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「久礼大正町市場」カツオ一本釣りの漁師町を歩く
高知県中土佐町久礼(くれ)。太平洋に面した小さな漁師町は、400年以上前からカツオ一本釣りの拠点として栄えた。男たちは今も命がけで黒潮に乗り出し、カツオを追って長い航海を続ける。留守を守る女たちは明治時代中期に、物々交換から始めた市場を開いた。その名は「久礼大正町市場」。鮮度抜群の海産物がそろい、インバウンド(訪日外国人客)の注目も集める隠れたスポットだ。
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久礼の町は、漁船がひしめく港を中心に広がる。須崎市の高知自動車道須崎西インターから南下すること15分。海岸にある津波避難タワー前の駐車場に車を止め、歩いて3分ほどの久礼大正町市場を目指した。
市場といっても、規模はささやかなものだ。狭い通路をはさみ、鮮魚や総菜、果物などを商う8店舗が並んでいる。函館や高山といった有名観光地の市場を想像していたら、肩すかしをくった気分になるかもしれない。
市場の看板には、カツオがあしらわれている。アーケードの天井には大漁旗が吊るされ、久礼を舞台にした漫画「土佐の一本釣り」(青柳裕介作)の横断幕が目を引く。店頭には網漁で使うガラス製の浮き球が飾られていた。
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「カツオのたたきがうまいぜよ。買うていってや」
「カツオ飯を食べていかんかよ。家に持って帰りや」
バリバリの土佐弁が響く市場は、観光客でにぎやかだ。鮮魚店で購入した魚が味わえる飲食店もあり、昼には順番待ちの列ができる。カツオ、アジ、アオリイカ、サワラ。水揚げされたばかりの魚の味は間違いがない。
鮮魚店では、威勢のいいお兄さんが手早く魚をさばいている。接客する年配の女性は、相手が外国人だろうが土佐弁で通す。高校時代、久礼から通っていた同級生もこんな調子だった。
「カツオは、はよう食べないかんぜ。こじゃんとうまいき、ネコが狙うきねぇ」
「あんたらは、どこから来たが。寄っていきや」
客を呼び込む女性に、だれかが声をかける。
「正月はどうしょったよ。顔を見んかったが」
「正月ばぁ、ゆっくりせんとやれんぜ。いっつも、働きゆうきねぇ」
早口の土佐弁は、県外の人には理解しづらいのではないか。それでも、ポンポン言われているうちに、観光客は商品に手を伸ばす。小さな市場だが、ここには癖になるような独特の空気感がある。
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市場では魚介類だけでなく、ヒジキのかき揚げや芋てんぷら、芋けんぴといった地元グルメが売られている。果物店には、高知名物のブンタンが並んでいた。
市場には季節ごとに、旬の魚や果物、野菜などが集まってくる。売り場に立つ人たちは気取りがなく、一見荒っぽくとも実は親切で人懐こい。「板子一枚下は地獄」という厳しい漁業を受け継ぎ、体ひとつで生きてきた漁師の気質が感じられる。
「久礼大正町市場」という名前には、こんな由来がある。
久礼の町は大正4(1915)年、市場周辺で230戸が焼失する大火に見舞われた。大正天皇は町の早期復興を祈り、見舞金を届けた。町民たちは深く感激し、それまでの町名「地蔵町通り」を「大正町通り」に改めた。
市場そのものは明治時代にできたが、とくに名前はなかったようだ。天皇の恩を忘れなかった人々が元号の「大正」を市場に掲げ、現在に至る。
久礼の市場には、どん底からの復活の歴史があった。
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市場の入り口には、赤い郵便ポストが立っていた。このあたりは昔からの古い町並みで、家々が肩を寄せ合って密集している。もともと漁師町だから、市場以外の観光施設は道の駅ぐらいしかない。
それでも、海岸に出れば、どこまでも青い海が広がる。防波堤に行けば、いかにも元漁師という風情のお年寄りが集まり、のんびり海を眺めている。
時々、どうして久礼に観光客が来るのか不思議になる。
極端なことを言えば、ここには海と狭い町しかない。それなのに、奇妙な魅力があるのだ。
久礼の港と漁師町の景観は、平成23(2011)年に国の文化財(重要文化的景観)に指定されている。高知県は交通の便が悪いこともあり、どこも開発とは無縁だった。時代から取り残された町だからこそ、日本各地で失われてしまった景観が残されたのだろう。
久礼の最大の魅力は、昔から変わらない漁師町の風情にある。
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久礼にほれ込んだ漫画家青柳裕介氏は、カツオ漁師の小松純平を主人公にした漫画「土佐の一本釣り」を描き、1975年~1986年に雑誌「ビッグコミック」で連載をした。2001年に56歳で亡くなるまで、暇さえあれば久礼に通って漁師たちと酒を飲んでいた。
久礼大正町市場近くの広場には、青柳氏の像がある。久礼と海を愛した漫画家は、下駄ばきでスケッチブックを持ち、沖を見つめている。
久礼の人たちは、青柳氏のことを忘れない。有名な漫画家だったからではない。自分たちと同じ目線で久礼を見守り、ともに飲んだ仲間として記憶しているのだ。
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久礼の港に立ち寄ったら、近海で操業するカツオ漁船が係留されていた。白い船体が海に映え、甲板上には一本釣りで使う釣り竿が搭載されていた。
男たちはこの船で黒潮に乗り、カツオの群れを追うのだ。
カツオ漁師は一年の大半を費やし、台湾近海から東北沖まで航海する。
遠い海の上で久礼を思う時、どんな風景が脳裏に浮かぶのだろう。
懐かしい港か町並みか。 どこでもいい。太平洋にいれば、海は久礼まで続いている。
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