11番(週報_2019_01_19)
週末、京都に行っていた。
と、言うと聞こえはいいけど実際はバンドマンの追っかけ旅で、入り待ちのための前泊、出待ちのための後泊。
2泊3日の大半を寒空の下凍えながら彼をただひたすらに待つ、という行為に明け暮れ。
3日間で使ったホカロンの数、大小合わせて17個。
うち貼るタイプは14個、貼らないタイプは3個。(いらない情報)
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京都での最終日、3年ぶりくらいに京都の知人に会うことが出来た。
今回一切の観光をしていなかった私を気遣ってくれ、新幹線の時間まで伏見稲荷大社に連れて行ってくれることに。
彼女の小さな子供たちも一緒だったので子供の足に合わせたペースと移動距離が、追っかけ疲れの私の身体にもちょうど良い。
普段から私はあまり景色や自然に感動したりしない。
それは決してクールな自分を気取っているわけでなく、感性が乏しいのだと思っているのでとても恥ずかしいことだと思う。
でも〈この場所は誰と来た場所〉と思うことで無感動な景色が突として色付くことがあるから人間って不思議だ。
私にとって伏見稲荷大社はきっと、一生、彼女との場所だ。
もともと彼女とは10年以上ネットの付き合いで(それでもずっとずっと東京ー京都の距離は変わらなかった)一時期は毎晩のようにチャットで話してたこともあるけれど今はお互い別々の暮らしを営んでいる。
ここ数年は彼女から律儀に送られてくる新年の挨拶と、私が気まぐれに訪問するくらいのお付き合い。
だんだんと共通の話題もなくなって。
たまに途切れる会話、幾度となく繰り返す当時の話題。
それでもまた会う日まで彼女と彼女の家族が健康に暮らしてくれたらいいなと心から思う。
大人同士の思い出話に飽きて遠慮なしに「もう帰りたい」と私の前で言い出す子供たちを気まずそうにたしなめる彼女。
大丈夫、子供なんてそんなもんだよ、とご機嫌とりに紙袋いっぱいの東京土産を持たせ、新幹線のホームまで来るつもりだった彼女を説得し改札前で手を振り別れる。
また会えるからそんなに1回1回を大切にしなくていい、気軽に別れよう?
何度でもまた会おうね、お互い見るからにおばあちゃんになっても「全然変わらない」って繰り返し言い合おうね。
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新幹線を降りると1本のLINE。
見ると大海雄吾くんからだった。
大海くんとは今年2人でツイキャスをしようと企画を立てているところだ。
月末に初顔合わせをしようと約束していたが「るんみち今日空いてない?」と言うので急遽自宅にキャリーケースをぶち込んで新宿に向かった。
大海くんとの顔合わせについては後日レポートとして上げるので割愛するとして。
打ち合わせが終わり1杯呑もうと連れて行ってくれたのがゴールデン街の文壇バー『月に吠える』だった。
実は私の記念すべきnote初投稿の記事の冒頭に『月に吠える』が登場している。
行きたくて、行けなくて。
こんな形で叶うって面白いなぁと店内を見回す。
なんか落ち着くと思ったら、私の実家だったところに似ているんだな、古本屋だった、私の実家に。
小一時間ほど楽しく飲ませていただいて、閉店時間に。
帰り際、今年の初詣とおみくじの話になって、大海くんもバーテンさんも大吉だとか中吉だとかの話をしていた。
「あっ、そういえば私、今朝伏見稲荷に行ってきたばかりで。」
コートに袖を通しながら私は言った。
「おみくじは11番でした!」
伏見稲荷はおみくじの番号を引いてから、窓口に並び番号を口頭で伝え、紙を受け取るシステムだった。
番号を引いたあと振り返ると5分や10分では済まないような長蛇の列が。
既に同行の子供たちは疲れと空腹でご機嫌ななめ。
私たちはおみくじを引くことを途中で諦めた。
「だから、私の今年の運勢は11番です!」
少しドヤり気味に押し切ると、大海くんもバーテンさんもこれ以上はないくらいの苦笑をしてくれたので、まあいい年にはなるんでしょう、多分ね。