『感情というものは毎瞬、当たり前に移ろい変わるもの』
巷で、
“感情を大事にしましょう” “感情に従いましょう”
という言葉をよく見かける。
大人になるにつれ、自分の感情とは別に、色んな意味で我慢したり、周りと調和を保つことを優先にする場面は多くなる。
それでは辛い(…らしい)。
だからその時の感情(好きとか嫌いとか、笑うとか怒るとか、要するに自分本意)に従うことで、自分を大事にしているという証になり、結果的には人生も上手く流れる(という説)。
多分、そういった意味合いで言われているのだろう。
となると、自分本意に生きていない人は、自分を大事に出来ない可哀想な人扱いになってしまう訳だが…
これは一旦、置いておこう。
実は、かつての私もそういった感情に従うのはよいことだと信じていた。
だから好きなことだけやろうとした。
嫌なものは排除しようとした。
ワクワクというポジティブな感情だけが指針になると信じていた。
信じてはいたが、そこに確固たる信念や、何らかの根拠があった訳ではない。
情報をただ鵜呑みにしていただけだった。
右だと言われれば右へ。
左だと言われれば左へ。
…本当に、本当に、それが私らしい幸せ??
と、自ら立ち止まる意識がないほどに曖昧に生きていた。
元々、興味のあるものを見つけたら
飛びつくスピードは早かった。
周りが驚くくらい、次から次へとあらゆる興味があること、モノ、人に食らいついていった。
当然、周りからも
「そういう所がmichiruらしいよね」
と言われていたし、私自身も常に好きなことを探して向かい続けていくのが自分なのだと思っていた。
(スピード感のある動きは、本質的にも非常に私らしい動きではあるのだが、この時は知る由もない…)
そして同時に、お金がなくなるスピードも早かった。
好きな事をすればお金が増えると聞いたことがあるが、お給料やボーナスを貰っていても、あちこちに使っている額が大きいのだから増えるはずがなかった。
そんなの当たり前に、ちょっと考えればわかること。
でも当時の私は、そんな当たり前のことが分からなくなる程に、、どうかしていた。
好き嫌いの感情に振り回され、好きだから!ワクワクするから!と周りを見渡すこともなく一直線に突っ走り、散財し放題、しかし埋めたい穴は一向に埋まらず、本当の自分を見失っていった。
【感情に従う】
いま一度、冷静に考えてみる。
感情に従えば、本当に人生が楽になるのだろうか?
向き合わなければならない問題が本当に消えるのだろうか??
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子供は感情に正直だ。
笑ったり泣いたり怒ったりと、とにかく忙しい。
クルクルと変わるのが子供である。
感情の赴くままに吐き出してみたところで、気が済んだら収まる。
それは大人だろうが子供だろうが変わりはない。
果たしてそれに影響されて人生は毎瞬、変化しているのだろうか??
私の人生を振り返ってみても、自分の感情に影響されて人生が動いたことなど何ひとつない。
中学時代、不登校児だった私が高校受験も経験せず、なんの苦労もなく手に職をつけるような仕事に就職出来たことも、アロマ店に転職し店長になったことも、大好きな熱意が伝わってとか、ワクワクに従ったから結果に結びついたのでは、何ひとつない。
その時の流れの中で選択肢が単純にそれしかなかった、、それだけだった。
そもそも、嫌いな事はやらず好きな事をやってみたとて、手応えや充実感を得たことはなかった。
自分本意に生きれば生きるほど、自分の無価値観は増していった。
諦めと無力感の中から抜け出せなくなっていた。
自分が諦めていることにすら、気が付かないほどに。
好きなこと、ワクワクすることをして人生思い通りになって幸せ♡
なんて1ミリも感じられない自分がおかしいのだ…と自己否定の渦の中にい続けるしかなかったのだから、生きている実感なんて持てるはずもない。
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辛ければ泣いたり、楽しければ笑ったり、好きなようにすればいい。
でも単なる感情なのだ。
気分によってコロコロ変わる、ただの感情なのだ。
人間なら誰でも当たり前に持っている、いいも悪いもないもの。
さらに言えば、
感情的に、自分本意に生きることの意味さえ分からない人たちが沢山いるという事実を知ったことが、私の人生を大きく変えた。
自分本意に生きていないのに、その人たちは自分本意に生きていると信じていた。
自分本意に生きていないのに、しあわせをしっかりと感じていた。
人のために生きることは偽善。
人のために生きることは自己犠牲。
そんな言葉が、本質的に全く当てはまらない人たちを何人も知っている。
人のためにしか動けない人たち。
でも、その人は自分に素直だった。
そんな人たちには自分の感情に従うなど、到底意味がわからないことだろう。
好きだからやるとか、嫌いだからやらないとか、自分を優先するがわからない人たちが事実、存在するのだ。
その人たちも、見失っていた自分を取り戻していた。
【感情に従う】
それは、なんらかの結果が出るという前提で自分本意に生きるということ。
そこに相手はいるのだろうか?
そこにいるのは自分だけのような気がしてならない。
人生って、そんな狭い世界だっけ??
嫌なことや嫌いな人を排除し、自分の都合だけで動くような人生の中に、本当のあなたが求める幸せはあるのだろうか?
もしも感情とは全く別のところに、
本当のあなたがいるとしたら…
そんな問いを投げかけてみる。
人それぞれに、
オリジナルな本質があるという事を知って初めて、私は感情に向き合う無意味さを知った。
本質的な人生
私は伝え続けたいと思う。
想いを込めて。
michiru