『想定しまくっていた人間が、気づいたら何もしなくても平気になった話』
今思えば、
私は常に想定の中で生きていたように思う。
想定し、イメージし、常に自分が動きやすいようにコントロールし、自分の動きに制限をかけて。
じゃないと頭が真っ白、その後どうしていいわからなくなる自分がいることを知っていたし、焦ってパニックになることを防ぐが故のことだった。
それは自分に注目されたり、パニックや不安に駆られて慌てないよう、他者の表情が曇ったときに感じる動揺を避けるために、ある意味、自分の心がざわついたり居心地の悪さを感じたからこそ、やってきたことで。
しょうもない例えになるけど、
外出先のお手洗いでお腹を壊したくないから、毎日2時間前には起きてトイレタイムをつくり、休日には下剤をのんで調整を心掛けるという生活を長年続けていた。だから誰かと一緒に旅行も行きたくなかったし、人と一緒に住むなんて一生無理だと思っていた。
旅に出るとなれば、出発から目的地までの移動の予習が欠かせない。
駅名、目的地までの経路確認、料金、駅の構内図の確認、Googleマップのビュー写真で周りの様子を確認、車での移動の場合も必ず建物と経路、乗り降りするインターの出入り口の様子などもビューで確認してから臨んだ。
もっと若い頃は、自動改札で切符2枚入れるのか3枚なのかもわからないから事前に把握しておきたかったし、電車に乗ってからも車掌さんに切符を見せるため、乗ってからずっと手に持ったままで過ごすことが常で。
何もそこまでしなくても…なんだけど(笑)
とにかく、どんなに些細なことでも自分が慌てる状況にならないように想定し続ける中で生きていた。
必ず自分で把握やコントロールをしていないと、不安になった。
それをしない状態が想像できないほどに、私にとっては当たり前のことになっていた。
出雲に移住してからもそれは当たり前にやっているけど、想定ではないところに人生があるとバトンでリアルに知り続けているおかげで、
あんなに気にしていたことが気がついたら少しずつ薄らいでいっている。
今は、20年以上手放せなかった下剤を飲まなくなった。
でもお腹の不具合がなくなったわけではなくて。
症状はあまり変わってはいないのだけど、そこに問題を感じなくなった、次第にコントロールする必要性を感じなくなった。
問題を問題視しなくなった。
もちろん、今でも自分の想定外なことが起きると普通にビビる(笑)
急なアパートの引っ越しもそうだし、それに伴う出費の額にも正直、恐怖に慄いた。想定外なのに一気に減るのはそりゃビビるって…!(笑)
それに今、仕事も新しい環境に移ったはいいけど思ってもみなかった事態に直面していて、どうしたものかかと少々焦っている。
だけど、それをポジティブと捉えるのか、ネガティブに捉えるとかいう話でも
良いことが起きた、あまりよくない事が起きたという話でもない。
人生はそもそも想定通りじゃないものが起こり続けるもの。
それは、しかたがないと諦めたのではなくて
全てが私に必要だから起きている出来事だということを知ったから。
バトンでそらさんの言う『人生』というものは
本当に計り知れない。
必要だと思えなかったのは、すごく小さな世界で想定ばかりしていたからで
深淵なリアルな人生を知れば、そのことはちゃんとわかるから。
私はというと、「さて、、どしようかな?」はあるけど、先行き不安…みたいな恐れの感覚はない。
前みたいに、想定しなくなってきたのだから結構行き当たりばったりで右往左往しているのも事実(笑)
それなのに不安がないって、ホントすごい!
この先一体、私の人生はどこに向かうのだろうか^ ^
わからないけど、安心して自分の人生を愉しみに出来ることがありがたいと思う。
私のように自分に制限をかけまくって、生きづらさを感じている人に、少しでも届くことを願って。
michiru
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