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差、ありき

目に見えているものが 真実とは限らないこと。
自分の捉え方は その一面にすぎないこと。
自分の思い込みで 世界を見ているということ。

ここ最近また、そう思わせるようなことが
あれこれあった気がする。

自分を疑ってかかる。というか、
自分の感情や捉え方と距離をとる。
なんとなくそうするようになってたこの頃。
でも、一呼吸もつかないうちに
また自分は何かを“そう”捉えていて
それを体感や感情の理由とする。

そうやって理由付けをして進んでゆくのも
ありだと思う。
だめだと言ったところで、止まるもんじゃない。

でもせめて、自分のものの見方は
勝手で、曖昧で、不確実だってことを
その都度、一呼吸ごとに思えたら。

陰と陽、光と影、善と悪、色と空。
“と”で2つに分けてしまえるけど、
そのどちらかだけではいられない。

なにかを“それ”として捉える自分に
気づきながら、その裏側、向こう側の
奥行き、本来の姿にもひらいていたい。


この目で、すべてを見ることは出来ない。
個の偏りまで含めてすべてだから。
この偏りが、すべてを体感させてくれる。

すべてとの(幸せの体感との)分離感が、
その痛みが、その差が、あるからこそ
幸せを体感出来るってことか!?


差がなくなる生き方ではなく、
差に気づき続けてゆく生き方。
これが悟りの
めぐりの生き方ということなのか。
胸熱。



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