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誰かの一番お気に入りの場所をシェアする(週報_2019_03_17)

先週の週報を見るとすぐに恩人氏()が連絡をくれた。
珍しかった。
彼がリアルタイムで私の投稿を見て連絡をくれることは今までなかった。

いつものように彼の運転する車に乗り、
いつものように彼の焼くお肉で満腹になり、
いつものように手際よく寝かしつけられて。

会ったら泣いてしまうかもと案じていたけれど、実際顔を見たら涙はぴたりと止まり、なんともいえない安寧に包まれる。
私は彼を究極の大人だと思っている。
穏やかに、冷静に、現実を生きている。

ふと黙り、私のお腹のあたりをぽんぽんと撫で、大変だったね、と彼が言う。
子供のような私と一緒にいたら、彼はいつでも大人の役を担わなければならなくて、それはとても気の毒なことだと私は思う。
私もあなたと一緒に大人になれたらどんなに良いか。

「まだ策はあるから、大丈夫。
 あとは弟次第かな、困ったもので。」

「お母さんの気持ちもわかるけどね
 遠くの出来る子より、
 ダメな子でも同居してくれる子は可愛いもんだよ」

助手席でシートベルトに磔にされた私は進行方向を向いたままコートの裾を握り締めた。
ぐるりと目がまわる。

「ちがうよ!!!
 お母さんは私が一番、可愛いの!!!
 うちで一番機転が利いて、
 うちで一番真面目で、
 うちで一番お母さんのことを心配してる、
 私のことが一番可愛いんだから!!!」

ハッとしてバックミラー越しに彼の目を見る。
眼鏡の向こう側の瞳に前方の車のテールランプが映り込んでいる。

…よかった、私は叫んではいなかった。
整えるべき息さえここには存在しないのだ、吸って、吐いて、吸って、戻ってきて、私。

「そうかなぁ、そうかもね。ははは…」

いつかあなたのように大人になれない私のことを見限り、諦め、置き去ってね。
本当に、本当に、ごめんね。

そんなことを思いながら、彼と出会ってまもなく2巡目の春を迎える。

******

ある日の0時近く。
いつものバーの前を通りがかろうとしたとき、見覚えのある男性とすれ違う。
互いに「ああ」と小さな声をあげ、立ち止まる。
名乗りあったことがあるような、ないような。
その程度の顔見知りでも1軒行きましょうかと言われればなんとなく着いて行く、この街のルールに倣って。

結局2軒の彼の行きつけにふらふらとついて行き、快くご馳走になった。
午前3時すぎ2軒目を出て、眠そうな目を擦りながら彼が言う。

「今から僕の、新宿で一番好きな場所に行くので、シェアしてもらえませんか」

突然の申し出に戸惑うも、すぐ近くなんです、の言葉に色気のある場所ではないことを確信し、面白半分に同行する。

ゴールデン街に隣接するサウナ施設、テルマー湯の壁のヒビを指差し彼は言った。

「ここなんです」

縦に入ったヒビは排気で僅かに黄色く変色している。
何か御用ですか?と投げかけるゴミ収集のスタッフには目もくれず排気口の下まで歩み寄ると、頭上を見上げるよう指示される。
言われるがまま恐る恐る潜り込むと、湿度の高い排気が鼻腔をくすぐる。

「テルマー湯の匂いがするんです」

「…!!!ほんとだ!!!」

排気口からはグリーンフローラル系の香りが漂っている。

「あのう… 何か御用ですか?」

先ほどから壁のヒビの前で伸びたり縮んだりを繰り返す酔っ払い2人組の背後から、再度ゴミの収集の茶髪の青年が声を掛ける。
新宿で一番のお気に入りの場所をシェアできた私のツレはご機嫌な様子で切り返す。

「ここの匂いが好きなんです♡」







「…ここ私有地なんで入らないでもらえますか!」

「!!!」


私と彼は何時間かぶりにまた互いに顔を見合わせると、ゲラゲラ笑いながら来た道をまた戻り、角を曲がる。
さっきまでスマートにクールに、私にお酒をご馳走してくれていた紳士が不法侵入でしこたま怒られている姿を見てしまった私は死ぬんじゃないかと思うくらい笑い転げた。

「ちょ…ズルいっす…
 めっちゃ怒られてんの…クッソ面白…」

「僕…あそこに…チャリ…停めてるんです…」

「!!!!
 …とりに行けないじゃないすか…」


真っ暗な路地で丁重にごちそうさまを言いながら、彼と別れた。
別れたあと彼があの路地の角から、ゴミ収集が終わるのをそっと伺っているのかと思うと無限に笑えてくるからいい夜だった。

またきっと私も嗅ぎに行っちゃうと思う。
でも私はもっと要領良くやります、怒られるのはいやだからね。

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