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叔母のカレーライス │ 昭和58年生まれの女の自叙伝

子供の頃、まだ母方の祖父母が生きていた時代。年末になるとフェリーに乗って、母と共に天草の実家へ連れて行かれた。

車酔いの酷いわたしは、フェリーのあの独特の揺れが苦手で、だけど母の横で吐いてしまえば怒られると分かっていたから、何度もトイレに駆け込んでは耐えていた。
当時のフェリーに備えられたトイレは、衛生的にも決して綺麗とは言えず、また臭いも凄かった。
今のような整備された乗り物ではなく、とにかく港に着くまでの数時間が苦痛で仕方がなかった。

わたしがトイレに駆け込み、明らかに青白い顔をしても、母はわたしを心配することも、むしろ視線を向けることさえしなかった。
誰も知る人のいない場所では、母は聖母を演じることさえしない。ただ苛立った顔のまま、そこにいるだけだった。

フェリーが港に着くと、そこからタクシーに乗り込む。もちろんフェリー乗り場からはバスも出ていたが、母はバスではなく、いつもタクシーを選んでいた。
タクシーに乗り込むと、母は先程以上に苛立ちを強める。これはいつもそうだった。母は何故かタクシーの運転手さんに、いつも厳しくキツく当たっていた。
行き先を一回で聞き取れなかっただけで、お釣りを出す時に手間取るだけでも、母のスイッチはONになり、どれだけ年配の運転手さんだろとお構い無しに大声で怒鳴りつける。
多分、最初の頃はあの狭い車内で、見知らぬ運転手さんを怒鳴り続ける母に、わたしも怯えていただろう。だけど、いつからかそんな光景に慣れてしまっていた。
母のスイッチがONに切り替わった瞬間に、わたしは無感情で窓から空を見上げていた。

そうやって、母の実家に辿り着くと、母の兄嫁である叔母が出迎えてくれる。
末娘で紅一点の母以外、全て男兄弟の中で、母の帰省はこの叔母にはどんな風に見えていたのだろう。

この実家に帰る度、母はわたしの耳元で「叔母さんは、いっつも私にヤキモチ妬いとったんよ。私ばっかりチヤホヤされるけん言うてね」と、誇らしげに囁いてきた。

実家を継いだ叔父の嫁として、この家で暮らす叔母。帰省時期の度にたくさんの親戚がやってくるにも関わらず、ただひとりで家中を走り回っていた。

この実家にやってくるのは、わたし以外の人間は、全て母の旧姓と同じである。父が失踪した後も離婚せずに、籍だけ残していた母だから、当たり前のようにわたしの姓は父の姓だ。
自分の姓だけが違う。余所者であるという強い劣等感が、いつもこの実家に来る度に襲ってきていた。

叔父達は母に代わる代わるお酌をする。実の兄妹なのに、その光景はお姫様と家来のようだった。
その間も叔母は台所に立ち続けていた。

あれは何歳の時だったか。
帰省というイベントと天草と言う土地柄、いつもお刺身やお寿司で埋めつくされていたテーブルに、叔母が昨日の残りだというカレーライスを持ってきた。
皿に盛り付けられたカレーライスは、ひと皿だけ。それはわたしの目の前に置かれた。わたしは目をぱちくりさせて、カレーライスと叔母の顔を交互に見た。そしてそれがわたしの食べて良い物だと分かった時、添えられたスプーンを握り締めた。

この頃のわたしは、カレーライスと言えばレトルトの味だった。今のような味に拘って作られたレトルトじゃなく、単調な普通のレトルトカレー。
具も無ければ、味の深みなんて全くない。
もちろん福神漬けなんてものはない。

そんなわたしにとって、この時に口に運んだカレーライスの美味しさは、雷に打たれたような衝撃だった。
甘くて、お肉も入ってて、野菜もごろごろ入っている。初めて見る赤い福神漬け。
無我夢中で完食したことを覚えている。

叔母はその時、どんな顔をしていたのだろう。自分の作ったカレーをこんなにも美味しそうに食べる子供を見て、どんな感情だったんだろう。
そういえば、あの時のわたしは、ちゃんと叔母に美味しかったと直接伝えられたのだろうか?

とにかく叔母のカレーライスの美味しさに、子供だったわたしのテンションは上がってしまっていた。
「叔母ちゃんのカレーライス美味しかった!」
そんな一言を、母に伝えてしまった。
そして……客間に敷かれた布団の上で、わたしは思いっきり殴り飛ばされた。
しまったと後悔した時には遅かった。
隣の部屋には祖父母が寝ている中で、わたしは母に延々と叩かれる羽目になった。

ここまで記憶を書き出していて思う。
いくら広い家だったとしても、田舎の家だ。木造で作られた、今のような防音設備もない時代。
祖父母の耳には、自分の娘が自分の孫を殴り飛ばした音が聞こえていなかったわけが無い。
わたしは祖母には可愛がられていたと思っている。だけど、こういうふとした記憶の欠片から、その愛情が本物だったのか分からなくなる。
祖母にとっては時には可愛い孫だったかもしれない。だけどそれ以上に、母は大切な娘であり、そしてやはりわたしは別の姓を持って、そんな大切な娘を傷つけた憎い男との子供だったんだろう。

祖父母を憎む気持ちは無い。
あの人達は、ちゃんと大切に子供達を育ててきた。母のことも愛して育ててきたのだ。わたしへの憎しみがゼロな訳が無いのだから。
だからもしあの時聞こえていたとしても、助けてくれなかったと、もう何も責める気はない。

叔母のカレーライスを食べて以降、わたしはカレーが苦手になっていた。
今でこそ大好きなカレーライス。
CoCo壱に行ったり、家でも自分で作って食べるようになったカレーライスだが、苦手克服したのは、本当に20代後半位だった。
それまではどんなカレーライスを食べても美味しいと思えなくなっていた。
どうして20代後半になって、急に美味しいと思えるようになったのか分からない。キッカケも、何も覚えていない。ただ気づいたら克服していて、今では好きな食べ物のTOP3には入る。
わたしとよくご飯を食べに行く人達は、実は昔カレーライスが苦手だったと言ったら驚くだろう。
今ではカレーライスかハンバーグばっかりリクエストするような、子供舌になってしまっているから。

祖父母が亡くなり、もう行くことの無くなった実家。余所者である疎外感と、夜でも人が家の中にいるという、少しばかりの安堵感を与えてくれた実家。

大人になった今。
あの頃の叔母に会えたら、わたしは勇気をだして台所に向かいたい。ひとりで鍋をかき混ぜて、冷たい水で洗い物を続けていた叔母の横で、ただ黙って同じように手伝いたい。
あの瞬間、もしかしたら叔母も言いようのない疎外感を感じていたのかも知れない。
母が小馬鹿にしていたヤキモチを、叔母は必死で我慢して、ひとりで耐えていたのかもしれない。

祖父母がいなくなり、お姫様である母が近寄らなくなった家で、叔母が心穏やかに過ごせるようになっていてくれれば良いと思う。

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