泣くならちゃんと泣きたくて(週報_2019_06_28)
毎週土曜日と決めていた週報、5日遅れで投稿した6月20日を最後に遂に追いつかなくなってしまった。
書くことがないわけではない。
けれど自分の名前を書いて貼り出すには納得がいかない内容で、気ばかり急いて成果を出せずにいた。
こんな終わり方はかっこわるくて嫌だなあと仕事中にnoteを開いた。
(※ オフィスにツバメ のヒナが飛んでいるような大らかな社風です)
気付くとツイッターに1通のDMが届いていた。
ライターでエッセイストの吉玉サキさんからだった。
『今日って××来る?』
先日刊行された吉玉さんの著書を 吉玉さんの縁ある街で予約したことがきっかけで『受け取りに来るときにお茶しましょう』なんてお誘いをいただいていたのだ。
私よりずっと多忙であろう吉玉さんから声をかけてくださったのがとても嬉しかった。
待ち合わせの時間が決まると俄然やる気がわいてきた私は、集中してnoteを白紙から7割くらいまで一気に書き上げた。
(※ オフィスに借金取りの怒号が飛んでいるような大らかな社風です)
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私がnoteを始めたのは去年の9月のことだ。
最初は他サイトで既に掲載済みだったストックもあったので、週2回アップをしてとにかく読んでもらう機会を増やすことを目標にしていたと思う。
私に同人誌かネットか、なんでもいいからもっと大勢の目に触れるところで書きなさいと言い出したのは、散々既出のあしながおじさん。
あしながおじさんは最終的に私を作家にしたいみたい、へんなひと。
根が真面目な私はよっぽどのことがない限り、自分で決めた週2回の投稿を守り書き続けた。
私は形を変えず継続しているものを信頼する。
だから私が信頼されるには、形を変えず継続すればいい、そう思ったからだ。
なのに言いだしっぺのあしながおじさんときたら、気軽かつ頻繁に海外とか行くものだから私のnoteなんてぜんぜん読んでいなかった。
でもこれがきっと、世の人たちの姿なのだ。
みんな自分の人生に忙しいからね、そう言うとあしながおじさんは大きなあくびをした。
noteを始めて3ヶ月が過ぎた頃。
私の元に1通のDMが届いた。
ライターで、noteクリエイターでもある私の大好きな女性からだった。
<ちゃんと文学賞に出したことはある?出してみてよ、何度でも>
要約するとそんなニュアンスのことが彼女らしさ溢れる文体で綴られていた。
やだなぁ、こんなところにもいたよ、へんなひと。
画面の前で私は困ったような笑いを浮かべる。
ただ彼女はあしながおじさんみたいに投げっぱなしにせず、私に向いているのではないかという新人賞まで具体的に助言してくれた。
「あなたは読んでくれないけど、こんなDMもらっちゃったんだからね」
ただ褒めてもらいたくて投げたつもりが、あしながおじさんは気まぐれにやる気を出してきた。
彼がやれと言うならやるしかないのだ。
だって私はもう、自分の財力では返済しきれないほどの焼肉とお寿司をご馳走になってしまったんだもの。
訴えられたらどうしようと思うと夜も眠れない。
どうせ眠れないのなら、眠れぬ夜に何か書くこともできるだろう。
言われるままに翌年9月の締め切りを目標にざっくりとスケジュールを組んだ。
毎月数千文字。
書き出してみたらそこまで天文学的数字ではないように思えた。
「小生意気なこと言うようになったじゃん」
あしながおじさんは笑った。
うるさいなあ、あなたに教わったのは美味しい焼肉屋さんと美味しいお寿司屋さんだけなんだから、ちょっと黙っててよ。
とにかく9月に向けて、2019年のnoteは週1本の更新に減らすことを決めた。
週報というタイトルは、私が管理職時代に提出していた報告書の表題だ。
気難しい上司が「一度でも毎週水曜日の20時までに週報を提出できなければ100%評価を下げます」と宣言したので、私は1度も週報の提出時間を破ったことがなかった。
週報、という名前にすれば絶対に締め切りを守れると、私は私に鎖をつけた。
ところが今年3月に失くすものが何もない、いわゆる”無敵の人”である私の母が厄介なことになってしまった。
週1本しか書きません、それも日記程度で軽く。
そう言ったばかりだったのに、憤るままに書いた母へのnoteが皮肉なことに私の書いたものの中で一番のページビューを記録してしまう。
そしてもう、6月が終わる。
書くと決めて、半年も私は何をしていたんだろう。
手元には使えるかどうかはわからない、パーツだけがたくさん転がっている。
小説というキャンバスは大きすぎる、どこから手をつけていいのかわからない。
さらに言うなら、想像していたよりずっと、書く役目の私が生身の人間だった。
1日は24時間だけど、稼動できるのは24時間じゃない。
何月に何千文字、なんて予定は私が生きていて、外の人間との時間の擦り合わせの中で生活していることを完全に無視して作り上げた、いわば理想、妄想、幻想だった。
一部の変わった人や優しい人に褒められたりサポートもらったりDMもらったりでご機嫌になっていたけれど、私、素人だった。
テクニック皆無、丸腰、初期装備。
雰囲気だけでここまで来ちゃった。
小説?書き方?わからない。
でも書きたいことはいくつもあって、頭上に少しずつ雨雲のようにどんよりと集まってきている。
ただ自分の意思で雨を降らせたことがないんだ、一体どうしたら。
だから私、週報、10月まで休みます。
そんな、もったいぶって言うほどじゃないんだけど、これは私のためのけじめ。
読んでくださってる皆を付き合わせちゃって、ごめんね。
ちゃんと決断して言わないと、締め切りを守るんだ!って足に重い鎖つけて頑張っていた私を、どうしよう今週もまだ書けてないって膝抱えてる私を、部屋の片隅から救ってあげることができないと思うから。
今、この状態で文字数だけの帳尻を合わせて小説という体にした何かを応募することはできるだろう。
でもきっとそれがダメだったとわかったとき、私、全然悔しくないと思う。
9月に出して、数ヶ月かけて選考されて、選外であれば『選外ですよ』とすら誰にも言われない。
誰かに読まれたのかどうかもわからずじんわりと蒸発するように私の作品が消えていく。
そうなったときに私の書いた作品の存在を証明できるのは私だけ。
私、ダメだったときダメだったと、正当に傷つきたい。
ちゃんと悔しくなりたい。
泣くならちゃんと泣きたい。
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「・・・と悔しい」
今、なんて?
紅鮭色のワンピースを着た吉玉さんの目をじっと見てしまう。
「ちゃんと、悔しい」
背の低い、空のパフェグラスの向こう側で吉玉さんは確かにそう言った。
前後の文脈は違えど、待ち合わせの数分前に私が書いていたこのnoteとまったく同じ言葉に日に二度も出会うなんて。
天気予報も占いも意に介さない私が、それでも今日思いつきのように吉玉さんと会えたことは必然だ、と勘違いするには充分すぎた。
書店で受け取ったばかりの吉玉さんの著書にサインをお願いする。
贅沢な、一人サイン会。
さかさまに差し出した黄色の見返し部分にフェルトペンで私の名前が書かれてゆく。
「いつも書いてる文を書くね」
そう言って吉玉さんはサラサラとペン先を動かし続けた。
あ な たの 居
『あなたの居場所はどこですか?私は山小屋でした!』
ネット上で見覚えのあるフレーズだったのに、目前で書かれることでその文字列が初めて私をじっと見ているような気がして、目の奥が熱くなった。
吉玉さんが淡々と落ち着いて話すような人じゃなかったら私は泣き出してしまったかもしれない。
私の居場所、どこなんだろう。
夜に予定があったので小一時間ほどでお別れをした。
「意外とたくさん喋るんだね」と微笑んだ吉玉さんに、今日はいつもよりだいぶ無口な方でした…と胸を撫で下ろす。
別れ際、厚かましくも「またね」なんて言葉を紛れ込ませてみたりした。
まぶしいひと。
自分の居場所を見つけたひと。
会えてよかったな。
来年4月。
文芸誌の発売日に書店へ駆けて行きたい。
息を切らせながら雑誌を開き、そこに私の名前がないことを理解した瞬間にむせび泣きたい。
だから10月まで週報は休みます。
ちゃんと悔しくなりたい。
泣くならちゃんと泣きたいから。