弔いごっこ(週報_2022_03_09)
食卓を囲んでいた。
いつも通り、私が炊いた白米と、大皿に山盛りの名もなき惣菜。
大家族によくある風景。
じいちゃんは魚より肉が好きだ。
遅れてばあちゃんも卓についた。
伯父が言う。
「お前はこう見えて案外親孝行なんだな」
そうだ。
私は養父に強制され、幼い頃から米を研いでいたし、家族の好物を誰より知っている。
……母の隣で笑う、この伯父は誰だったか?
見たことがない。
ああああああああああ
ああああああああああ
自分の叫び声で目が覚める。
祖父母も、母も、死んだのだ。
暴君のようなあの養父も。
こんな夜が、幾度も続いている。
「お墓参りに行ってきます」と位牌に語りかけるとき、はたして母はどこにいることになっているのか。
馬鹿らしい。
さも信心深いふりをして、私は何もわかっちゃいない。
街で母に似た人を見かけたなら、きっと泣いてすがってしまうだろう。
そんな心配も杞憂にすぎなかった。
母に似た人など、この世のどこにもいなかったのだ。
四隅が見渡せるくらいの狭い部屋に、子猫と、生まれたばかりの赤ん坊。
それもたくさん。
もうダメだといくら言っても、母は聞かない。
次々と拾ってきては室内を糞尿まみれにして、とてつもない悪臭が漂っている、ような気がする。
挙げ句、振り向けば当の母もまた粗相をしているではないか。
ああ、これは夢だな。
半年もうなされれば、いくら私が馬鹿だろうと、もうわかるものだ。
世界の歴史がキリストの生まれる前と生まれた後に区切られているように、私の人生は母が死ぬ前と死んだ後に、ばっさりと分断されてしまった。
もう、母が死ぬ前の私には戻れないのだ。
母が亡くなって、今日で半年。
母と暮らしていた年老いた猫は私の傍らにじっと寄り添い、喉を鳴らす。
そんなふうに簡単に、私のことを好きにならないでほしい。