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紙とえんぴつすらもいらない娯楽(週報_2019_01_21)
昨日は文章繋がりで知り合った方と一晩過ごした。
とは言っても健全にライブに行って食事をして、呑んで騒いでたくさん話した。
そんな中、有り難いことに彼女がRTしてくれた中の記事を読んでくださっている方に「読んでますよ」のお声掛けをいただいたのだ。
ここ数週、メインで仕上げたい記事がうまく書き進められず、もう全てが嫌になっていた。
絶望的にページビューが伸びないことを大声で嘆きたかったけど、それを嘆くことは数少ないページビューを伸ばしてくれている人をまるでいないかのように扱うみたいで私には出来ず、ただ心臓のあたりをぎゅっと抑えるくらいでひたすら耐えていた。
note公式のTwitterアカウントはとうの昔にミュートしている。
つらい、他人のおすすめばかりが一方的に流れてくるのはつらい。
読んでますよ、名前を見たことありますよ、くらいなら誰にでも言えるのだ。
彼女が紹介してくれたその方は、少し内容を引用してくれたりして、きちんと読んでくれていることがすぐに伝わってきた。
なんだこの気持ち、嬉しい、恥ずかしい、嬉しい。
その方はnoteユーザーではないので、RTを見かけたときに読んでくださり、スキも特につけてはいないのだと思う。
スキ、のアクションだけでは計り知れないこともあると知った夜。
読んで貰えることは私にとって麻薬のように中毒性のある快楽みたいだ。
溺れないように、溺れすぎないように。
もう少しだけ、頑張ってみようかな。