono
House』を初めて聴いた時のあの瑞々しい感触が今回のカバーアルバムにも溢れていて、さらなる遊び心や異なる角度からの驚きをもって聴くことができます。今回参加しているアーティストの並びも、インディペンデント精神に溢れた人々というか、メインストリームを意識しているというよりは己のスタイルや美学を貫くラディカルさを強く持った面々だと感じます。
どのトラックもそれぞれ違う方向性に光っている部分があって楽しいのですが、まずはフランス発のポップデュオ、Pearl & The Oystersによる「恋は桃色」(M-1)の独特な爽快感が素晴らしいです。フランス語を母語とする人が日本語を発音するときの癖のようなものがあると思うのですが、少しClémentineを想起させる穏やかさがあります。サビの前後に入るフルートのフレーズが印象的で、吹き抜けていく初夏の風を感じますね。
mei eharaによる「住所不定無職低収入」(M-2)は、ギターの音選びやフレーズの組み方がユニークで面白いです。彼女のソロ作品が好きでこれまで発表されているものは聴いていたのですが、今回のカバーで彼女の声質の低みの魅力に初めて気付かされました。かつ、サビのコーラス(キャプテンクックの様に俺は今)のハーモニーに美しい広がりがあるところがポイントです。
Jerry Paperによる「薔薇と野獣」(M-5)は、構成自体はシンプルなカバーなのですが、たくさん重ねられているシンセサイザーの音色がどれもだいぶ癖がありながらサウンドのバランスが取れていることに、彼の圧倒的なセンスを感じます。冒頭のスティールパンのような音で刻まれるリズムと、ぽよぽよしたサウンドでもう耳が持っていかれます。
全曲に関してたくさん好きなところを書きたいのですが、収拾がつかなくなるので次で最後にします。Sam Gendelによる「恋は桃色」(M-11)です。いやまたGendelかい!と言いたくなりますが、私自身好きだからというのももちろんありますし、それにしても今年も本当にいろんなところで引っ張りだこでした。彼は2018年に『4444』というギター弾き語りがメインの作品を出しており、SSWとしてもすごく魅力的な曲を書く人だというのがわかるのですが、その時の彼を思い出させるようなカバーに仕上がっています。声にはショートディレイがかけられていて、これは彼がサックスでも多用するエフェクトなので馴染み深いのですが、オリジナルを聴いてみると細野自身も声をダブリングさせていますよね。直接の影響を受けているとは断言できないにせよ、類似した感性が垣間見えるところが面白いです。細野のラジオ番組に彼がゲスト出演した回をアップロードしてくださった方がいたので聴いてみましたが、不器用者が対峙している雰囲気が最高です。Gendelがインタビューなどで話している姿はほとんど全くみたことがなかったのですが、予想以上に寡黙な人柄を知ることができて、ますます彼が好きになりました。
本作がリリースされてから通勤時にたくさん聴いていたのですが、聴き疲れもしなければ飽きることもなく、すごく聴くことに集中できる一枚になっていることに救われました。ダウナーな気分を保ったまま、そのままでいることを優しく肯定してくれるような懐の深さは、細野作品の代え難い魅力だと再認識しました。
おわりに
今年は本当に名盤がたくさんリリースされた年で、30枚くらいの中から絞り込むのがものすごく大変でした。洗練されたポップスがたくさん出てきた印象があって、とくに個人的な関心が強かったものとしてアンビエントジャズ、そしてフォーク的なものの再評価・再解釈を経た新しい音楽にたくさん出会えたように感じています。
今年も、様々な理由から10枚の中には入らなかったけれどもよく聴いた作品を紹介しておきます。
・Bright Future/Adrianne Lenker
・First Love/んoon
・Live at Glasshaus (feat. Questlove & Robert Glasper)/Bilal
・Catpack/Catpack
・Head Rush/Channel Tres
・sentiment/claire rousay
・Dance, No One's Watching/Ezra Collective
・Whispered Something Good/G.S. Schray
・We Have Dozens of Titles/Gastr Del Sol
・Mahal/Glass Beams
・Keeper of the Shepherd/Hannah Frances
・Love Heart Cheat Code/Hiatus Kaiyote
・SCIENCE FICTION/宇多田ヒカル
・We Dance/Hochzeitskapelle
・Horsie/HOMESHAKE
・Rising/Jasmine Myra
・Something For Real/Kiefer (feat. Luke Titus & Pera Krstajic)
・VANTABLACK/Lalah Hathaway
・Flower of the soul/Liana Flores
・Glovemaker/Loren Kramar
・When a Thought Grows Wings/Luna Li
・The Tinnitus Chorus/Michael Scott Dawson
・Milton + esperanza/Milton Nascimento & Esperanza Spalding
・Odyssey/Nubya Garcia
・Acts Of Faith/Sault
・Six Songs/Tom Misch
今年は色々と大きな変化がたくさんあった年で、いままでより一層音楽に救われるように感じたことが多かった年でした。そしてPuma BlueやAlice Phoebe Lou、Hiatus Kaiyoteなどなど、ライヴで観ることをずっと待ち望んでいたアーティストたちが一気に来日してくれたのも嬉しかったです。
来年もオーディオ環境をもう少し良いものに整えていこうと考えているので、知人友人たちとともにあれこれ音楽を持ち寄って、いいぞいいぞと喜び合う集まりなど催していけるといいなと夢想しています。
今年は色々な出会いや別れを目まぐるしく経験した一年でした。今年も遊んでくれた方々、お世話になった皆さま方、ありがとうございました。また来年も、どうぞよろしくお願いします。